2006年02月25日

発表会

 9時、楽屋入り。文字通りの大部屋。本日の他の出し物のグループも入れ替わり立ち代わり。都都逸愛好会の奥さん方は、長襦袢姿でお召し物を着替え中。チラリ。大正琴のグループも片隅で着替え中。昔、若かった方々が、白いブラウス、黒のロングスカート姿になると、颯爽と舞台へ向かって行く。
 9時30分。合唱隊も集合し、通し稽古が始まる。こちらは、板の間に胡坐をかいてギターを弾く。それでも、2回、通すことが出来た。
 10時。係りの合図で、一同、鳥屋口から舞台の袖へ。
 舞台の上では、先ほどの奥さんたちがスポットライトを浴びて、大正琴の演奏中。
 古賀メロディーが始まった時、袖で一人、ギターでトレモロを弾きはじめた「不届き者」がいて、舞台の係員に指を口に当てられて注意される。懐かしのメロディーを3曲。なかなかのアンサンブルに袖幕の陰から拍手を送る。
 暗転して、忙しく舞台の模様替えが始まる。大正琴はテーブルを使うのでこれが大変。椅子はそのままに、代わって我々の譜面台が置かれる。
 いよいよ舞台へ。
 結構手荷物が多いのです。ギターはもちろん、譜面、譜面受け台紙、足台、そしてチューナーにピンマイク。もたつきながらも配置について、一呼吸。係りの合図で一斉に、スポットライトが点灯される。
 この瞬間がたまらない。
 客席を見渡すと、500席ほどの座席が、6割の入りと言ったところ。
 バンドマスター?のS氏の号令で、一同起立、礼。
何と今日は、講師氏は2列目の真ん中、つまり当方のまん前に座っている。背中で聞かれたら、ミスがたちどころに分かってしまうではないか。改めて気を引き締め直す。とは言っても、妙にリラックスした気分。流行りの言い回しで言う「緊張感を楽しむ」感じとはこんなものなのかしらん。
 第一曲目、講師の編曲による『新日本紀行/小さな旅』変奏曲。
 後には先日のごとく、女性コーラス隊が・・・オッと、今日は全員、黒のロングスカートに、朱鷺色の
ジョーゼット風のブラウスで決めているゾ。当方の背中をドヤしたオバサンも一寸すまし顔で立っている。皆さん頗るつきのチャーミングな出で立ち。
『小さな旅』に入ると、全音符は少なくなって、四分音符、八分音符、付点音符、♯、bと運指が大変。しかし、集中していたためか、練習の成果か、最終章のジャーンまで、無事に弾き終えることが出来た。
 第二曲、『冬のソナタ - はじめから今まで』
 途中のセーニョ記号さえ見落とさなければ、無事弾き通せるはずだ。コーラス隊のハミングは気合が入っているぞ、声が良く出ている。背中に声をぶっつけられている気分。ウ・フ・フでジャーン。
 三曲目、『花』。♪はなはながれてどこどこゆくのー♪今日は、ソプラノとアルトのハーモニーが美しく響いてくる。アレ?聞き惚れる余裕?これがあったのですよ。そして何時も音符を見失うサビの部分は、思い切り強めに、いえ、メリハリを利かせて弾奏しました。最終章へのハミングのところは、タイ記号の連続。拍数を心に刻みながら、ジャーン。

 やったー!!大きなミスも無く無事終了。あれ!?もう終り?という感じ。物足りないなどと言ったら叱られそうだが、やることをやっていて良かった。
 アスリートがよく言いますね、「練習は裏切らない」と。コレ、本当みたいです。身に沁みて実感した次第です。

 これから、客席中央で聞いていてくれた友人のH君と打ち揚げの宴?に向かいますのでこの辺で。
(酒の肴に、何ていわれることやら・・・)


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2006年02月24日

リハーサルの巻

2月23日

 ギター教室 第20日
 
 今日は、発表会前のリハーサル。当日と同じ設営で、椅子を並べ、譜面台を置く。
 入場から演奏前の挨拶の仕方、チューニングと続く。その時、前回(先週の16日)に張り替えたばかりの弦、第4と5弦が、突然ほつれ始めた。
 
 この5日間ほど、随分練習しました。デモCDに合わせて3曲通しを何回繰り返しただろうか。肩は凝る、指先は痛さを通り越して痺れる、目はショボショボ。でも、ハモれるようになると欲が湧いてきて、もう1回、もう1回と飽くことがない。

 発表会当日でなくてよかった。講師は忙しいので、今日は独り、舞台の袖で急ぎ張り替え始める。見様見真似だが、やれば出来るものだ。チューニングをやり直して、女性コーラスが入場したのを機に、演奏に加わる。
 3rd5名は、最後列の椅子席。その後ろに、コーラス隊が立ち並ぶ。
 はじめのうち、前列の1stギターのテンポとコーラスのテンポが微妙にずれて戸惑ったが、3rdが引っ張ってやらねばと、目一杯爪弾いて音を出す。

 女性コーラスのリーダーが独り、客席中央から大きな声でダメを出す。
「ぜ・ん・ぜ・ん・き・こ・え・な・い!!お・も・い・きっ・てー・こ・え・を・だ・し・てー!!!」
その声の、よく通ること!
 通し稽古3回。
 女性コーラスの息遣いが、耳の後ろに迫って聞こえて、何ともセクシーなんだな、これが・・・。
 そのことを声に出して言ったら、いきなり、オバサンに、背中をドンとどやされてしまった。桑原桑原。

 午後9時、片づけをして散会。

 舞台に乗ると胸が騒ぐ。
 緞帳や袖幕など幕類は全て撥ね上げた状態で、空っぽの舞台だけれど、何かが息づいているような、この緊張感にワクワクする。
 昔々、アマチュア演劇で遊んでいたころは、照明から音響、舞台装置まで、みんな手造りだった。汗みどろになって舞台の上を駆け回っていた青春時代が懐かしい。

 発表会は、いよいよ25日、午前10時開演。楽しみだぞー!

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2006年02月21日

『詩への小路』

 例によって乱読のこと。

『詩への小路』(古井由吉:書肆山田)

 回り逢い、とは、あるものだと思う。人との回り逢いもあれば、事物とのそれ、なかんずく書物との・・・。
 当然のことに、回り逢えば、次には別れがくる。
 忘却という、形の違う「別れ」もある。だから、回り逢いには、「思い出」を加えても良いのかもしれない。

『・・・小路』に佇んで、色々な思い出に回り逢うことが出来た。
 かと言って、『・・・小路』に、思い出話が詰まっているわけでは、勿論ない。読み進むうちに、こちらの心が解きほぐされて、様々な景色が甦ったに過ぎない。
 文章の力、と言う。豊かな表現力、とも。
 日本語の美しさ、重奏する響き、奥に潜む濃厚な深意を味わう。
 著者は言う。
 < すぐれた詩文は、節々でほかの言葉による正確な着地を許さないように出来ているらしい >
 
 詩句の一字一句は、他に置き換えられるべくもなく、ましてや他国の言語に移し変えることなど、不可能に等しい、という苦渋を味わいながら、著者は『・・・小路』を辿る。逡巡と悔恨の呟きが残る。
 しかし、リルケの「ドゥイノの悲歌」に至る道程は、著者の洞察力に満ちた光に照明されている。ボードレールと出会い、クライストやヘッベル、そして漱石などと語らいつつ、遠くギリシャ悲劇の舞台を見据える。
 主低音は、生と死、そして神。
 人は何故に神話を生むか。
 回り逢った詩人たちの詩作を、その没年から遡って辿り直した末に、著者の「老いの」眼差しが何を見抜いたのか。
 点々と『・・・小路』に残る著者の足跡は、豊潤な「言霊」となって昇華し、読むものの胸に木霊する。 
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2006年02月16日

ジョウビタキ

 このところ、山桜の薪の山が幾つも出来て、リッチな気分でいる。
 以前、当ブログ「花を食べる」で紹介したことのある友人のK君が、東屋を作るのだと言って、裏山の雑木を倒したおこぼれを頂戴した。
 中に数本、山桜が混じっている。
 早速チェーンソーで40センチほどに切り揃え、斧で割り始める。
 山桜の木は、椚や楢に比べると、その樹皮は極薄いけれど頗る丈夫で、東北地方などで曲げ物の留めに利用されるのも納得が行く。
 木目(きめ)は割合素直で、斧の一振りで、スパンッと気持ちよく割れる。(椚や楢などの堅木は、切り株近くのものほど、とても一撃では割れずに、目から星が出るほど苦労させられる。)
 割り肌の周囲は薄ピンク色の白太だが、芯は惚れ惚れするほどの赤身。陽射しに眩しく輝く。
 割り終わったものから井桁に組んで積み上げてみると、腰の高さほどのもので6山出来た。
 山桜の木は、燻製に使うくらいだから、燃やすと甘い香りが部屋中に漂う。この匂いがまた、ウィスキーにピタリと嵌るんですよ、これが。

 薪を割り始めると程なく、ジョウビタキが近くの庭木にやってくる。
 時々、割れ目に、巣食っている昆虫の幼虫が現れるのをどうやって知るのだろうか。薪を割る斧の音でそれと分かるのだろうか。
 クッ・クッ・クックッ、パキンッ。
 次第に鳴き声の間を詰めて、「早くご馳走を頂戴!」と催促する。こちらは痛む腰を摩りながら「ハイハイ、どうぞ」と退散する。
 仙丈庵(当方の遊び部屋)に戻り、薪の山と虫を漁るジョウビタキの姿を眺めては、コーヒーを飲む。

 今年の寒さで、随分ストーブを燃やし続けたから、ウッドデッキの下の薪の山も淋しくなってしまった。
 いきおい、K君の山仕事に期待することになる。
「偶には山仕事も良いもんだよ」と謎を掛けられるが、見た目以上に険しい山の傾斜に恐れをなして、未だにK君の山には入っていない。
posted by vino at 12:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月15日

蝋梅咲く


蝋梅.jpg
 このところの暖かさで、固かった蕾がやっと二輪綻んで、顔を近付けると、仄かに上品な香りが漂ってくる。
 春の陽に、透き通る黄色の色合いがなんとも美しい。(拙い写真ですが、クリックしてご覧下さい)
 今年の寒さは厳しかった。
 まだまだ、寒の戻りがあったりして油断がならないが、寒さにめげずに凛と咲く花を見ると、こちらの顔も春を迎える顔になるらしく、何か良い事、ありました?などと家人に尋ねられて慌てたりしている。
 白梅の“月影”の蕾は、まだまだ固い。 
 山法師には、一つの蕾も見当たらない。一昨年は枝一杯、満開に咲く花を楽しめたのに、昨年は軒端近くの一枝にチラホラと見られただけでがっかりしたが、今年はもっとひどいことになった。
 知人のIさんの家で、昨年の秋にタップリとお礼肥を施したと言う話を聞いた時、当方は、山の雑木に肥料でもあるまいに、と話半分に聞いて笑ったが、どうやら花木には肥培管理は必要なものらしい。
 それに比べて、我が家の庭の主、姫辛夷は、例年に違わずギッシリと蕾を付けている。葉が落ちるとすぐに見えた、産毛に包まれた蕾が、じっと季の到来を待っている。 
 片栗、「トトロの森」の団栗は、まだ眠ったまま。

 
 郵便受 からっぽ バレンタインの日   

                栄光

 2月14日、家人からのささやかな「義理チョコ」一つ受く。     
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2006年02月12日


nakata_main.jpg 新聞広告で、『アサヒカメラ』2月号に、「星野道夫の未発表写真」とあったので、早速書店に走る。
 その死に至るまで、ひたすら熊を追い続けた星野氏の力作数葉。
 地上最強の猛獣と言われる北極熊のラブストーリー。求愛の時の、親子の語らいの時の、細めた白熊の目が、愛を語る。
 被写体に極限まで近づいて撮影する星野氏の熱い息遣いが聞こえるようだ。

 グラビアを繰っていて、中田 明氏の「夢想するオブジェ」に溜息。
 金属を被せられた植物のオブジェを、大判のカメラで撮影したものだと言う。
 以下、中田氏の写真展を開いているUnder Publicのホームページからの紹介を引用させていただく。(写真共:クリックすると拡大されると思います。)
 ある展覧会で、H鋼ばかりの巨大な造形物を創る変 な作家に出会い、鉄の錆を使った作品に影響受ける。
 そんなとき、天ぷらを食べていてふと気づく。
 野菜は衣を付けたら天ぷらになる。
 金属の衣でコーティングすれば野菜も「錆びる」・・・? 
 その後、試行錯誤の末に銅や植物の腐蝕による「植物を超えた植物の表現」を確立。

 下手な表現で作品を紹介して中田氏の力作を打ち壊しては申し訳ないので、興味のある方は「アサヒカメラ」2月号、または上記のホームページで是非ご覧下さい。素晴らしい作品です。(こんなときリンクを張ってスマートに紹介できないのが残念。操作が分かりません。)

 当方もその昔、「錆」に興味を抱き、溶接機を悪戯していて、とんでもない目にあったことがある。
 その時の失敗談はいずれ後日のこととします。
posted by vino at 18:30| 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月10日

交差する時間 − 回転椅子に関する考察

 気配を察して振り返れば
 過去は未だ現れず
 未来は疾うに過ぎて行った
 だとすれば 
 背後に迫るものは何か

 対峙する覚悟は未だ生まれず
 命の発露は疾うに死んでいる
 
 何故
 人なのだろうか

 人として生きることとは

 物への想いは
 幾層にも連なって未だ醗酵せず
 幾度(いくたび)の祈りは
 悔悟へと糾われ疾うに消え去っている

 今座ることの許されている椅子の
 唯一の回転軸は
 中空に固定されることなく
 綱渡りのピエロの足元のように
 震えている
 とは
 羊水期から見慣れたことだったが
 思い知らされるのは
 常に「今」「この時」だ

 気配を察して振り返れば
 可惜使い古された椅子が一脚
 宙ぶらりんと回転している

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2006年02月09日

舌を巻く

 例によって乱読のこと。
『すばる歌仙』(丸谷才一、大岡 信、岡野弘彦:集英社)
 帯に曰く、「文人三氏が盃を重ねながら遊ぶ風流の世界」

 いずれ劣らぬ才人が、丁々発止と渡り合う言葉の極致、知の遊びを味わう。
 読み了えるに惜しい、味の濃い連句の世界が広がる。
 巻中、丸谷氏が言っているように、小説家、詩人、そして歌人の三者三様、「業種」の違う連衆の取り合わせが絶妙で、随所に、三氏の特質が表出される。
 歌仙を巻くとは、受け過ぎても興醒めになり、定跡を外して受け損ねては形にならない。
 したがって、連衆の素養が問われることになるが、この顔触れ、三氏共に不足のあろう筈がない。
「盃を重ねながら・・・」とあるので、三氏の酒器に思いを馳せてみる。
 丸谷氏は、肉厚の志野物の猪口でグビリとやる。勿論手酌、マイペースで。時に、盃の向うに降る雪を見て。
 大岡氏は、極薄手で腰高の色鍋島。
 誰かが銚子を傾けて薦めてくれるのを待っている。連句の季に合わせて、梅、あやめ、牡丹、そして菊の絵柄を楽しんでいる。
 岡野氏は、備前物、大振りな猪口を持ってもらいたい。盃に揺れる月影を見ながら、一杯の酒を、嘗めるようにゆっくりと味わっている。

 さて、こちらも、燗酒持参で、お三方の歌仙に紛れ込ませていただきましょうか。
 高踏なお遊びは、まだ続いているようです。
 皆さんも、ご一緒に如何ですか?
posted by vino at 18:09| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月06日

交差する時間 − 友へ

 
 夜明け前から予感された雪が
 今、降り始めました。

 昼食後のひと時、ストーヴに薪を放り込んで
 揺れる炎を見つめています。

 窓を開けて仰ぎ見ると
 煙突からの煙が
 色濃く、雪を押し退けて立ち昇り
 空へと消えて行きます。

 “静謐な時を思弁する煙”という語句が
 フト、脳裏に湧いて来ました。
       ○
 煙と火焔、そして神を三位一体として
 君は何を言いたかったのだろうか?

 「火には全てがある。」と、君は言った。
 「煙には全ての喪失が見える。」とも。
 「神は、火と煙とを統べて絶対となる。」
 と言ったきり沈黙した君の
 恥じらいが懐かしい。

 「この世の物事で、火ならぬものはなく
 煙ならぬものはない。全ては火から始まり
 煙となって終わる。」

 だから、煙草の煙を追うさえ
 君には確かな形象と見えたに違いない。

 「どうやって死んで行ったら良いのだろう。」
 君のこの最後の問い掛けは
 答えを待たないと覚悟を決めた
 矜持とも
 答えるものを拒絶する絶望とも
 胸に響いた。
 答えるもののいない虚空へ投げ掛けられた
 君の問いであり、「答え」であった。

 火焔と煙の向こうで
 君は神に会えたのだろうか、と問えば
 君の小さな舌打が聞こえそうだ。

 「神は」ではなく「神とは」
 「全的な」もの、「絶対的な」ものとして
 信じたからこそ、君は「消えた」のだからね。
       ○
 ストーヴの炎を見る度に
 君の羞恥心の深さを思い出します。
 「静謐な時を思弁する煙」を見る度に
 君の絶望の重さを思い出します。

 友よ
 この雪、少し積もりそうです。
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2006年02月03日

ギター教室 第19日

 2月2日
 12月と1月の教室を、都合4回、全休してしまった。
 恐る恐る教室に出てみると、皆が暖かく迎えてくれたので一安心。
 中で一人、妙齢な女性が当方の顔をみながら「そう言えば、○○さん、最近みえないですね」
「○○はわたしです」と、当方。
「エーっ、良かったっ。このままお辞めになってしまったのかと・・・」(待たれるって、嬉しいものです。)
 しかし、4回の欠席のハンデが如何に大きなものか、すぐに思い知らされる。
 今日は、市内の女性コーラスグループも入って合同練習。
 彼女たちは「花」を歌い、「冬のソナタ」ではスキャット。「新日本紀行・小さな旅」はギター演奏のみ。
 先輩方は主に1st、2ndパートを受け持ち、我々一年生5人組は3rd、つまりベースを受け持つ。
 女性コーラスのハーモニーが美しく響き、ギター演奏とのコラボレイションが佳境に入った「サビ」のところで、講師から「ストップ!!」の声。
「3rdが、全然聞こえて来ない。どうしたのかな?もっとビートを利かせなさい。」と、注意されてしまった。
 そりゃーそうだ。5人組のうち、キチンと曲を追っているのは一人、若いS 君のみ。当方を含めて、残り4人は、譜面の上をキョロキョロオロオロと、目で追うのがやっと。時々思い出したように、全音符のところで、ボロロンと弾く。4拍の長いこと。
 当方などは、女性コーラスの伸びのある声に聞き惚れ、女性の口の大きく開く様に見惚れるばかり。
 でも、ゾクゾクする位、先輩方の演奏と女性コーラスのハーモニーは素晴らしい出来栄えだった。
 休憩時間、当方の弦が数本、痛んでいるのを見た講師が、手早く張り替えてくれる。実に手際がよろしい。
「その割には練習したということかな」と呟いたら、途端に、「殆どの皆さんは、とっくに張り替えて、中には2回目の人もいます。」と講師。
 ギャフン。薮蛇とはこのことか。
 帰りに、講師の奥さんがキーボードで吹き込んだ、デモテープ、いや、CDを頂く。100円也。

 発表会は、2月25日土曜日、午前10時から。
posted by vino at 13:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ムラサキシキブの・・・


紫ョ部の奇形 001.jpg 今朝、冬枯れしたムラサキシキブの細枝を剪定していて、異様なものを目にした。
 株間から、芒が伸びこんで立ち枯れたように見えたが、良く見るとシキブの一枝に間違いない。 
 枝分かれのところから、2センチほどの巾で扁平になっていて、先端がクルンと巻き込まれている。 
 近寄って見ると、極細の髭状の線枝が数本出ていて夫々小さな小さな実の房も幾つか見られる。奇形には違いないが、健気にも花を咲かせ実を付けたらしい。
 珍しいので切らずに置くことにした。
 芽吹き時になって、この枝がどんな動きを見せるのか見てみたい。
posted by vino at 09:51| 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月02日

処刑の丘(その2)

 夜も更けて、昼間の暑熱が去ると、処刑の丘には冷え冷えとした夜気が吹き渡って行きます。
 月光が辺り一帯を冷たく、濡らすように照らしています。 
 まだ立ち続ける咎人たちも、月光を浴びて冷たく光っています。
 物見台には、口々に咎人たちの光り輝く美しさを誉めそやし、自慢し合って眺めていた、王様も妃も女たちの姿もありません。
 が、良く見ると、白いヴェールを被って、玉座に凭れるように佇む若い女の姿が見えます。王様の一人娘、この国の王女です。
 月の光はあくまで透明に、辺りを濡らし、王女の白い絹のヴェールは、陽光を透かし見る氷壁のように青白く、夜風に靡いています。
 王女は、眠りに着く前に、物見台の夜風に吹かれながら、一連の咎人たちの姿を見るのを日課にしているのです。
 しかし、王女は、妃や貴婦人たちのように嬌声を上げることはありません。静かに、ジッと丘を見つめるばかりです。そして、その美しい頬には、月の光の雫のように、一筋の涙さえ見えるのです。
 かくするうちに、頂上に立つ咎人たちが、一人また一人と次々に倒れ始めます。余りの苦痛に耐え切れず、ドーゥと倒れたきり動こうともしません。そのまま息絶えてしまうものが殆どなのです。中には、助けを呼ぶように、月に向かって腕を伸ばしたままバッタリと倒れ伏すものもいます。
 王女は、咎人たちを憐れんで涙を流すのでしょうか。いえいえ、そうではありますまい。
 何故なら、王女の口元には、微笑さえ浮かんでいるのです。その眼差しは、深い憂いを含んでいるとは言え、なお喜悦の色さえ漂わせており、夜目にも真っ赤な唇は妖しく濡れているようにさえ見えるのですから。

 全ては、遠い丘の上の出来事なのです。咎人たちの倒れる音も、苦悶の声も、王女の耳には届きません。
 全ての咎人が倒れ伏すのを見届けると、王女は身を翻して城内へと消えて行きます。

 処刑の丘の上の月が傾いて、丘の端に沈もうとしています。
 ある王国の、ある夜が、静かに深くなって行きます。
posted by vino at 10:33| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月01日

処刑の丘

 昔々、さる王国で、毎日のように見られた光景です。

 朝、夜明けとともに、牢獄から引き出され、腰紐で繋がれた10人の咎人たちが、城門を出て丘を登り始めます。 
 城下の人々は、この丘を「処刑の丘」と呼んでいました。恐ろしい名で呼ばれていますが、実際は至ってなだらかな、どちらかと言えば、女性的な優しい丘なのです。
 穏やかな一日の始まりを告げるように、教会の鐘が遠く聞こえます。
 さて、丘の頂に到着すると、牢役人たちは下人に運ばせた長持ちから、何やらキラキラ輝くものを、さも恐ろしげなものを取り扱うように取り出すと、咎人たちの前にソット並べました。
 この国で、盗み以上の罪を犯したものには,全て、ガラスの砕片を織り込んだ帷子を着せて、丘の頂に立たせるのです。
 咎人は身動きがならず、座ることも出来ず、ジッと立ち尽くしていなければなりません。一寸でも身体を動かせば、ガラスの砕片が肉体に食い込んで、咎人は血みどろになってしまいます。その痛さといったらありません。咎人たちは、泣く泣く立ち続けます。そうです、息絶えるまで立ちっぱなしになるのです。

 昼、中天にある灼熱の太陽に照らされて、ガラスの砕片がキラキラと輝き出し、何やら美しい置物のようにさえ見えます。
 お城の物見台に玉座を据えて、時折、望遠鏡でこの様を眺めるのが、この国の王様には何よりの楽しみなのでした。

 陽が落ちて夕映えが空を染めるころになると、なだらかに横たわる丘と、その頂に並んで立つ咎人たちの姿が、茜の空をバックに黒くシルエットとなって、空に浮かび上がります。そして、ガラスの砕片の帷子を纏った咎人たちの姿が、一際紅く、残光に映えて見えるのでした。
 この時、玉座の傍らには美しく着飾った貴婦人たちが居並んで丘を見やっています。お妃と武将の奥方たち、10人の女たちです。
 咎人が、毎日10人ずつ処刑されるのはこのためなのです。女たち一人に、一人の咎人が生贄に供されるのです。
(次回に続く)
posted by vino at 17:15| 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする