2005年08月29日

お尻考

 前回、「お尻」と書いて気になることを思い出した。
「尻は、座ると椅子に付く部分。いうところのヒップは腰の下で膨らみのあるところ。つまりスリーサイズでいうヒップは、臀部という」。うろ覚えだが、以前、物知りの人に教えてもらったような気がしてヴォキャ録(言葉に関する備忘録)を探したが見当たらない。
 と、リーダーズ英和辞典(研究社)を引いてみる。

・hip:臀部、尻、腰(周りの寸法)。とあり、臀部と尻が同居している。
・bottom:(椅子の)座部。(口語)お尻(buttocks)。こちらは、椅子と座ると付く部分が同棲中。
・buttocks:臀部、尻(nates)。なかなか臀部と尻が離れてくれない。
・nates:尻、臀部(buttocks)。
 
 次は「広辞苑」を引く。
・しり(尻・臀・後):器物などの下部、底面。据えたとき地につく部分。
・臀部:尻の部分。

 これでは、尻取りをやっているのか、メビウスの帯の輪に迷い込んでしまったのか、限がない。

 Sさんの狙うアングルは、中には際どいものもあったから、尻とも臀部とも即かず、総称として「お尻」としたが、はてさて如何なものでしょうか?
 ついでのこと、Sさんは、断じてヘアーヌード(嫌味な表現だ)は撮らなかった。
「僕にとって、女体は暗闇に浮かぶ白い丘、月光に輝く砂丘のイメージ。砂漠は不毛ですから、ヘアーは不要。それに、僕の技術では、オアシスにはまだ辿り着けない」と、意味深なお言葉だった。
posted by vino at 07:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月28日

お尻の美

 このところ、訃報が多い。
 知人で写真家のSさんが亡くなった。先に当ブログ『時間の尻尾』で紹介したSさんとは別のSさんだ。こちらのSさんは、人物専門。それも女性に限り、女性といえば、ヌード写真を得意にしていた。それもモノクロームだけ。
 Sさんは、決して被写体となる女性の顔を正面から撮らなかった。頭部を入れるとしても、後斜向かい、つまり、項から耳そして顎の線に何より拘った。極稀に横顔までが精々。
 何故女性のヌード写真に顔を入れないのか訊ねたことがある。
「顔は、語り過ぎて邪魔になる。下手をすると顔が入ったために、猥褻に陥ることがある。畏れ多くも折角女性の裸体を撮らせていただくのだから、女性の身体の美しさに語ってもらうに如くはないのだ」と。
 Sさんは、プロのモデルではなく素人さんを頼んでいたから、地方都市では憚られることがあったのかもしれない。そして苦肉の策として撮っているうちに、ある時期開眼をしたのだろうか。しかしSさんに聞けば、それこそ下司の勘繰りだと叱られただろうが・・・。
 ゆったりと横たわった女性のお尻から背中にかけて、逆光に白く浮かびあがったその美しさは、息を呑むばかりだった。追求し続けたのは、女性のお尻の曲線美。「ヌードのS」、「お尻のS」として、当市では名を馳せた写真家だった。
 晩年は、ある新聞社が主催する文化講座の「写真講座」の講師となって、アマチュアカメラマンの指導に携わっていた。 
 毎年秋の、県や市の主催する芸術祭・写真展には「招待」待遇で出展していたが、残念ながら今年の秋には、Sさんの写真を見ることが出来なくなってしまった。 
 写真仲間や弟子筋からは、遺作展の話も出ていると聞く。享年68歳。ますます円熟の境に達して、心酔者も多かっただけに、周りではその早い逝去にただただ驚くばかり。ご冥福を祈ります。合掌
posted by vino at 20:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

少 年 U- H海浜公園にて

 去る日、夏休み中の日曜日とあって、園内は沢山の家族連れで賑っていた。 
 
 ブランコや滑り台などの遊具が設けられたプレイゾーンの一角にある水飲み場に、一人の少年が取り付いていた。白いハンチングを被り、赤いTシャツ姿のサンダル履き。陽に焼けて駆け回っている周囲の子供たちに比べると、その少年の青白い顔や細い手足が、ますます病的に見える。近くに親らしい姿は見当たらない。
 少年は、飽かずに水飲み場の蛇口から離れずにいる。盛んに口を漱ぐかと思うと、蛇口を目一杯開いては噴水のように水を噴き上げさせ、得意げな顔をして水の行方を追っている。水の勢いが少年にとって驚きだったのか、陽光に煌いて出来た小さな虹を見るためか、数歩後退って見ている。
 そこへ、汗まみれの少年が一人、息を切らせながら水を飲みに近付いてきた。すると件の少年は,素早く飲み口を口に咥えると、何回も頬を膨らませては吐き出しを繰り返し始めた。その背中が、この場所は誰にも譲れないとばかりに尖っている。後ろに立つ少年は、待ちきれない様子で困惑気味に彼の背中を見つめている。ハンチングの少年は、上目遣いで周りの様子を伺いながら、飲み口を咥えたままグルリと一周したりしている。
 しばらくすると、順を待つ少年の兄だろうか、よく似た顔の、一回り身体の大きな少年が近付いてきた。ハンチング少年は、その気配を察すると、然も飲み足りたという顔つきでスイと蛇口を離れた。
 二人の少年は、快活そうに言葉を交わしながら、素早く手を洗い、水を少し飲むと、連れ立って遊具の方へ駆けて行った。 
 先の少年は、摺り足で水飲み場に近付くと、再び蛇口に取り付き、口に咥えたまま周囲を上目遣いに伺い始めた。
 
 遊具で遊ぶ子供たちの嬌声が、熱気の中で、一際大きく聞こえた。
 蝉の声が遠くになった。
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2005年08月20日

少 年

 蟷螂が、蝉を捕まえて食っているのを少年が見つけて、「蟷螂をやっつけてやる」と、蟷螂の首根っこを摘んだ。蝉は、すでに頭の半分以上を食われていて、かすかに手足を動かしているだけで飛び立とうという力さえない。そのことに、少年は少し失望した。
 その少年は、ここ数日来、捕虫網で蝉を捕まえては虫籠に入れたままにしていて、蝉が死んでも動ぜずに、亡骸をその辺の草叢にポイと捨ててしまう子供なのだ。
 蟷螂は、少年の細い指に捕らえられて、しきりに手足をもがきながら、目を怒らせたが、少年にはその怒りが通じない。その恐怖が届かない。少年の心は、蟷螂から蝉を解放したという正義感で充たされていた。
 次には、蟷螂の処刑に及ぶ。少年の足で一気に踏み潰された蟷螂は、腹部から臓物や少しばかりの体液を出してのたうち回っていたが、やがて息絶えたか、動かなくなった。 
 それをジッと見つめていた少年は、家から呼ぶ母親の声にフッと息をついて、一二度手を払うと、蟷螂を振り返り見ることもなく、家に駆け込んで行った。
  
 死んだ蟷螂の周りには、早くも蟻の一隊が取り付いている。
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2005年08月19日

緑陰に寄す

 例によって、併読継続中。
『ぼくの父はこうして死んだ』 山口正介(新潮社)
『小林秀雄の思ひ出』 郡司勝義(文芸春秋)
『日本人の神』 大野 晋(新潮文庫)
『男流文学論』 上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子(筑摩書房)
『食の一句』 櫂 未知子(ふらんす堂)
『万太郎の一句』 小澤 實(〃)
 
『ぼくの・・・』は、山口 瞳の発病から死に至るまでの、一子、山口正介による壮絶なる闘病の記録。悲しくて避けて通ってきたが、10年経った今、やっと氏の死を見つめ、心の中で受け入れることが出来た。彼の大人もまた、一人の人間として死んだのだ、と。
『小林秀雄・・・』、『日本人・・・』に通底するのは、日本人とは? 歴史とは? 自分とは? そして神とは? 本居宣長、柳田國男、折口信夫。巨人たちもまた、大いなる苦悩を生きたこと。
『男流・・・』女性の舌鋒は揺るぎなく鋭い。三人寄れば何とやら。「女流」の反語の「男流」は、馴染みの女と夜明けに飲む燗冷ましの如。据わりが良いような悪いような・・・。
『・・・の一句』暑さを楽しみながら、良書に親しみながら、ヒョイヒョイト摘み食いの醍醐味。
 併読の楽しさは、口直しの謂い。読書ノートの頁が捗る。が、次の引き写しを焦眉とする。
 
 アラン『わが思索のあと』
 ノートをとりながらつくった抜粋が一向に読み返されていないことに気づいてから、私はこうするのがよいのだと知るにいたった。すなわち、いっさいノートをとらず、また記憶にとどめようと努力もせぬこと、むしろ頭に浮かんだいかなる字句でも、たちどころに見つけられるまで書物に通暁してしまうことである。これがつまり教養なのだ。けだし最初に抜粋をつくり、以後はその抜粋しか読み返さぬような人の、なんと無教養なことか・・・(『小林秀雄・・・』より)
 ギャフン!!
posted by vino at 21:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

交差する時間 ]- トランポリンに関する考察

過去の一点に狙いを付けて、足で蹴った束の間の幸福な浮遊感。話の続きを促す密やかな呵責に噎せ返り、賢しらに今を怨む。「あのこと」を過去形にすれば今の僕への共通項ともなりえようか?過ぎ去った話にすれば、僕は最早其処には存在しない。だから?小賢しい微調整の末に伸びきったスプリングが軋る。錆付いた糾弾の繰言。頑迷なカンバス・シートは決して破れはしない。終わりのない自己救済の繰り返し。ただ限りなく自慰的に汚れ続ける。「あのこと」から飛び上がった代償は、着地点を見失ったことへの自嘲の渦。羞恥心を美徳とした代償は、墜落の痛みさえ伴わない徒労感。「あのこと」とは、僕の心に満ちる欺満。「あのこと」とは、僕の心に巣食った苦い笑い。「あのこと」とは、跳躍と墜落の、上昇と下降のアンビヴァレンス。
posted by vino at 18:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

交差する時間 \ - 公園の午後

赤い風船に 赤色の椅子を吊りました。 
公園の石畳に 二つの影が揺れる午後
わたしはベンチで見ています。
風船は重たげです。
椅子は淋しそうです。

青い風船に 青色の椅子を吊りました。
公園の石畳に 四つの影が揺れる午後
わたしはベンチで見ています。
風船は眠たげです。
椅子は悲しそうです。

黄色い風船に 黄色の椅子を吊りました。
公園の石畳に 六つの影が揺れる午後
わたしはベンチで見ています。
風船は話したげです。
椅子は恋しそうです。

公園の石畳に 六つの影が揺れる午後
わたしはベンチで独りです。
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ギター教室 第7日

8月5日
講師「左手の指、特に中指と薬指の間がなかなか広がり難く、苦労すると思います」
生徒「仰るとおり、苦労です」
講師「左手を、掌を下にしてテーブルの上に広げてみましょう。次に、中指の第2関節まで折って、小指と人差し指を動かしてみましょう。大丈夫、皆さん動きますね。では、薬指はどうでしょうか?」
生徒「動きません。納得!」
講師「お分かりのように、薬指は不器用な指ですから、普段から意識して広げる訓練を続けて下さい」

 練習曲、「やじろべえ」、「ぶんぶんぶん」、「一週間」。「やじろべえ」は、ラからラへの1オクターブの折り返しの単調なもの、と思ったら、講師曰く「この曲は、短音階(イ短調)の練習曲で、基本中の基本です。繰り返し練習すること」単調なものほど、聴かせるように弾くのは難しい、とも。
 そういえば、前に紹介したコーラスグループのリーダー、Iさんの話にも共通するものがある。
「一見、単調そうに思える『シャボン玉』、これが難しい。唄えば唄うほど奥の深い味わいのある曲なんだ。グループの持ち歌にして、発表会の度に唄っているけれど、毎回違ったものが出来上がる。シャボン玉が飛んだり弾けたりするように、歌の出来も旨く飛んだり、弾けてポシャッタリするんだ。だから、この童謡から、なかなか卒業できないでいる」

 自然短音階、和声短音階そして旋律短音階!?講師が何回か弾いてその違いを説明するが、分かったような分からないような......。
 楽器を弾くのも体力勝負だわい、とつくづく思う。2時間の練習時間を終えると、腰が痛い、肩が凝る、指先が痺れる。でも、まだ教則本『こどものギターきょうしつ T 』の半分を過ぎたところだ。見たことはないけれど、この教則本のシリーズだけでも、Vまであるらしい。先は長い。ホップ・ステップ・・・ホップ。 
posted by vino at 09:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

蝉の羽化

 庭のあちこちに、蝉の抜け穴が見える。長年の地中暮らしを了えて、やっとの思いで地上に出てきて成虫になったら、多寡だか10日足らずの命だという。蝉の選んだ本態だからとは言え、傍目には何とも割に合わない、儚い一生と思えるが、その10日ほどの間、蝉は只管恋を唄い、恋に命を懸けて生き抜くわけだから、それはそれで凝縮された充実の生涯に違いない。
 庭木や下草の至る所に、彼らの脱け殻が目に付く。
 
 昨夜、蝉の羽化を見た。
 縁先近くに植え込んだギボウシの花茎に付いた、小さな葉裏に、羽化を始めた蝉を見つけた。 
 先ず、頭が剥けて、突出した目玉が出て来る。小さな黒い目玉に瞳を点じたように、灯りが映り、ジッとこちらを伺っている気配。
 木の下に近付いただけでも飛んで逃げて行くほど用心深い蝉が、間近に覗かれてどう思っているか、可哀想とは思ったが、余りにも神秘的な成り行きに目が離せなくなってしまった。
 全体に乳白色をした身体の輪郭を隅取って、薄緑色の筋が走っている。ウスバカゲロウの持つ色合いに似ている。
 自ら羽化を促すように、上半身をゆっくりと反らせ始める。前脚をモゾモゾ掻きながら、時折ブルルンと身体を震わせる。と、コマ送りのスローモーションさながら、クッ、クッと尻尾の部分を残してほぼ全身が殻から離れる。背中に丸まって畳込まれていた羽根が、見る見るうちに伸びて行く。この時、蝉は、全身の力を使って体液を羽根に漲らせて展ばし切るのだそうだ。肢脈の緑色が白い肢体に蛍光色に輝いて、息を呑むほどに美しい。まさに羽化のハイライトシーン。展ばし切ると、初め、取って付けたように平板だった羽根が、身体の線に添って湾曲し、蝉本来のスマートな姿かたちが完成する。命が漲って、美しいミンミン蝉の雄の誕生だった。
 その後彼は、羽化の疲れを休めるためか、ジッとしたまま動かなくなった。
 この辺でドラマの終演か、と時計を見ると、荘厳な命の誕生の瞬間に見惚れているうちに、2時間以上が経ってしまっていた。
 
 翌朝、夜明けを待って庭に出て見たが、脱け殻だけが朝日に輝いているばかりで、すでに彼の姿はなかった。
 朝食後、仙丈庵でコーヒーを飲んでいると、デッキの先の柿の木で、突然一匹のミンミン蝉が鳴きだした。まだまだ鳴き慣れない、拙い鳴き方だった。
 誕生して間のない蝉、殊にミンミン蝉やツクツク法師は、鳴き方が独特なだけに巧拙が目立つように思える。だから思わず、「頑張って旨く鳴けよ」、「いい伴侶に巡り合えよ」と、応援をしたくなってしまう。
  昨夜、羽化の始終を見届けた件の一匹かも知れないと思うと、必死に唄う蝉が、一層愛おしく思われてならない。
 
 柿の木のミンミン蝉は、一鳴きして程なく、何処かへ飛び立っていってしまった。
posted by vino at 16:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする