2017年07月08日

トマト

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 朝採りのミニトマト。赤や黄や陽に輝いておいしそう。ミニトマトは、ブドウのように一房にかたまって実がなるので、熟すのもいっしょ。一気に採りごろになる。
 収穫しながら一個口に入れる。畑の贈り物に感謝しつつ味わう。うま〜〜〜〜い!!
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2017年06月29日

またもネジバナのこと

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 先日ネジバナのことを取り上げたばかりなので気が引けるのですが、今朝の散歩時、意外なことに気付きました。遊歩道の路肩左右に対になって咲いていたネジバナの花の巻きが???
 左のものが右巻き、右のものが左巻きなのです。別にしゃれた積りはないのです。朝夕に足を止めては見入っていたのに、ネジバナに左右両様あるとは気付きませんでした。
 ますます、ネジバナの謎が深まるばかりです。
※画像は、慌ててガラ携で撮りましたのでよくありません。
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2017年06月26日

ミニお話し会

 市立図書館友の会では、年に一回、1月の「大人のためのおはなし会」のほかに、3,6、9月にミニお話し会を開く。「大人の」とは違って会員同士の合評会みたいなもの。全員が参加して行うのが原則。
 明日27日に今年2回目の「ミニ」を行う。
 当方は、ジャンルは何になるのか自分でもはっきりしないけれど、ま、自作のエッセイといったものを発表する予定です。
  タイトルは「BOTTLE MAILそして『海で』」。「海で」は川崎 洋さんの詩。

 みなさんは、BOTTLE MAILという言葉をご存知でしょうか。
 瓶の中に入れられて川や海に流された手紙のことです。流されて波に揺られて見知らぬ河口や浜辺に流れ着く・・・。ときには、遠く異国の岸辺にたどり着くこともあるBOTTLE MAIL。
 英語では、message in a bottleと表現される ほうが一般的だそうです。
 Message in a bottle.瓶の中のメッセージ。
 この言葉をタイトルにした映画があります。1999年に公開されたアメリカ映画です。主演は、甘いマスクで人気のケビン・コスナー、その父親役で晩年のポール・ニューマン、彼もいい役者でしたね、渋くてね、そして
相方の女性をロビン・ライト・ペンが演じています。このロビン・ライトという女優さん、実に繊細に、揺れ動く女心を演じきっていましたね。気になってね、ネットで調べた事があるんですが、これが何と!!
 恋をして結婚して離婚して、恋をして結婚して離婚して、また恋をして・・・えーっ、そんなあ!!と思うくらい、恋に生きる女性として有名なんだそうでして、その記事を見てちょっと鼻白んだのを覚えています。でもね、あーこれが言うところの芸の肥やしってやつなのかなあってね、だから、あんなにデリケートにしかも激しく、愛を、女を演じることが出来るのかと感心したり複雑な思いをしたものでした。
 ですからね、みなさんもね、何かを表現したいと思ったら恋をするのが一番ですよ・・・なんてね。
 では、ですね、これからDVDなどでご覧になる方もおられるでしょうから、ネタバレしない程度に、どんな映画なのか、ざっと粗筋を紹介したいと思います。

 テリーサは、シカゴの新聞社に勤めている女性調査員。コラムや記事の裏付けをとったり、読者の投書に目を通して記事の内容に反映するエピソードをまとめたり・・・(残念ながら、中略)
・・・こうして出会った二人は、次第に惹かれ合ってゆく。

 ジャンジャン。この辺にしておきましょう。
 この瓶に入っている小さな粒々は、ガラスの欠片です。ビーチ・コーミングといって、海の砂浜で拾います。波打ち際より少し陸地に寄ったところ、海が荒れて大波が打ち寄せた海草やごみ、貝殻などが筋になって残っているところに混じっているのを探します。瓶などのガラス製品が割れて欠片となり、最初ギザギザに尖っていたものが長い間、波と砂に揺られ揉まれて角が取れて丸くなります。
 もちろん、BOTTLE MAILとは関係のないものがほとんどでしょうが、中にはきっと何処にも届かずに海の藻屑となって消えた手紙の這入っていた瓶のものもあるかもしれません。
 潮騒を聞くとき、その失われた手紙に記された言葉の数々が聞こえてきそうな気がします。

 では、ここで、この瓶に入っている一篇の詩を読みたいと思います。みなさんの心に届きますように・・・。

 「海で」 川崎 洋。(以下略)
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2017年06月25日

今年もハナイカダ

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 例年、結実しても大きくなる前に実がこぼれてしまって行末を見ることが出来ないでいた。が、今年はどうしたわけか、立派に膨らんだ実がいくつも付いている。このままどのように熟すのか見てみたい。
 「何を好んで・・・」とは、花やその実の妙を目にするたびに思うことだけれど、このハナイカダもその一つ。
葉のほぼ中央、主葉脈に花を咲かせて実を結ぶ。光合成の工場ともいえる葉から直接養分を供給されるのだから、合理的といえばこの上ない仕組みなわけだ。
 葉と実が、このあとどのように折り合いをつけてゆくのか、楽しみにしている。
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2017年06月24日

今年もネジリバナ

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  捩花(ねじばな)のまことねぢれてゐたるかな  草間 時彦

朝夕の散歩道、源氏川の堤防の百草(当方、雑草という言葉を好みません)の緑の中に、淡い桃色のネジリバナが数株、あちらにもこちらにも。何を好んで身を捩るのか?と、問いたくなるけれど、この螺旋形に巻き上がる姿がこの花の決めポーズ。小さな花にも蜜があるのだろうか、花に寄る虫を目当てにか蜘蛛が糸を流し始めた。
 この季節、かがんで覗き込みたくなるほど大好きな小さな小さな花の宇宙。
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2017年06月15日

今年もキョウカノコ

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  京鹿の子咲きて遠流の行在所  中西克喜
 
 手元の歳時記によると、「京鹿子の名前は、淡紅色の花序を京染の鹿子紋に見たてたもの。」(福田甲子雄)とある。緑の叢の中に、赤い茎も目に付く。その赤が、どこでろ過されて淡紅色の花となるのか、じっと見ているほどに不思議さが募る。
 掲句、京鹿子の「京」に、「行在所」が響いて、遠島に流されたやんごとなきお人の無念の年月に思いが流れてゆく。俳人の目は、見るものを見て、見るものを捨てる。そして見えないものに、遠く観照の光を照らす。
  
 
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2017年06月11日

今年もヘヴンリーブルー

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 吾小庭の青い花の極め付きは、ヘヴンリーブルーと言いたいところだけれど、園芸店で見つけたのは、「サカタのタネ」の「あさがお 青い簾 大輪」。定植して2週間ほどで蔓丈1mに満たない幼いものに、今朝一輪、花が咲いた。花の形といい色合いといい、蕾の独特の形まで先年楽しんだヘヴンリーブルーにそっくりだけれど何が違うのだろうか。霜の季節まで咲き続けるとあるのも全く一緒。
 ま、いいか、花の科には非ざるものを・・・。蕾も沢山ついているから、今年の夏も青い「簾」で過ごせそう。
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2017年06月07日

今年もヤブムラサキ

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 開ききっても、花の径は6,7ミリ程の小さな花。4枚の紫の花弁の中に球形の黄色い雄蕊があって、しばらくするとドームの屋根を開くように四つに割れて花粉が見えるようになる。雌蕊は半透明のクモの糸より細いくらいのものが、雄蕊を割ってツ〜イッと1センチほど突き出る。
 こんな小さな花にも蜜はあるらしく、身体のまんまるい花蜂がしきりに蜜を求めてやってくる。
 偲びやかに咲く小さな花だけれど、紫と黄色の配色といい、一見なよなよと見える雌蕊だけれど生命の営みを宿すしたたかさといい、自然の配剤には驚くばかり。秋には母なる花の色を請けて、紫の実が熟す。
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2017年06月05日

今年もホタルブクロ

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 淡々した、ピンクに近い薄い紫のホタルブクロは、この節の吾小庭の主役のひとつ。
 去年の秋、コスモスの花束をいただいた花美人の奥さんから、今朝の散歩のときに、濃い紫のホタルブクロを分けてもらった。ホタルブクロと言わずに、今どきのやたらと長いカタカナ表記のものなのかもしれないけれど、奥さんも正式の名は知らないと言う。花の姿形も葉茎もそっくりだから、ま、暫定ホタルブクロ。
 今朝は、忙しいからと切り花にしていただいたけれど、暇を見て一株鉢上げしておきましょう、と言ってくれた。奥さんがまた一段と輝いて見えた。いただきます。
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2017年06月04日

今年もニッコウキスゲ

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 弱々しい株立ちだったので心配していたけれど、一日と言えない、凛々しい花径が二本立って、そのうちの一本に、今朝、一輪花が咲いた。朝陽を浴びて胸を張って咲いている。別名、禅庭花(ぜんていか)と言うそうな。言われてみればそのように、庭にあって、「心を一の対象に集中し、正しくつまびらかに思惟し、無我寂静の境地に没入すること。」(『辞海』:禅より引用)に導いてくれるにふさわしい花の姿だ。

 
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2017年06月03日

今年もチドリソウ

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  六月を奇麗な風の吹くことよ  子規

 本格的な梅雨の季節に入る前の晴れ間は実に清々しい。
 掲句、簡潔に言い切ったかに見えるけれど、病を得て長い長い療養生活を強いられる子規の生涯を知っているわたしたちには、この季節の風の心地良さを感得するだけでよいのかどうか・・・。

 小庭に、今年もチドリソウが咲いている。昨年は庭一杯に株が増えて、濃い青紫、薄い紫、そして白花と咲き競っていて、花期が終ってもそのままに放置して種がこぼれるに任せていたのだけれど、期待した数は見られない。それでも、繁茂した下草の緑の中にすっくと背を伸ばしたチドリソウの立ち姿は、その花にもまして気持ちのいいものだ。
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2017年04月25日

花に会う

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 庭の草木の芽吹きに歓声を上げ、咲く花を掌に囲って愛でることに幸せを感じるのは、季節の確かな廻りに出会える喜びがもたらしてくれるもの。例年、同じところに立ち同じように眺め同じように語り掛ける。
 青空を背景に見るアケビの花と若葉が目に染みる。

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 その下草の中にあるオキナグサが例年になくたくさんの花を開き、木漏れ日を受けて恥ずかしそうにしている。
 サンザシの蕾もヤマブドウの若芽も膨らみを増し、フサスグリの小さなな花も陽射しを浴びて輝いている。
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2017年04月15日

拍 手

 簡素ながら、花いっぱいの心のこもった設えの祭壇の中央で、オオタさんの遺影が微笑んでいる。濃い藍染の和服姿だった。葬儀の終わりに、遺族を代表して長男君が挨拶をした。涙で少し詰まったところもあったけれど、気丈に亡き父親の人となりを語り、会葬者への感謝を述べた。短いけれど温かいいい挨拶だった。オオタさん、長男君立派に勤めましたねと、思わず拍手をしそうになった。思いとどまったのは、葬式に拍手はふさわしくあるまいと常識が働いたのではない。どうせ他の会葬者は黙っているだろうし、一人の拍手だけではかえって淋しく響くだけだろうと瞬時に思ったからだ。
 オオタさんは、僕にとっての、仕事の師、山登りの先導者、酒飲みの先輩、女・・・いやいや、いろいろと大変お世話になった人生の先達だったので、悲しさも悲し、寂しくてならない。
 オオタさんは、いっとき「火宅のひと」になり、数年、付き合いが途切れてしまったことがあったけれど、最後まで、良い漢(おとこ)でした。
   
  すると、彼女(引用者:大原麗子)の女優生活を十数分にまとめた映像が流されたのである。華やかに、い いところを選んで編集したビデオだった。私は見ているうちに、これは映写が終ったら拍手をしようと思っ  た。孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなしての集まりではないか。よく生きぬきましたね、と拍手  してなにが悪いだろうと思った。終わった。拍手をした。私ひとりだった。なんという非常識というように見 る人もいた。平気だった。ルナールの言葉が頭にあった。

   なぜ弔辞の時には拍手をしないのだろう。(『ルナールの日記』岸田國士訳 第六巻)
 
 フランスでも葬儀には拍手はしないのだから、ただ私が軽はずみだっただけのことなのだけれどーーー。
(『月日の残像』山田太一著 新潮文庫 「ルナールの日記」より引用) 
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2017年04月13日

今年のヒスイカズラ

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茨城県植物園のヒスイカズラを見に行く。
 去年は時期を逸してしまい、花の終わり、散り終わる間際を見る羽目になり、今年こそは
と出かけた。
 今年は開花が遅れ、係員の方もずいぶん気をもんだらしいけれど、無事に4輪の花をつけ、神秘的な色合いを見ることが出来た。とは言っても、1輪は既に散りつくし、残りの3輪のうち通路に下がって咲いているものも、半分は花びらを落としていた。写真のものが一番後に花をつけたもので、まだ蕾の状態、色も本来のヒスイ色とは行かずあと1週間後が見頃という感じ。一番大きく色合いも目を奪うようなヒスイ色をしている花は、絡まり合う蔓と葉群の陰に身を隠すように咲いている。
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 まさに散らんとしている花のアップ。色と言い姿かたちと言い何とも玄妙なヒスイカズラ。
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2017年04月06日

青い海

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 美術工芸大学に進むことになった孫君と一緒に、JR日立駅を見に行った。大学は金沢にあるので、受験の合間に「21世紀美術館」を見て感じるところがあったらしい。妹島和代さんの作品だ。
 ガラスとフレームの使い方が独特で、周囲の景色との融和も、設計のコンセプトの一つらしい。
 凪いだ海の青さが目に染みるようで遥かな沖合には白い漁船の姿も三々五々、いいお日和でした。
 シルエットは若人の姿だけれど、ふっと胸に浮かんだ歌がある。

 老人よ楽しからずや海は青しやよ老人よ海は青し青し  牧水

 この歌一首だけでも牧水が好きになってしまう。青は青年だけのものではない、「楽しからずや海は青し」と老年に呼び掛けてくれる。
 孫君の前途が青く輝いてくれることを念じながら、しばらく海を見ていた。
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2017年04月03日

タツタソウ

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 2年前、小庭のどんぐりの木の下に鉢植えから移植したタツタソウが一輪、花をつけた。昨日、下草の中に赤紫色の幼い芽がかたまって芽吹いているのに気づいたばかりなので、驚いている。
 本来、草丈は20センチほど、花は径3センチほどになるはずなのだけれど、何を待ちきれないのか花茎は5センチにも満たないし、花の大きさも1センチあるかなしか、ごくごくミニサイズで咲いている。
 隣のカタクリは、ようよう片葉を出したまま動かない。気温が上がって、地温も追いつけば、草花は一気に勢いを増し季節を謳歌するはずとは思うものの、なんとも待ち遠しことだ。
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2017年03月31日

菜の花

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 菜の花に春行く水の光かな  召波

「菜の花」、「春」と季重なりながら、誠にもっともな春の景を詠む。「春行く水」が眼目で、一筋の流れに乗って辺りの景も春の気もゆったりと移ろう様に、菜の花はむしろ脇役、点景のよう。
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2017年03月20日

温度も味のうち

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 毎度、芸のない話だけれど、コーヒーサーバーの光と影で楽しんでいる。
 温かい朝は、庭のテーブルでコーヒーを飲む。
 少しぬるくなれば、五徳に乗せてアルコールランプでゆっくり温める。
 温度もまた味のうちと知れる。
 炎に温められたコーヒーが対流をおこして動き始めると、赤味の勝った琥珀色が揺らめく。
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2017年03月10日

詩を読むとは

 そのひとは、乱暴な物言いになるけれど、と断って「ふざけるな!!と言いたい」と言った。

 聞くともなしに一晩中流しっぱなしだったNHKのラジオ深夜便も終りに近い時間帯だったように思う。何時から出演されていたのか判然としないのだけれど、落合恵子さんの只ならぬ声に目が覚めた。
 福島県の罹災者、他県避難者、仮設移住者に対する、行政の、そして何より我々日本人のあまりにも情けないなさりように、強い物言いになったらしい・・・。
 落合さんがさりげなく口ずさんだ長田弘さんの詩が胸に響く。
---どこにもいない?
  違うと、なくなった人は言う。
  どこにもいないのではない。

  どこにもゆかないのだ。
  いつも、ここにいる。
(詩集『詩 ふたつ』から「花をもって、会いにゆく」)

 長田さんは、この詩集の「あとがき」に記している。
---一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。

 これを記した前の年に、長田さんの奥さんが亡くなっている。
 その長田さんも今はいない。
 長田さんの詩を読むと、大いなる、魂へのレクイエムを聴く想いがする。
 
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2017年03月09日

揺らぎ

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 北風は冷たいけれど、陽ざしは春のもの。陽だまりの温かさは格別。
 わずかに残ったコーヒーを漱ぐために湯を注いで陽にかざすと、サーバーの中に琥珀色の春が揺らめく。
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