2005年07月29日

交差する時間 [ − 朝の訪問者

朝まだき
青き衣の翻り
白き細脛(ほそはぎ)艶やかに
彼の女(ひと)の足音忍びやか

ああ彼の女の訪れは
青き衣の翻り
青き扉の向こうから
細い吐息の甘やかに

やがて昇れる朝の陽に
薄らに映えるその影は
今日も美(うま)しく我が胸に
墜つ

さはさりながら恋ならず
ああ彼の女の訪れは
青き衣の翻り

去り行く夢の後影
海を渡れる風波の
絶えざる嘆きと仇をなす

ああ彼の女の訪れは
青き衣の翻り
今日も密かに我が胸を
撃つ

朝まだき
常なる刻(とき)の訪れは
天使の貌の意地悪子
青き衣の罪なるや
青き衣の翻り
青き衣の薄れ行く
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2005年07月24日

交差する時間 Z −マンホールの蓋に関する考察

穿たれた穴を塞ぐためだけに予定された円形の悲話は、疾うの昔に忘れ去られたまま、真夏の陽射しに溶け始めている。溶鉱炉の灼熱にさえ耐えたのに何という体たらく。竪に穿たれた穴を人々は常に恐れる。時に墓穴。時に陥穽。時に深井戸。隧道の大らかさには及びもつかない、おぞましい竪穴。人一人の穴と命名された悲しみの竪穴。投げ込まれるのは吐き散らされた愛の囁き。封じ込めるのは憎悪の泡沫。刻印された怨念を背負ってひれ伏す卑屈さと引き換えに得た、踏まれ続ける快感。

夜が更けて、笑劇(ファルス)劇場の小さな回転舞台となる。呼び込みが始まる。
(第一幕)
「黄泉の国の入り口は此処です!」
ト、べそをかいた詩人が叫ぶ。
(第二幕)
「妻の貞操帯に丁度いい!」
ト、立ちのぼる臭気に血迷った酔っ払いが、蓋に手をかけて叫ぶ。
(暗転)
突然、大きな音と共に閉じる蓋。
挟まれて悲鳴を挙げ続ける、真夜中の妖怪たち。

かくて「円形」は、人々の思い出へと昇華する。
posted by vino at 10:25| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

ギター教室 第6日

 7月21日
 先月の発表会を終えて一息ついた所為か、年長組(複数年受講者)の出席率が悪いと、講師が少々お冠。我々初級者5人組は、何とか頑張っている。
 仲間のSさんが、ギターを新調した。今までお古物のフォークギターで練習していたが、奮発してクラッシックギターに買い替えた。
 講師が調音を兼ねて、お祝いに一曲。ご存知「アルハムブラ宮殿の思い出」。ギターが心地よく響く。講師の見事な指捌きに、弦が踊っている。拍手。
  
 アルペッジオの練習。初めてのアライレ奏法。アポヤンドの単調な一音一音と違って、和音が響き合い、如何にもギターの音調らしく聞こえ、嬉しくなる。
 Sさんが首を傾げながら、先程の講師の演奏の時と余程音が違うとボヤイている。「同じギターなのになあ・・・」
 練習曲「ちょうちょう」「かざぐるま」。
 p,i,m,i. p,i,m,i. !? p,m,i,m ?考えると混乱する。
「右手は見ないで、左手を見て!無意識に指と指の間隔で音を掴まえられるのが理想です」ニコッツと笑いながら、キツイ事を仰るのが、講師の癖。
 話が弾んで、音階の話。
 ハ長調からイ長調まで、全音と半音、♯と♭の位置の確認。
「半音上がった音と半音下がった音、例えばC♯とD♭は、違う音」という辺りから、頭がコングラかって来る。
 全員目を白黒しているうちに、終了。
 午後9時半、帰路につく。
 車のハンドルを握ると、左手の指、特に人差し指と薬指が痛い。(力が入り過ぎている証拠だ。今のところ噛まれることもないので、小指は痛くない。一寸寂しい気持)


posted by vino at 13:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月21日

三つの祈り

 源氏川の堤防を行く。
 久し振りに、運動公園までサイクリングロードを自転車行。
 夏草の勢いがすさまじい。
 川の中州に堆積した泥砂に、葦が生い繁っている。川筋が見えない位背丈を伸ばし、群生している。
  
 平日の運動公園にしては珍しく、子供たちの歓声が聞こえる。そうか、今日から学校の夏休みが始まっているのだ。
 桜並木の下で、捕虫網を持った少年が、抜き足差し足、木に近付いて行く。発止と網を木に打ちつけたが、そのまま残念そうに空を仰いでいる。蝉が勝ったようだ。
 市民プールが賑やかだ。子供たちの嬉しそうな声に混じって、水面を打つ音が聞こえる。フェンス越しに水飛沫の上がっているのが見える。
 幼児用のプールでは、麦藁帽子を被って生白い身体を陽に曝している年配者も見える。孫の付き添いのようだ。
 子供と一緒に浮き輪で遊ぶ若い母親の水着姿もチラホラ。
 子供たちの夏休みは、大人たちにとっても楽しい思い出を作る良い機会になる。

◎ 水の事故や交通事故のないように・・・

 フレッシュロードから野球場、テニスコートへと回ったが、こちらには人影がない。
 野球場の芝生の緑が、一際色濃くなっている。フィールド内で雑草を取るおばさんたちが、日陰で車座になって談笑している。時々、大きなゼスチャーと共に、笑い声が弾ける。
 いつか新聞のコラムで読んだことがある。(幼児は、一日に平均400回笑う。大人は15回に過ぎない。大いに笑って健康増進に役立てましょう)それを実践しているかのような、おばさんたちの笑顔。暑い中ご苦労様です。

◎ 熱中症に気をつけて・・・

 帰路、橋の上から水の流れを見ていたら、近くの岸辺に立つ柳の木に、翡翠が一羽止まっている。持ち合わせのデジタルカメラを構えて、望遠に切り替えようとする間に、気配を察したか、翼をコバルトブルーに輝かせながら、川面を飛んで葦の繁みに消えてしまった。瞬間の美。

◎ 翡翠の個体数が、もっともっと増えますように・・・

 最近、祈ることが多くなった。熱心に教会へ通ったり、信心を持って仏壇に頭(こうべ)を垂れるという意味ではない。元々、森羅万象に宿る「気配」に祈念するアニミストを任じている。年と共に、その思いが嵩じて来ているように思うが、気弱さの裏返しに過ぎないのだと、忸怩たる思いも過(よ)ぎる。

 星野道夫の『流れる木』再読。何度読んだだろうか。文庫本がボロボロに近い。また書店へ行って、書架の中から、あのスカイブルーの背表紙の文庫本を探すつもりだ。
 最初に、数ある文庫本の中からそれを目にした時は、タイトルの通り、目の前にその本が流れ着いたように思ったものだ。
  残念ながら、数年前、好きな動物のひとつに挙げていた熊の取材中に、その熊に襲われて、若い命を落としてしまった。
 心優しい作者の笑顔が、眼に浮かぶ。
 全編、作者の息遣いと共に、静かな祈りの声が聞こえる。
posted by vino at 17:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『対人依存型二酸化炭素ガス欠乏症』その2

 看板を替えて数日経ったある日、Aの病院を一組の男女が訪れた。「対人依存型二酸化炭素ガス欠乏症」の患者と「対人依存型二酸化炭素ガス欠乏症患者に対する善意かつ無償行為に基づく二酸化炭素ガス被依存者」(この病の特徴である炭酸ガスの提供者の法律上の呼び名。以下「患者」と「提供者」と呼ぶ。)のペアーである。
 若く美しい女と中年でズングリと小太りの醜男。普通なら先ず考えられないという取り合わせ。
 Aは早速、二人の上にビニール製の幕で作られた
エアードームを被せた。濃密な呼気の摂取が、患者の早期回復に、より有効といわれ各病院に設置が義務付けられている代物。
「先生、呼吸が旨く出来ません。この人ぜんぜん協力的じゃないんです。それに、それに、選りによってこんな人と...」
 女は男にしがみ付きながら、それでいて嫌々をするように腕をツッパラカして喘いでいる。
 Aはしばらく二人を観察することにした。二人がこれ以上仲違いをしないように注意しなければならない。
 この病のペアーに対する医師の第一の仕事は、偶々顔と顔、口と口とを密着させることとなってしまった者同士の、精神的なケアーを行うことである。当人同士、いがみ合うことのないように、お互いに労わりと感謝の気持ちを失わないように。何故なら、心神の高揚により、何時「患者」と「提供者」が入れ替わることになるか、分からないからである。何と言っても、この病の特徴は、劇的な回復と劇的な罹病なのだ。しかもこの逆転時には、直ちに当事者同士がそのままの関係を続けるという訳には行かない。必ず一度は、第三者と交替しなければならないという厄介なところがあるのだ。野球で言うところのワンポイントリリーフがどうしても必要になる。そのままでは、酸素と炭酸ガスが堂々巡りとなって、交換効果が失われるかららしいのだ。
 現に、この微妙なタイミングを失したために死亡することが、この病による死亡率の大半を占めると言われている。従って、一組のペアーには必ず一人のスペアーが必要で、医師の第二の仕事は、時にそのスペアー要員となることだ。
 Aは、観察を続けながら、ドームの中の二人に尋ねた。
「君たちは、どうしてわたしの病院へ?」
 するとドームの中から、二人が同時に答えた。
「この病院で新しいものと言えば、表に立っている看板だけでしょう?この病院には、きっと先生の溜息が充満していると思ったの」
「われわれには、大いに役立つはずだと確信しましたのでね」
(やはり、そうか...) Aは、心底から大きな溜息をついた。
 と、その時、ドームの中から二人が弾けるように飛び出してきた。そして「提供者」であった男が、いきなりAの口元に齧り付いて行った。劇的な回復と、劇的な罹病、つまり逆転現象が起こったのだ。
 女はと見ると、二人には目も呉れずに、待合室の椅子に座って化粧道具を取り出すと、念入りに化粧直しを始めていた。先程の憔悴しきった様子は微塵も見られない。嬉々として、パックを敲き、ルージュを引いている。
 一方男は、A 医師を組み敷くように、エアードームの中にそのまま倒れ込んでいる。
 女は化粧を終えると、ひとつ大きな欠伸をして、何事も無かったように、靴音高く病院の玄関を出て行った。
 

posted by vino at 11:57| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月20日

『対人依存型二酸化炭素ガス欠乏症』

 診療科目に、長々とした病名の書かれた真新しい看板を見上げて、医師Aはホッとため息をついた。
 全く最近の世の中、予想もしない出来事が当然の如くに起こっている。病気にしても例外ではない。未だに正体の掴めない、人類にとって、否、全哺乳動物にとって究極の敵であると言われるウィルスによる新しい病名の症例が年々増え続けている。
 Aの病院の看板に書かれた症例も、医師であるAにとっては新病とも奇病とも何とも不思議な病気なのだ。
 方法はどうであれ、生あるものは必ず、空気中もしくは水中の酸素を摂取して生きているものだが、この病気は全く逆で、いわゆる炭酸ガスを呼吸しないと寸時も生きていられないと言う、世にも恐ろしいものなのである。 
 つまり、この病の患者は、酸素の代わりに、他人の吐き出す濃厚な炭酸ガスを密着した形で一定時間吸い続けなければならない。その時間は人によって個人差はあるものの概ね30分から1時間と言われている。
 この病が発見されると、世界中がパニックに陥ったことは言うまでもない。同時に世界中のあらゆる国々で、直ちに新しい法律が制定された。
 曰く「何人たりとも、『対人依存型二酸化炭素ガス欠乏症』の患者に対して、吾人が呼吸に際し発する二酸化炭素ガスの提供要求をうけた場合は、その要求を拒むことは出来ない。これに違反し、当該する患者を死に至らしめた者には、刑法に謂う殺人罪を適用し、これを処罰する」
 表現に多少の差異はあっても、発病の原因が究明されないまま、この病の特効薬が人の吐き出す炭酸ガスと分かってからは、このように世界中の国々で共通の法律が発布された。
 と同時に、新しい呼吸法や補助器具類の解説書やハウツウものが一斉に売り出され、それまでにも若者の間で爆発的な売れ行きを見せていた、口臭をなくす為のありとあらゆる商品が、いまでは避妊具や避妊薬以上に、人々の必需品となった。
 また、虫歯や歯槽膿漏を治療するものが、連日歯科医に列を作るようになった。
 
 看板を替えて数日経った或る日......

(次号へ続く)
posted by vino at 14:41| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

交差する時間 Y - 磁石に関する考察

気まぐれな磁鉄鉱が自ら精錬して注入した従順さを砂鉄の群れが蹂躙して消えて行った。あの者たちのあざとい仕打ちはどうだ!数を頼んだ輪姦?限りない数の慰撫?出来事のひとつひとつは常に極小のこと。吸着力の衰えを隠したまま陽炎の中に佇むのは磁石の持つ媚態のひとつ。癒し癒されればN極とS極の対極に夫々不変の命が宿ると確信したのは太古の昔だったが、今なお消えぬ大いなる錯誤感に漂っている粗野なる存在、磁石。求めすぎた日々の果て身に纏いつく悔恨の重さに、地軸を傾けたままの固まり、磁石。放出された磁力は石に収斂されないまま翼を畳み宙に浮かびながら死んでいる。科学者はその有り様を磁場と名付けて事足れりとした。吸着と反発との二律背反を受け入れるのは、現身を託つ磁石の持つ擬態のひとつ。N極とS極の果てに、諦めの吐息であるオーロラ光を揺らめかせている。虚空を棲家として......。
posted by vino at 18:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月13日

交差する時間 X−悲しみに

人よ
慰めは 時に
無言であるべきです

人よ
励ましは 時に
無言であるべきです

悲しみの嵐が去るその日まで
人よ
無言であるべきです

無言であることのもどかしさは
人よ 
時に 無知なる傲慢さがもたらすもの

人よ
そっと 人の世の涙を見るが良い
そっと 人の人となりを見るが良い

人よ
性急な思いやりは徒となり
人よ
緩慢な感傷は刃となり

あまつさえ 
人よ
人が人としてあるありようは
この上もない深間の底
光さえ届かぬ闇の底
浮かんでは消える泡沫(うたかた)の如

人よ
時に
人よ
彼(か)の人が 啓示の声を聞くまでは
無言であるべきです


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2005年07月11日

交差する時間 W−風 船

風船がひとつずつ
宙に浮かぶ

青い空に染むように
青い風船が浮かぶ

白い雲に染むように
白い風船が浮かぶ

緑の果てに染むように
緑の風船が浮かぶ

黄色い花に染むように
黄色い風船が浮かぶ

赤い夕陽に染むように
赤い風船が浮かぶ

それでよいのです
それですべてです

風船がひとつずつ
宙に浮かぶ

もひとつ浮かぶ風船は
風まかせ
風まかせ

何色にしよ
何色にしよ

風に色はありません

だから
風まかせ
風まかせ

風船がひとつ
風に染む

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2005年07月07日

Sudden Death

  聞くともなしに掛けっ放しにしておいたラヂオから、心に響く音楽が流れてくることがある。胸に応える歌声に、思わず耳をそばだたせることがある。慌てて曲目をメモしようとするが、そんな時に限って、曲目の紹介もなく曲がフェイド・アウトされて番組が終わったりする。
 止まった電車の中から、反対側のホームの電車に乗っている人と偶々目が合って、一言言葉を掛け合えたらと、空しい思いをすることに似ている。
 永遠なるフェイド・アウト。

 ガン死は、フェイド・アウトだという人がいる。
 心臓発作や脳出血、それに事故などは、本人さえ予測できない突然死に繋がるし、そうなれば周囲の者にとっても、別れの言葉を交わす時間さえ与えられないことになる。
 それに比べて、ガン死はゆっくりと時が過ぎるように訪れる。最近はホスピスなどの充実もあり、また痛みを抑える医療技術も進歩していて、ガン患者は以前のように痛みに苦しむことなく、その時を迎えられる。親しいものに、十分感謝の気持ちを伝え、事後を託すことも出来る。そのための時間を持てるのが、ガン死なのだと。
「だから、わたしならガン死を望みます」といった著名なガン専門医がいた。

 7月4日。知人のOさんが急死した。「急性心筋梗塞」。
 市のほぼ中心地に住んでいて、心臓の救急センターを持つ二つの大病院へは、どちらへもそれ程遠くない距離に住まいがあるのだが、救急車で搬送されたのは一つ隣町の地方病院だった。折悪しく、二つの救急センターとも急患で塞がっていたための措置だったらしいが、家族には勿論関係者には、遣り切れない無念さが残った。
 関連会社を含めて、四つの会社を経営している現役の事業家だった。四六時中、会社のこと、仕事に掛かりっきりで、「まるで24時間営業じゃないか、身体に気をつけろよ」と忠告したこともあった。享年59歳。

 喪に服している。何日間にすべきは分からない。気持ちの問題だと思っている。
 突然の訃報に、命の呆気なさに、何をする気も起こらずにいる。
 ご冥福を祈るばかりだ。

posted by vino at 14:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月04日

窓 辺

 昨夜来の雨が降り続いている。時折吹く風に煽られて、窓ガラスを敲いている。梅雨時特有の細雨ではなく、篠突く雨になった。
 仙丈庵の机に座って、コーヒーを飲みながら、ボンヤリ窓の外を眺めている。
 ウッドデッキに雨滴が踊っている。
 畳み忘れたビーチパラソルが雨に濡れそぼっている。
 遠く西の山々は、靄の中に沈んでいる。

 一つの俳句が、頭から離れない。

 明日よく死ぬための桃食べにけり
        大石 悦子(「鶴」同人)

 7月3日付、毎日新聞朝刊の、俳句・短歌のページにあった句だ。

「明日よく死ぬための...」という措辞に、ハッと胸を突かれた。
 中七から下五に掛かる「桃」が、頭の中で大きく脹らんでいる。

 句にある「明日」とは、単に今日の明日ではなく、今この瞬間から命尽きるまでの時の全容を言っているのだとすれば、遠からず訪れるはずの「その時」を見据えている作者の矜持が見えてくる。
 そのために食べるのは、水蜜滴る白桃を措いて他にはない。
 しかも、体良く小割りにされたものを、フォークなどでチマチマ取って食べるのではなく、薄皮を剥いだ丸ごとに、ガブリと齧り付くのがふさわしい。
 情念までも食べ尽くすように。

 俳句に限らず優れた詩歌は、当然のことながら、己を詠んで他を思い、他を詠って己を省みる。
 己は何時でも己であるが、他は、他者、他事、自然万般、そして絶対的な存在へと姿を変える。

 明日よく死ぬための桃食べにけり

 己の存在を、絶対的他者である死に対峙させて慟哭している作者がいる。

 雨が降り続く。
 コーヒーの香が匂い立つ。
posted by vino at 09:32| 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月02日

母に捧げる歌

 思えば遠い甘やかな日々
 あなたの奉仕の心に包まれて
 僕は何時も無心に遊んでいた。 
 
 記憶の彼方に去った事共は
 僕の心の深層に充ちた。

 ああしかし
 世の常の如
 僕もまた悩み多い時を得た。

 あなたの姿が見えなくなった。
 
 あなたの心が聞こえなくなった。

 それらの日々
 僕は暗い闇の世界と言うも愚か
 何者かの淵を覗いては溜息をつく
 己の煉獄にいた。

 物事は見えていた。

 物事は聞こえていた。

 ああしかし
 見ることも聞くことも
 心で感得し得なかった。
 唯、あなたの声を除いては。

 いつの日か
 僕はあの日のあなたを追い抜いて
 唯、理由(わけ)もなく老いた。
 背に負ったものの顔も見ず
 唯、ひたすらに走り続けたその挙句に...

 ああ何と言うことだ。
 何と罪深いことだ。
 僕の日々は
 あなたへの感謝の念を忘却して消えた。

 罪。罪。罪の数々。

 母。母。母の愛。
 何と美しい響きか!
 何と美しい姿形か!
 僕にとっては
 掛替えのない寄る辺。

 僕にとっては
 唯一、指を折って数えながら思う事共。

 ああ今こそ呼べるのに
 ああ今こそ言えるのに

 かあさん
 ありがとう。

   
 
posted by vino at 06:51| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月01日

時計の鼓動

 小さな部屋なのに、と家人に笑われるのだが、時計を二つ、壁に掛けている。それに、子供が使った古い木製の机の上に、卓上型の万年暦付きデジタル時計。机の引き出しの中には、父の形見の懐中時計が入っている。
 掛け時計の一つは、秒を刻む音が気になるからと元々使っていたものを買い替えた、秒針が滑るように動いてゆく丸型の時計。半透明で群青色をしたフレームが縁取っているだけの、シンプルなものだ。時計店で目に飛び込んできたものをそのまま買ってきた。
 もう一つは、茶色の四角い木枠の中に、コーヒーカップやポット類、そして台秤のデザインになっている文字盤が、いずれも凹凸のあるレリーフとしてはめ込まれているもの。時計の文字盤としては思い切った趣向だが、「仙丈庵」完成を祝して子供たちから贈られた。気に入って、机の上の正面の壁に掛けている。
 万年暦付きの置時計は、一昨年、市民囲碁大会で
優勝した時の景品に貰った。
 この時計で、面白いことを発見した。
 前に、新井満のエッセイ「誕生日は何曜日?」を読んで興味を持ったことを実行してみたのだ。
「そのことを知らないからといって、生命に別状があるわけではない。...そんなことを知らなくても、一向にかまわないのである」。
 新井氏が言うとおり、日常生活の中で、自分の生年月日が何曜日かを気にする人は、まずいないと思う。が、改めて聞かれてみると、妙に気になるものだ。
 そこで、万年時計のリセットボタンを駆使して、当方の誕生年と月をセットしてみた。タイムカプセルを御開陳することに比べたら、何のことはない瑣末事にはちがいないが、ボタン一つで数十年を遡り、昔の秘密事を覗き見るような具合になった。

 19X2年、1月12日。月曜日。
 そうか、我が誕生日は月曜日だったのか。分かったからといって格別な感慨も湧かないが、何故か懐かしく、ホッとした気分だった。
 母の話では、雪の降る寒い明け方だったそうだ。

 曜日の旅は、『暦の百科事典』でも出来ると、新井氏は書いている。

 机の中にある懐中時計は、何の変哲もない、国産メーカーの、ケースがステンレス製のもの。頭にストラップを付けるリングがあって、その中に大振りな竜頭が納まっている。
 ゼンマイ仕掛けなので、巻かずにいると止まったままになってしまう。
 けれど、これは、時間を確かめるためのものではなく、時折取り出しては、遅れがちな時間を合わせて、父を偲ぶためのものだ。竜頭を巻く度に、父の姿が思い浮かぶ。
 つい先日、十七回忌の法要の席で、弟や姉妹に見せたら、声を上げて懐かしがっていた。父が、彼らの家を訪れた折り、帰りの時間を確かめる時に必ず手にしていたものだという。そして必ず皆が皆、竜頭に手をやって、ゼンマイを巻こうとする。
「そんなにきつく巻いたら、ゼンマイが切れちゃうよ」と、こちらが気を揉んで注意しても、魅せられたように同じ仕種を繰り返す。
 以前、遊び心で、懐中時計の裏蓋を開けてみたことがある。
 不粋な外形からは想像も出来ない、実に精密な仕組みが収められている。
 精巧に加工された小さなビス類、秒を刻んで回転し続ける数々の歯車、その奥では、髪の毛より細いゼンマイが、フワフワフワフワ息づいている。歯車の軸受けにはめ込まれたルビーが、それらの目のように輝いている。息を呑む美しさだった。
 生きているッ。ビッシリと詰め込まれたユニットが息をしているッ、と思った。
 父の鼓動を聞くようで、しばらくそのまま見つめていた。

 かくて、我が安住の小部屋では、都合四つの時計が密やかに、しかし確実に、時を刻んでいる。
posted by vino at 15:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする