2006年03月24日

図書館ボランティア登録

 市立図書館が、2年に一度募集しているボランティアに登録することにした。
 活動分野は、配架・本の修繕・読み聞かせ(子供・ハンディキャップ)・新聞ニュースの掲示・点字・ブックリサイクル・イヴェント司会・絵本コーナー壁面展示と多種多様。
 このうち、読み聞かせ・点字・イヴェントの司会の三分野に登録させてもらった。
 今日はその説明会が図書館で行われた。全登録者数90名弱、複数登録者延べ150名弱と、なかなかの盛会だった。この分野でも、やはり圧倒的に女性が多い。なかでも「読み聞かせ」グループに、若いお母さん方が、3団体30名ほど見事に揃い踏み。
「配架」「点字」「本の修繕」など、随時活動する分野もあれば、「読み聞かせ」のように、月に5〜6回、曜日と時間を決めて行うものもある。年に2回「こどもの日おはなし会」と11月の「子どもの読書まつり」が大きなイヴェント。昨年の「こどもの日・・・」には、300名を超える子どもたちが参加した由。付き添いの父母を加えると、600名近い参加人数になるわけだ。館長も、図書館活動の目玉です、と紹介していた。
 夫々の分野毎に、世話人を選び、具体的な打ち合わせ日程を決めて散会。
 当方は、4月16日、日曜日「読み聞かせ(ハンディキャップ)」が初仕事になる。
 鈍った心身に気合を入れて、一・二・三。頑張ります。

posted by vino at 16:39| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

片栗、発芽す


片栗 002.jpg 去年の9月下旬に植えた片栗の芽が出た。
 3球植えたうちの二株。右側が年長さん、真ん中が年中さん。左端?の年少さんは、まだ土の中にいるらしい。同時に植えても大小にこれだけの差が出てしまう。
 開花は来月の下旬か。
 このところ朝方の冷え込みが厳しく、今朝も、庭の散水栓のところに置いた如雨露の水が凍っていた。
posted by vino at 13:04| Comment(2) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

UNIQLOにて

 春用に、生成りのチノパンツ、スカイブルーのストライプの綿シャツ。
 他に、手持ちの綿の濃茶のジャケットに合わせようと、ボーダー柄のTシャツを探したが見当たらない。同じ陳列棚にいた「店員さん」に声を掛ける。
「ボーダー柄のものを探しているんだけど、見当たらないですね」
「そうですか?定番ものですけどね」
「去年の秋口に来たときには、どこを向いてもボーダーものが溢れていましたよね」
「ハア、女性ものだとアチラに沢山ありましたけど」
「(女性ものでは仕様がない。UNIQLOには、ユニセックスものも結構あるけれど、女性物ではサイズが合わないし、第一、襟刳りが大きすぎる。)流行があるんでしょうか?」
「サア、店員さんに聞いてみたら如何ですか?」
「えっ!?(そんなァ、)店員さんじゃない、これはこれは失礼しましたっ!」
「いえいえ、どうぞごゆっくり」
「あっ、ありがとうございます!」
 慌てて陳列棚を回り込んで、別のコーナーへ急ごうとしたら、先ほどの女性とまた鉢合わせになってしまった。
「あっ、どうも」
「あっ、どうも」
 だけど、あの女性、店員さんにそっくりの格好に見えたけどなァ。綿パン、腰にポシェットをつけて、甲斐甲斐しく棚の商品を整理(?)していたので、てっきり店員さんと勘違いしてしまったのです。
 でもね、最初に声を掛けたときに、ギョッとした顔で、こちらを睨んだりしないで、丁寧に受け答えしてくれたんですョ、ニッコリ微笑んで、あのお嬢さん。姿かたちも美しかったけれど、心根も優しいひとでした。
 ひょっとすると・・・。そんなことないかァー。
 顛末を、一緒に行った家人に話したら、言下に、「人畜無害のお年頃になったということですっ」ですと。
posted by vino at 18:25| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

春の月

 月を愛でる季節は、大方、秋としたものかと思っていたら、負けず劣らず、春の月を歌った詩歌を目にする。
 当方もどちらかと言えば、余寒の中で見るこの季節の月に、より多くの情趣を得る方だ。
 春は、朧に霞む月を連想し勝ちだけれど、意外と清澄な夜空に、凛とした月を見ることがある。
 さすがに、寒中のそれのように人を寄せ付けない硬い光ではないけれど・・・。

 春の月ふけしともなくかがやけり  草城

 微かに花の香を誘い、寒中より一枚薄着となったこちらが、瞬時、身震いしながら浴びる月光には、何故か暖かさを感じる。寒くてなお暖かい、とは変な言い方になるけれど、実感としてはそのように思われてならない。
 春の宵は、また心が騒ぐ。
 芽時、花時の持つ、独特の気配がそうさせるのか、夜の底に“気”が充溢しているのが肌に伝わってくる。

 柔毛に包まれていた姫辛夷の蕾が綻んで、薄桃色の花弁が微笑み始めた。
 その辛夷の木の根元近く、庭石の下草にと植えた春蘭の花も咲きそろった。山取りした、何の変哲もない在来種だけれど、山野草の中では一番に好きな花なので、見るたびに、花の数を数えたり、下向きの花に手を添えて、一寸上を向かせてご機嫌を伺ったりする。

 15日が満月だったから、今夜の月齢は、18,5。23日の下弦の月で、月相がほぼ半分になってしまうため、明るさが随分失われてしまう。なんとか、今月の月の光の中で、咲きそろった辛夷の花と、下影に咲く春蘭の花を見たいと思っているのだけれど、微妙な按配なので気を揉んでいるところ。
 かと言って、ライトアップなどとは興醒めなこと。月光に濡れる花影と仄かな香りが相俟ってはじめて、春の気の妖艶さが味わえると言うものかと・・・。
posted by vino at 21:33| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月09日

ブログ記念日

 3月9日は、当ブログの記念日。早いもので丸一年が過ぎた。
 この間、5万件を超えるアクセスを頂いた。この数が多いのか少ないのかは分からないが、多くの人に支えられた一年という気がする。
 自宅の小庭とそこにある雑木類、仙丈ケ岳に肖って名づけた遊び部屋、「仙丈庵」と、そこから見る里山の風景などを紡ぐように綴ってきたに過ぎない。
 時事問題などにはあまり言及せずに、小さな世界にかかずらった心象風景を、ときに「交差する時間」として詩篇にしてきた。それらを合わせて158編。5日に2篇の投稿ペースだった。
 投稿するたびに頭を掠める文言がある。

 世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。(藤原定家『明月記』) 
 
 恐れ多い言い方になるが、この文言に、時には倣い、時には反面教師として反芻しながらの日々だったといえる。

 スタート時の第一声に、「機械音痴なのでグレードアップは後日。」などと初っ端から言い訳を書いているが、この一年、然したるグレードアップ策もないまま、当初のシンプルなデザインで通してきた。いや通さざるを得なかった。僅かに、スケッチ風の写真をアップロード出来るようになったことが、進歩と言えば進歩だろうか。
 カラフルなページ構成、、イラスト、動画そしてBGM入りなど、沢山の素晴らしいブログを拝見しては、自分の愚直さに呆れる一年でもあった。
 「お気に入り」に登録させていただいて、コメントでやり取りした誰さん彼さんが、引越しをされたり已む無く休刊されたりで、お会いできなくなって寂しい思いもした。
 当方へのアクセスは、何故か、yahooやgooに登録されている方が圧倒的に多い。だから、この際、当方もページ構成やタイトルを一新して、新天地を求めて旅に出ようかと迷ったりしている。

 西行の死出路を旅のはじめ哉   其角

追記:当方にいただいたコメントは、1週間ほどで削除させていただいている。CDにコピーする際、字数を節約するためで、他意はありません。削除する際には必ずプリントアウトして、大切に保管しています。
posted by vino at 10:11| Comment(9) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月08日

枯れ葉に春の風


椚の枯葉 
 
 
 
 
 

 

 



  
 隣に植えた小楢の木は、落ち葉の季節にすっかり葉を落として冬支度を終えていたのに、椚の木は未だに枯れ葉をつけたままでいる。若木だからなのか、木の特性なのか。 
 それでも、この頃になると、一枚そして一枚と、朽ちて枝を離れてゆく。葉柄の元には、次世代の子供たちが芽吹きの時を待っている。
 だから、椚の枯れ葉は子離れの出来ないでいる親に似て往生際が悪そうに思えるが、冬枯れの庭で、木枯らしに震える葉群は、それはそれで、冬の風情を醸していた。
 ここ2・3日、その枯れ葉を一枚一枚摘み取っている。
 春風に嬲られる様がうるさく感じられるようになったから、と言えば聞こえは良いが、何のことはない、薪ストーブの焚き付けに利用したいからにすぎない。暖かくなったとはいえ、朝晩にはまだまだ火が恋しい。薪も乏しくなったし、焚き付け用の杉の小割りも底が見えてきた。この際、枯れ葉を無駄にする術はないと、摘み取っている次第。スーパーで貰うビニール袋に、2袋にもなる。
 
 季節の端境期は、妙に心淋しい。いつも、前の季節に、何か「忘れもの」をしたような心残りを覚える。
 季節の移ろいには、即、時の過ぎ去った後先を思い知らされるからなのだろうか。

 白梅の月影が、やっと咲き始めた。幹の南側の陰の小枝に、ポツンと一輪だけ。上部の枝の蕾も、花弁が笑っているから、一斉に咲き始めるのも間のないことだろう。
 春魁の梅の花の開花がこんなに遅れたのは、何年振りになるだろうか。
 
 蝋梅は、近くに寄れば、まだ甘い香りを楽しめるが、開き切った花弁が色褪せてきて、「お後がよろしいようで・・・」と、つまし気に呟いているようにみえる。

 勢い余って、枯れ葉と一緒に椚の細枝を一本、毟り折ってしまった。可哀想なことをしてしまったと掌にとってみると、折れ口のさ緑が目に眩しいくらい瑞々しい。鉛筆の芯ほどの細枝なのに、五つも六つも芽を付けている。ウィスキーのミニボトルの空き瓶に水を汲んで差し、そのまま仙丈庵の机上に置いて眺めることにした。

posted by vino at 12:40| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月07日

金メダルが曇る?

 今日も見た。昨日も見た。
 このところ、連日のように、経営者やその職制にある人の弁明を聞く。深く頭を垂れるが、誰に向かってのものか良く分からない。言われる常套句が耳障りなせいか、慇懃無礼の感を拭えない。
 そんな矢先に、今朝の読売新聞の記事を見て唖然としてしまった。恣意を交えてはいけないので、そのまま引用させていただく。

 「こけて喜んだ」小坂文科相
 「配慮に欠けた」と謝罪文
  
 小坂文部科学相は6日、トリノ五輪のフィギュアスケート女子金メダリスト、荒川静香選手が表敬訪問した際、「(ロシアのイリーナ・スルツカヤ選手が)こけた時は喜びましたね。これはやったと」などと発言したことについて、「配慮に欠けた」として謝罪文を発表した。
 謝罪文は「荒川選手の金メダル獲得が大変うれしいとはいえ、一部配慮に欠けた発言をしたことについては、深く反省しており、荒川選手及びスルツカヤ選手に対しておわびを申し上げます」としている。(以下略)
 これが一国の国務大臣の、しかも文教を所管する長の発言だと言うのだから呆れてしまう。
 第一、スルツカヤ選手の演技がどうであれ、荒川選手の金メダルの価値に、軽重のあるはずもないではないか。荒川選手はもちろん、ベストを尽くして銀メダルに輝いたス選手を侮辱する、誠に品位のない言葉と言わざるを得まい。
 記事の中に、「・・・一部配慮に欠けた・・・」とあるけれど、そんな言い訳が通るのだろうか。「配慮の欠如」ではなく、これは資質の問題であり、「文化」や物事の本質に対する軽薄な認識しか持ち合わせない、品性のない、貧しく卑しい人格が露呈したもの、としか思えない。
 燦然と輝く金メダルは、心ない発言によってさえいささかも曇ることはないけれど、その言葉を聞いた時に、あの美しい荒川選手の表情が、どんな翳りを見せたのか、記事はそのことには触れてはいない。
posted by vino at 11:28| 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

春は名のみの・・・

 建設業を営んでいる先輩が、急な病で倒れたために、急遽、応援で現場に張り付くことになってしまった。
 毎年のことだけれど、年度末のお役所の予算消化策に振り回されている。
 この時期になると、道路のあちらこちらが掘り返されて、盛んに土木工事が行われるようになる。建築も、新築、改修工事を問わず、仕上げの工期に追われている。
 官庁工事は、そのほとんどで、現場代理人の常駐が義務付けられるから、技術職員も、各種仕上げ工も、払底状態。現場によっては、仕上げ職の取り合いで血眼になっている。特に文教施設などは、3月の卒業式や4月の入学式に間に合わせるという絶対条件が課せられる。
 これが、毎年のように繰り返されるのだ。「前倒し発注」、「通年のバランスを図る」などは、文字通り空念仏、謳い文句に過ぎない。十年一日の如し。多分に、予算を使い切るためもあって、年度末の工事発注が重複してしまう。まさに「お役所仕事」振りを象徴している。
 建設工事の絶対量は、国、地方共に財政逼迫の皺寄せをまともに食らって、年々減少傾向が加速している。だからこそ、尚更、年間を通して、調和の取れた工事発注が望まれるのだが、これがなかなか、改善されない。
 そんな中での、先輩の発病だけに、前途は暗いと言わざるを得ない。
 季節ばかりではない。「春は名のみの風の寒さ」を感じている。
posted by vino at 13:35| 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする