2017年09月23日

彼岸花

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 曼殊沙華とは、梵語で「赤い花」という意とか。
「死人花」、「捨子花」、「幽霊花」、「狐花」などおどろおどろしい別名で呼ばれることもあるけれど、秋を彩る花であることに変わりはない。
 夕明りにはまだ早い時間、傾き始めた西日を花越しに透かし見るのも一興。
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2017年09月18日

「動詞が消える」

 先日の朝日川柳(朝日新聞朝刊)に、
 だんだんと動詞が消える日記帳(東京都 鈴木了一氏)
とあった。
 吾日記帳を顧みるに、思い当たる節があって膝を打った。
 動詞の向こうには行動があり行為があり、輾転と開けて行く筋道が見えるけれど、動詞の少ない日記帳には、おのずから身辺雑記への感傷が増える。それも体言止めの記述となり、われながら味も素っ気もないと嘆息が洩れる。
 出不精とは何とも禍々しい物言いで逼塞を自己正当化するようで気が引けるからあまり言わないでいる。
 井坂洋子さんの『詩はあなたの隣にいる』(筑摩書房)を読んでいて面白い記述を見つけたので、孫引きになるけれど引用させていただく。

---先日読んだばかりの『こども論の遠近法』(影書房)という鼎談の本で、芹沢俊介が話していたことが思いだされた。
「人間はどのように日常を過ごしているのか、人間関係のなかでどのようにふるまうのかといった人間の日常性をシンプルに見ていくと、“何かしている自分”と何もしないで“ただそこにいることで成り立っている自分”があるという単純な事実が見えてきます。これを“する自分”と“ある自分”と表していますが、これはウィニコットという小児科医で児童精神科医の考え方から得ています。」
 芹沢は、社会は「ある(being)」より、「する・できる(doing)」を優先させるけれど、「ある」という存在感覚の養いこそが最優先で、「する」は「ある」がしっかり作られれば、おのずから個性に応じたdoingを展開できる、というウィニコットの考えを、共感をこめて語っていた。---

『子ども論〜』に当っていないので確かなことは言えないのだけれど、成長期の子供に対する考察(だと想像される)が、「する・できる(doing)」がめっきり少なくなった、川柳氏の言を借りれば「動詞が消える」日記帳を記す日々にも及んでくるようで、慌てて「終日読書する」と、動詞を書き加えたことでした。

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2017年09月13日

ランタナ

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 小さな一輪挿しに、ランタナの黄色が鮮やか。斑入りの緑の葉が優しく色を添える。
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2017年09月10日

今日の一行の七十一

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 秋あつき日を追うて咲く木槿かな  几董
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2017年09月09日

青いランプシェード

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 北大路魯山人の旧居を、北鎌倉から笠間市へ移築したという「春風 萬里荘」(笠間日動画廊附属)。
入母屋の屋根を持つ堂々とした風格のある茅葺屋根の建物。
 馬を飼っていたところを改装して造られた洋間に下がっている照明器具。明り取り用には別にシャンデリアがあるから、こちらはオーナメントとしてアクセントにつけられたものか。
 青いランプシェードが美しい。

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2017年08月11日

一輪挿し

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 愛用していた球形の一輪挿しが半分に割れてしまった。白釉を刷いただけの何の変哲もないものだけれど、庭の草花を一輪、季節ごとに挿して楽しんでいた。
 捨てるにしのびず、半欠けに水を入れて紫の花(残念ながら花の名前を失念してしまった)をそっと置いてみた。庭のテーブルでコーヒーを飲みながら、球形のときよりいいみたい・・・。
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2017年08月04日

ゆりかご

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 散歩の途中で微笑ましいものを見つけた。
「気づいた時には、もう格子から戻せないくらい大きくなっていたの」
 庭先に作った菜園でスイカを栽培したところ、フェンスの格子の間から蔓が伸びだして、みるみる大きくなったという。庭のものより大きくなって、とその家の奥さんが苦笑い。
 やむなく、ネットで「ゆりかご」を作り、大事に見守っているの、と。
「下宿人が一人できたみたいよ。」
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2017年08月02日

今年もヤマブドウ

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 鉢植えとは別に、先年、菜園の隅に植えたヤマブドウがぐんぐん蔓を伸ばし、間に合わせに作ったぶどう棚一杯に広がってたくさんの房を付けている。広さにしてわずかに畳2枚程度、つまり一坪ほどのもの。房の数6,70房はあろうか。
 今年は、近所のブドウ栽培農家さんに教えてもらった通り、房の長さを1/3ほど詰めて短くし、随時、小さな粒を摘果して粒をそろえた。お蔭で一粒ひとつぶの大きさが去年の鉢植えのものに較べると1,5倍、ものによっては2倍の大きさになっている。ただし、ブドウにはブドウ虫はじめ数種類の害虫が付くから大変だよ、とも言われていた通り、一本の枝にはブドウ虫が入って膨れ上がり、カメムシに似た虫がやたらめったら実をかじったりと、無農薬を実践するのはまことに気がもめることだ。
 でもいいもん、虫がつくのは美味しい証拠だから、などと負け惜しみを言いながら色づく秋を待っている。
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2017年07月30日

交差する時間 - 空の微睡むところ

 今日も空を仰ぎ
 空の微睡むところ
 空の機嫌の好いとき
 雲間から射す
 微光に乗り 
 心遊ばす

 かくれんぼの声がする
「もう いいかい?」
「まぁだだよぉ」

〈 見つけられたくないけれど
  見つけられたい 〉

 空の微睡むところ
 空の機嫌の好いとき

 ひとりぼっちの鬼が
 べそをかいている

 ※〈 〉:『異国の客』池澤夏樹より引用。

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2017年07月08日

トマト

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 朝採りのミニトマト。赤や黄や陽に輝いておいしそう。ミニトマトは、ブドウのように一房にかたまって実がなるので、熟すのもいっしょ。一気に採りごろになる。
 収穫しながら一個口に入れる。畑の贈り物に感謝しつつ味わう。うま〜〜〜〜い!!
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2017年06月29日

またもネジバナのこと

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 先日ネジバナのことを取り上げたばかりなので気が引けるのですが、今朝の散歩時、意外なことに気付きました。遊歩道の路肩左右に対になって咲いていたネジバナの花の巻きが???
 左のものが右巻き、右のものが左巻きなのです。別にしゃれた積りはないのです。朝夕に足を止めては見入っていたのに、ネジバナに左右両様あるとは気付きませんでした。
 ますます、ネジバナの謎が深まるばかりです。
※画像は、慌ててガラ携で撮りましたのでよくありません。
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2017年06月26日

ミニお話し会

 市立図書館友の会では、年に一回、1月の「大人のためのおはなし会」のほかに、3,6、9月にミニお話し会を開く。「大人の」とは違って会員同士の合評会みたいなもの。全員が参加して行うのが原則。
 明日27日に今年2回目の「ミニ」を行う。
 当方は、ジャンルは何になるのか自分でもはっきりしないけれど、ま、自作のエッセイといったものを発表する予定です。
  タイトルは「BOTTLE MAILそして『海で』」。「海で」は川崎 洋さんの詩。

 みなさんは、BOTTLE MAILという言葉をご存知でしょうか。
 瓶の中に入れられて川や海に流された手紙のことです。流されて波に揺られて見知らぬ河口や浜辺に流れ着く・・・。ときには、遠く異国の岸辺にたどり着くこともあるBOTTLE MAIL。
 英語では、message in a bottleと表現される ほうが一般的だそうです。
 Message in a bottle.瓶の中のメッセージ。
 この言葉をタイトルにした映画があります。1999年に公開されたアメリカ映画です。主演は、甘いマスクで人気のケビン・コスナー、その父親役で晩年のポール・ニューマン、彼もいい役者でしたね、渋くてね、そして
相方の女性をロビン・ライト・ペンが演じています。このロビン・ライトという女優さん、実に繊細に、揺れ動く女心を演じきっていましたね。気になってね、ネットで調べた事があるんですが、これが何と!!
 恋をして結婚して離婚して、恋をして結婚して離婚して、また恋をして・・・えーっ、そんなあ!!と思うくらい、恋に生きる女性として有名なんだそうでして、その記事を見てちょっと鼻白んだのを覚えています。でもね、あーこれが言うところの芸の肥やしってやつなのかなあってね、だから、あんなにデリケートにしかも激しく、愛を、女を演じることが出来るのかと感心したり複雑な思いをしたものでした。
 ですからね、みなさんもね、何かを表現したいと思ったら恋をするのが一番ですよ・・・なんてね。
 では、ですね、これからDVDなどでご覧になる方もおられるでしょうから、ネタバレしない程度に、どんな映画なのか、ざっと粗筋を紹介したいと思います。

 テリーサは、シカゴの新聞社に勤めている女性調査員。コラムや記事の裏付けをとったり、読者の投書に目を通して記事の内容に反映するエピソードをまとめたり・・・(残念ながら、中略)
・・・こうして出会った二人は、次第に惹かれ合ってゆく。

 ジャンジャン。この辺にしておきましょう。
 この瓶に入っている小さな粒々は、ガラスの欠片です。ビーチ・コーミングといって、海の砂浜で拾います。波打ち際より少し陸地に寄ったところ、海が荒れて大波が打ち寄せた海草やごみ、貝殻などが筋になって残っているところに混じっているのを探します。瓶などのガラス製品が割れて欠片となり、最初ギザギザに尖っていたものが長い間、波と砂に揺られ揉まれて角が取れて丸くなります。
 もちろん、BOTTLE MAILとは関係のないものがほとんどでしょうが、中にはきっと何処にも届かずに海の藻屑となって消えた手紙の這入っていた瓶のものもあるかもしれません。
 潮騒を聞くとき、その失われた手紙に記された言葉の数々が聞こえてきそうな気がします。

 では、ここで、この瓶に入っている一篇の詩を読みたいと思います。みなさんの心に届きますように・・・。

 「海で」 川崎 洋。(以下略)
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2017年06月25日

今年もハナイカダ

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 例年、結実しても大きくなる前に実がこぼれてしまって行末を見ることが出来ないでいた。が、今年はどうしたわけか、立派に膨らんだ実がいくつも付いている。このままどのように熟すのか見てみたい。
 「何を好んで・・・」とは、花やその実の妙を目にするたびに思うことだけれど、このハナイカダもその一つ。
葉のほぼ中央、主葉脈に花を咲かせて実を結ぶ。光合成の工場ともいえる葉から直接養分を供給されるのだから、合理的といえばこの上ない仕組みなわけだ。
 葉と実が、このあとどのように折り合いをつけてゆくのか、楽しみにしている。
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2017年06月24日

今年もネジリバナ

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  捩花(ねじばな)のまことねぢれてゐたるかな  草間 時彦

朝夕の散歩道、源氏川の堤防の百草(当方、雑草という言葉を好みません)の緑の中に、淡い桃色のネジリバナが数株、あちらにもこちらにも。何を好んで身を捩るのか?と、問いたくなるけれど、この螺旋形に巻き上がる姿がこの花の決めポーズ。小さな花にも蜜があるのだろうか、花に寄る虫を目当てにか蜘蛛が糸を流し始めた。
 この季節、かがんで覗き込みたくなるほど大好きな小さな小さな花の宇宙。
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2017年06月15日

今年もキョウカノコ

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  京鹿の子咲きて遠流の行在所  中西克喜
 
 手元の歳時記によると、「京鹿子の名前は、淡紅色の花序を京染の鹿子紋に見たてたもの。」(福田甲子雄)とある。緑の叢の中に、赤い茎も目に付く。その赤が、どこでろ過されて淡紅色の花となるのか、じっと見ているほどに不思議さが募る。
 掲句、京鹿子の「京」に、「行在所」が響いて、遠島に流されたやんごとなきお人の無念の年月に思いが流れてゆく。俳人の目は、見るものを見て、見るものを捨てる。そして見えないものに、遠く観照の光を照らす。
  
 
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2017年06月11日

今年もヘヴンリーブルー

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 吾小庭の青い花の極め付きは、ヘヴンリーブルーと言いたいところだけれど、園芸店で見つけたのは、「サカタのタネ」の「あさがお 青い簾 大輪」。定植して2週間ほどで蔓丈1mに満たない幼いものに、今朝一輪、花が咲いた。花の形といい色合いといい、蕾の独特の形まで先年楽しんだヘヴンリーブルーにそっくりだけれど何が違うのだろうか。霜の季節まで咲き続けるとあるのも全く一緒。
 ま、いいか、花の科には非ざるものを・・・。蕾も沢山ついているから、今年の夏も青い「簾」で過ごせそう。
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2017年06月07日

今年もヤブムラサキ

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 開ききっても、花の径は6,7ミリ程の小さな花。4枚の紫の花弁の中に球形の黄色い雄蕊があって、しばらくするとドームの屋根を開くように四つに割れて花粉が見えるようになる。雌蕊は半透明のクモの糸より細いくらいのものが、雄蕊を割ってツ〜イッと1センチほど突き出る。
 こんな小さな花にも蜜はあるらしく、身体のまんまるい花蜂がしきりに蜜を求めてやってくる。
 偲びやかに咲く小さな花だけれど、紫と黄色の配色といい、一見なよなよと見える雌蕊だけれど生命の営みを宿すしたたかさといい、自然の配剤には驚くばかり。秋には母なる花の色を請けて、紫の実が熟す。
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2017年06月05日

今年もホタルブクロ

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 淡々した、ピンクに近い薄い紫のホタルブクロは、この節の吾小庭の主役のひとつ。
 去年の秋、コスモスの花束をいただいた花美人の奥さんから、今朝の散歩のときに、濃い紫のホタルブクロを分けてもらった。ホタルブクロと言わずに、今どきのやたらと長いカタカナ表記のものなのかもしれないけれど、奥さんも正式の名は知らないと言う。花の姿形も葉茎もそっくりだから、ま、暫定ホタルブクロ。
 今朝は、忙しいからと切り花にしていただいたけれど、暇を見て一株鉢上げしておきましょう、と言ってくれた。奥さんがまた一段と輝いて見えた。いただきます。
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2017年06月04日

今年もニッコウキスゲ

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 弱々しい株立ちだったので心配していたけれど、一日と言えない、凛々しい花径が二本立って、そのうちの一本に、今朝、一輪花が咲いた。朝陽を浴びて胸を張って咲いている。別名、禅庭花(ぜんていか)と言うそうな。言われてみればそのように、庭にあって、「心を一の対象に集中し、正しくつまびらかに思惟し、無我寂静の境地に没入すること。」(『辞海』:禅より引用)に導いてくれるにふさわしい花の姿だ。

 
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2017年06月03日

今年もチドリソウ

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  六月を奇麗な風の吹くことよ  子規

 本格的な梅雨の季節に入る前の晴れ間は実に清々しい。
 掲句、簡潔に言い切ったかに見えるけれど、病を得て長い長い療養生活を強いられる子規の生涯を知っているわたしたちには、この季節の風の心地良さを感得するだけでよいのかどうか・・・。

 小庭に、今年もチドリソウが咲いている。昨年は庭一杯に株が増えて、濃い青紫、薄い紫、そして白花と咲き競っていて、花期が終ってもそのままに放置して種がこぼれるに任せていたのだけれど、期待した数は見られない。それでも、繁茂した下草の緑の中にすっくと背を伸ばしたチドリソウの立ち姿は、その花にもまして気持ちのいいものだ。
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