2006年01月30日

物・好きこそものの上手なれ


DSC00844.JPG 先日、「ボタニカルアート描き方教室」なるものを受講してきた。
 当日のテキストによると、ボタニカルアートとは、「植物学的なアートの謂いで、色や形に誇張を加えず、実寸で細密に描かれ、かつ観賞にたえる芸術性をそなえた絵画」とある。
「描かれた作品からその植物の名がわかるほどに特徴を正確に描くこと」

 当日持参したもの:HB,Bの鉛筆、透明絵の具(12色以上のもの)、面相筆2本、パレット、筆洗用具など。また、特に描きたい画材があれば各自持参する。
 
 講師は、本田、三浦両女史。
 上記のテキストに沿ってガイダンスの後、早速デッサンに取り掛かる。
 受講生は30名ほど。やはり女性が多い。男子は当方を含めて6名。この手の習い事にしては、男子2割は良とすべきか。まだ若い家庭の主婦も何人か。
 各自のテーブルの上には、思い思いの花、観葉植物、南天や山茶花などの花木が並んでいる。当方は、会場で用意してもらった山茶花、同行の家人は南天を描く。
 最初に、硬軟の鉛筆の使い分けを教えてもらったが、聞くと実践とでは大違い。形が決まらず、消しゴムの粕がテーブルに溜まり始める。
 細密画を目指すのだから、まず良く「観る」必要があるわけだが、葉の形が掴めない。枝に付いているところの力瘤、葉縁のギザギザ、葉脈の表現、細いながらも枝のゴツゴツした肌合いは、どうしたら良いのだろう。
 高さ30センチほどの山茶花の一枝をかき始めたのだが、出来上がったのはヒイラギのような葉形。吾ながら絵の才能の無さにがっかりしてしまう。
 思い余って、鉛筆削りに用意したカッターで剪定を始める。そしてB4のケント紙にイラスト状に部分描きをする。細密画には程遠いが、初心者にしてはまずまず、との評を得た。(何事も講師は褒め上手が肝要。)
 午前10時から午後3時までの受講時間があっという間に過ぎてゆく。それなりに集中して絵を描いていたことになるのだろうか。

 帰りに、隣の展示室で開かれていた「ボタニカルアート展」を見て、驚くやらがっかりするやら。
 国立科学博物館、第21回植物画コンクール特別賞の山本千颯さんの「カラスウリ」、文部科学大臣賞の久能千果さんの「クヌギ」などは、ため息が出るようなすばらしい作品。その他、小中学生の作品も力作揃い。
 格好な目標を見た、と言えばよいのか、己の才を思い知らされたと言うべきか。
 それでも、家人と連れ立って、苦笑しながら、自分たちの作品は大事に持ち帰ったことでした。



posted by vino at 14:50| 絵空事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月23日

交差する時間-美しきもの見し女(ひと)は

悩めるあなたの心が吸い上げられて
目眩く光のページェントに溶け込んでゆく。
この時、五感に触れた“風景の自己分身(ドッペル・ゲンガー)”を
あなたは忘れないだろう。
“そこにいて、そこにいなかった”充実した空虚感を、あなたは忘れないだろう。
 
アー薄緑色のヴェールよ
アー紫の天の衣よ。
音もなく崩れ落ち、瞬時に復(か)える
天の戦き。
全天を翔け行く宇宙の言祝ぎ。
オーロラよ、オーロラ。

極寒の大気の中で
流れる涙の何と熱いことか。
吐く息の何と白いことか。

夜の闇の中で持つ人間の炎の
何と小さなことか。

回帰せよ、大いなる光よ。
戻り来よ、大いなる時よ。

音の無い光の轟に晒されて
あなたは見上げた首(こうべ)で頷きながら
叫び、祈る。

夜の闇の中
祈る言葉の何と懐かしいことか。

美しきもの見し女(ひと)よ
その時あなたは、麗しの自己分身に出会うだろう。
posted by vino at 10:30| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月02日

ひた向きに

 去年(こぞ)神に
  今年は仏に
   無事祈る 栄光

 叔父の賀状の句だ。
 毎年のことながら、唯一句のみ、賀状一杯に、色紙のごとく墨痕鮮やかに描く。叔父の書体は、「書く」というよりも「描く」というにふさわしく、十七文字が紙面から溢れんばかり、所狭しと踊っている。
 叔父は三年前に、くも膜下出血で倒れ、一時は重篤な状態にあり、主治医の、「万に一つの可能性に賭けましよう」という言葉に、手術の間、家族親族、ひたすら祈り続けた。手術を終えて「医師として、初めて『奇跡』という言葉を信じたくなりました。もう大丈夫でしょう。」という主治医の言葉を聞いたときは、一同抱き合ってうれし泣きに泣いた。
 一時、失語症の症状が出たが、順調にリハビリを続けた結果、身体のどこにも麻痺が残らず、今では以前のように俳句を作り、独特の書体で手紙を認めるまでに回復している。 
 叔父は独学で俳句を学び、この人といって師事した人はいない。ただ、毎日俳壇の選者であった、今は亡き山口青邨氏に私淑し、数多くの特選句を得ている。
 そんな叔父からの今年の賀状の句は、わが身のこととしても身に沁みて受け取った。
 年年歳歳、一年一年の重みが増してくる。年頭に当たり、只管、一年の無事を祈らずにはいられない。
 数年前の賀状の句も記憶に新しい。
 
 朱い独楽
  まっかとなりて
   廻りけり

 この句に対する当方の評:
 朱い独楽が、朱く廻っている。何の不思議もないけれど、見ていると、ますます色が濃くなって真っ赤になって廻っている。
 廻っている独楽の色が収斂されて、いよいよ朱くなって行く。澄んで廻る独楽は、そのまま孤高の人である。真っ赤な色には何の外連味もなく、迷いも汚れもない。熱く気迫を発し、まるで道理を諭すものの如くである。
 作者の魂は常に表現の彼方にある。燃えるような情念、もの憂い思い、憂愁、苦悩、さらには、やり場のない怒り等々。作者の研ぎ澄まされた繊細な感覚は、それらを表現して余りある。

 いささか贔屓の引き倒しの嫌い無きにしも非ずだが、屠蘇気分に免じてお許しを願います。

 今年一年、皆様の無事を祈ります。
 

posted by vino at 20:52| 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする