2006年06月30日

交差する時間 − 落書き

あなたが初めて「死」という字を日記に書いた日を覚えていますか?「愛」「好き」「嫌い」という字を書き散らしたのは何時でしたか?「空」を「空しい」と読んだのは何時のことでしたか?「光」の隣に「闇」という字を並べたのは何時?問いかけが答えを求めてはいないこともあると知ったのは・・・何時だったか・・・。「妬み」や「憎しみ」を辞書で当たったのは・・・。辞書で見れば、言葉の意味がこちらの思いを離れて言葉として宙に浮くと得心したことは・・・。「生きる」という言葉は余りにも易しく見えたでしょう?そう、だから一度も辞書で確かめたことはない、そんなものです、それで良いのです。何故なら、一見易しく見える言葉ほど辞書での説明は言葉足らずで、意味不明なのですから。それは、自分で考えなさいという諭しでもありましょうから。<大事な落書き>などありましょうか?書いた側から、宙へ消えて行くものに・・・。そう<それ>が何時のことだったかを忘れてしまうようにです。日記の日付にも意味がありましょうか?黄色く薄汚れた頁にへばりついてばかりです。何故でしょうか、落書きがこんにも楽しいのは?何故でしょうか、落書きが涙で滲んでいるのは?
posted by vino at 11:37| Comment(3) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

続通院日記

 ○月○日

 右手中指の爪の付け根に、火脹れのような水泡状のものが出来た。その先の爪の形も、深い溝が彫られた具合に変形している。痛みは全くない。
 以前、足裏の魚の目を取ってもらった皮膚科クリニックへ行く。
「これは・・・」と言って、医師がメモ用紙に、何やら書き出した。
<ガン・・・>と書いて「これはですね・・・」
(エッ!ガン・・・)
「これはですね、ガングリオンといって、100%良性の腫瘍です。痛くも痒くもないでしょう?」
「アッもう一箇所、足指の此処にも」
「体質としか言いようがありません。どうして出来るのか、今のところ分かってないんです。わざわざ痛い思いをしたりお金を掛けて取る必要は無いと思いますよ。でしょう?心配なし。ハイ、お疲れ様でした。」

 ×月×日

 肩の痛みがどうしても取れない。整形外科にかかっても、痛み止めの注射をされるか、経皮炎症止めの軟膏を処方されて「カレイ」現象と言われるのが落ち。
 さて如何しようか。以前、知り合いが苦しんで、彼方此方の病院を回った挙句、鄙びた町の小さな整形外科病院を見つけて直してもらった話を思い出した。
 その町は、当方の住まいから、車で2時間弱の距離にある。
 心細いくらい古びた建物。待合室には、例によってご年配の方ばかり三人ほど。
 呼び込まれて2,3問診のあと、レントゲン室へ。
「生憎レントゲン技師がお休みで、先生がなさいますので、しばらくお待ちください。」と看護師さん。アレ!?この人さっき廊下をモップで掃除していたぞ。 最近は、レントゲン写真の現像がすぐ出来るのが有難い。
「これです、これです。」写真を見ながら、医師が指差したところ、肩関節の表面とおぼしき所に白く輝くものが写っている。手元の分厚い書物をパラパラとめくって当方を促す。
「石灰性腱板炎。これが痛みの原因です。何故出来るか?分かりません。体質としか言えませんね。」
 再びレントゲン室へ。台の上に上半身裸になって横たわる。怖いので目を瞑りっ放しでいた。最初の局部麻酔の注射がチクリとした後は、何やら医師がシコシコモソモソ、痛む箇所で処置をしているのは分かるが、俎板の上の鯉になって、全てお任せ。
「これです、これです。」
 医師が差し出したトレーを見ると、5ミリほどの、木綿糸の糸屑がある。
「これが、溜まっていた石灰です。」
 こんな小さなものが、肩の激痛の原因なんて信じられない。
 促されて肩を回してみると、あら不思議、重い感じはするものの、痛みが消えている。
 身づくろいをしていると、先ほどの看護師が入ってきて、「うちの先生、この処置ではお上手と評判なんですよ。お大事に。」と声を掛けてくれた。
 とりあえず一週間、様子を見ることにした。その結果思わしくなかったら如何するのか、怖いので聞けずに帰ってきた。
「いうところの、五十肩です。」と医師。50はとっくに過ぎているから、何やら面映い。変なところでいい気持ちになる。(肩だけが、50・・・?そんなことはないか。)
 念のために、帰りの運転は家人に任せた。
 助手席で伸びをしたら、へー、腕が上がるし、痛みがない。嘘みたいだ。
 痛みは辛いからなあ。

 その夜は痛まずに眠れた。経過良好。

 それにしても、悪性ではないとは言え、原因不明、体質、とは因果なものだ。こう続くと、何やら生魑魅の存在を疑いたくなるが・・・。
posted by vino at 21:10| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

通院日記

 このところ、当方の周りで、「カレイ」の一語が飛び交っている。

 ×月×日
 飛蚊症で眼科医院に行った時は、これでもか、とばかりに「カレイ」を連発されて閉口した。
 まず、視力検査の時に、検査嬢に問診を受けて症状を話すと、「カレイ云々」と言われた。カレイ?
 次に、瞳孔を広げるための点眼薬を注されながら、看護師に、「カレイ云々」と耳元で囁かれる。
 医師の前に座ると、開口一番「カレイによるものですから、治りません。時々様子を見せに来てください」と宣告され、ドギマギ。診察を終えて受付に向かう当方の背中に、追い討ちを掛けるように看護師が、「カレイ云々」。
 最後に、点眼薬を貰う時に、薬剤師嬢まで「カレイ、カレイ云々」。オイオイ・・・
 △月△日
 虫歯の治療に、歯科医に行く。
 物を噛んでいる時に、しょっちゅう頬っぺたの内側を噛んでしまうので、そのことを訴えると、歯科医師はニッコリ微笑みながら「カレイによって、歯が減ってくると、噛み合せ部分の縁が尖ったようになって、当たるんです」と。少し削って、丸く治めて貰う。
 □月□日
 図書館での読み聞かせの下読みをしていると、舌の先に、かすかな痛みと違和感を覚えた。その前に、NHKラヂオのイタリア語講座を聞きながら、rを巻き舌で発音した時も「アレ?」と思ったのだが、その時はそれ以上気にも留めずにいた。
 鏡で覗いて見ると、舌の先に、黒い小さな突起様のものが、ポチンとできている。
 舌って何科で診て貰うのかしらん?
 迷った末に、評判の耳鼻科医院に電話で尋ねると「はい、当院で大丈夫です。おいでください」とのことなので、早速出掛けた。
「ここからここまでが、耳鼻咽喉科の守備範囲です」と医師が、当方の胸三寸から鼻までを両手で示す。
「うーん、舌、噛まなかったですか?」
「うーん、覚えていません」
「血腫・・・だと思いますが・・・色が黒いなあ・・・、血腫、血豆・・・大丈夫と思いますが気になるようでしたら、総合病院で組織検査をして貰ったら如何ですか?」
「はい、そうします。それと、喉がなんとなくイガイガしているんですが・・・」
 ファイバースコープで診て貰う。
「綺麗ですよ。カレイによってどうしても喉の筋肉が固くなります。昔、美声で歌っていた歌手も、年とともに声が出なくなります、細くなります。どうしても、カレイです」

 帰りの車の中で、気になって舌を動かしていると、あれ?変だなあ。舌を出して見せると、家人がいきなり笑い出した。慌てて車を止めてルームミラーを覗いて見た。舌の先に微かに血がにじんでいる。
「やっぱり血豆だったんだ」
 ティッシュで拭き取ると、あら不思議、黒いポッチが跡形もなく消えていて、綺麗さっぱり、何もない。
 
 美味しいと評判の喫茶店で、コーヒーと自慢のチーズケーキを食す。
「慌てると、また噛むわよ、頬っぺたと舌・・・」

 まだまだ続きますが、カレイによる繰言になりますからこの辺で。お大事に・・・。

 あっ、「カレイ」って「加齢」のことです。知ってました? 変な日本語。


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2006年06月15日

チドリソウ

 
ウ.JPG 我が家の小庭では、今、チドリソウが満開に咲いている。少しずつ緑が深まった辺りの風景の中で、チドリソウの青紫の花の色が目に染みる。
 庭を縁取るように、家人が植え込んだものが、透垣となって、「アチラ」と「コチラ」を区切って見せている。
 際が立つとは、このようなことを言うのだろうか。
 
 仏道で言う結界とは、聖域と俗界とを厳然と仕切ることだけれど、堂塔・伽藍の周りに巡らされた門塀はさておき、山域などでは、目に見える壁があるわけではない。従って、「思い定める」ことが、そのまま分界となる。
 こちらの小庭も、極め付きの俗界ながら、朝の陽光に透けて見えるチドリソウのスクリーンが、さながら結界を表すように清々しい。
 思い定めることがなければ、何事も起こらず、何事も「あること」にはならないはずだ。

 図体の大きな花蜂が一匹、一輪の花に蜜を吸いに止まった。
 程なく、蜂が事足れりと羽根を震わせて飛び立った時に、その勢いで花ビラがハラハラと零れ散った。
 盛りを過ぎた一輪だったのだろうが、蜂の仕業が不粋に思えた。
 その花ビラは地に落ちずに、途中の葉叢の蜘蛛の巣に掛かって、いつまでも風に揺れていた。
posted by vino at 11:31| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月14日

心に残る一円玉

 只今、三食昼寝付、3,000円で“モーツァルト音楽の旅”の途上。
 モーツァルトファンからはお小言が出そうだけれど、先日、楽器店のCDコーナーで見つけた「100MOZART」(AVEX ENTERTAINMENT INC.)を楽しんでいる。ヴォリュームを挙げて、朝から晩まで掛け通しだ。
 8曲から12曲入ったCDが10枚、全100曲で2,999円だった。
 楽章を分けて収録している曲もあるから、厳密には100曲はないけれど、それにしても大変な数だ。
 ある曲は第1楽章だったり、次の曲は第3楽章が抜粋されていたりするから、ダイジェスト版というのだろうか。唯、曲の途中でF.I.したりF.O.したりせずに、選ばれた楽章はカット無しで聴けるのが嬉しい。
 ホールの演奏会でも、楽章ごとに、咳払いしたり溜息をついたり、ホッと一息出来るあの展開に似ている。
 何によらず、広く浅くがモットーの当方にとっては、有難い企画だと感謝したい。
 指揮者も演奏者も、あまり当方が耳にしない方々だけれど、(ひとりだけ、当方の好きなフルーティストのパトリック・ガロワが、『フルート協奏曲第一番』を聞かせてくれています)こちらの再生装置がミニコンポなのだから、あまり贅沢は言えない。些か、引かれ者の小唄めくけれども、やれアンプが如何のプレイヤーが如何のと言うのも性に合わない。
次から次へと、華麗なるモーツァルトの曲が聴けるから、中で耳に残った曲を、改めて名盤とやらで探してみるのも一興だろうと思いながら、十分堪能させてもらっている。

 楽器店で釣銭を貰う時のこと。
 最近、どちらの店でもよくやるように、「まず、大きいほうから...1,000円、2,000円、5,000円、ええ、7,000円のお返しです」と言って、お札を数えて渡してくれる。最後に、一円玉を親指と人差し指で摘まんで、当方の広げた掌の上に、ポトリと一枚。まるで手品師がやるように、眼の高さに持っていってにっこり微笑みながら、ポトリと落とした。面白い店員さんだ。
 あー、また一人、心に残る店員さんを見つけてしまった。
 
 名盤を探しに...店員さんに会いに...

posted by vino at 17:31| Comment(4) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月13日

交差する時間 - 矢印に関する考察

   放たれた矢が
   時間を射抜き
   空間を切り裂く
   瞬時
   一つの命が奪われる
   鏃が喰い込み
   矢羽が打ち震える
   全ては一点に収斂される

   寸空
   一つの愛が芽生える
   鏃が昇天し
   矢羽が羽ばたく
   全ては一点から始まる

 矢が有力な武器であった時代
 人々は敬虔な祈りを知っていた
 命を言祝ぎ
 魂を慰めた

 矢を武器として手にした時 
 人々は武者震いに襲われた
 
 弓弦の緊張は
 そのまま己への
 緊縛となった
 
 何故なら
 矢の行き着く先には常に
 美しくも哀しい
 一つの落命があったから
 一つの...

 苦悶の中にのみ 
 人々は歴史の表徴を
 見ることが出来た

 何故なら
 矢に取り残された手元には常に
 空しく痛ましい
 一つの悔恨があったから
 一つの...

 哀しみの中でのみ 
 人々は歴史の表徴を
 共有することが出来た

 今
 矢は矢印となって堕ち
 人々の祭宴は幕を閉じた
 時空に叛き続けた矢は
 傷つき手垢にまみれ
 放物を描いて地に折れ落ちた

 多くの命を奪ったことが 
 罪深いのではない
 それは己に課せられた
 使命に過ぎない、から

 一つの命の
 「その時」を奪ったことが
 罪なのだ
 それを己の命の
 小さな対価とした、ことが

 とまれ
 地に落ちた矢は矢印となって
 人々に贖罪の背中を見せている
 
posted by vino at 09:02| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

音楽って...音楽って...

6月11日
市民音楽祭

無事終了。緊張感が解けると、やはり2曲では物足りないな、などとメンバー同士言い合ったりしている。

 先日の300席の小ホールと違って、今回は1200席の大ホール。大きい大きい。
 舞台リハーサルの時に客席を見渡してみたら、椅子席が遥か彼方の高みにまで、整然と並んでいて、こりゃー大変だ、と急に怖くなってしまった。 
 舞台は、音楽祭なので反響板で小屋囲いしてあり、一回り小さくなっているが、それでも大きい。

 さて、出番を待つ間、舞台袖で講師氏が盛んにメンバーの誰彼に声を掛けている。「大丈夫ですか?ゆっくり楽しんでやりましょう」などと言っているが、講師氏が一番緊張して高揚しているように見えた。
 前の組の演奏が終わって、客席の拍手の大きさに驚く。
 アナウンスに促されて、一同、上手から舞台へ。
 どうして舞台の照明はこんなに明るくそして熱いのだろう。特に舞台演出があるわけではないから、色ゼラチン光ではなくて、基本照明のストリップ光のみだけれど、熱い熱い。
 客席ってこんなに明るかったのかなとも思う。
 1/3ほど埋まっているから、お客さんはほぼ400人ほどだろうか。皆が皆こちらを見ている。当然のことと知りつつも、一瞬、とても不思議な気分に襲われる。

 講師氏の合図で演奏開始。
 バックはコーラスのおばさん達。2度目の共演なので慣れたもので、実に堂々としている。頼もしいのは体型ばかりではない。
 約10分間の演奏時間が、アッと言う間に過ぎて、冒頭の感想となる。

 13組のグループが、大正琴、コーラス、ハーモニカ合奏と、日頃の練習の成果を十分発揮した音楽祭だった。演奏後客席に回って、結局最後まで聴いてしまった。
 トリは、地元高校の吹奏楽部の演奏。70名を超える大編成だから迫力のあること。県大会で金賞を受賞する常連校だけあって、各パート共良い音を出していた。息の合った演奏を堪能できたのは幸せだった。

 最後に、客席一同起立して、「今日の日はさようなら」の大合唱。女子高生が指揮台の上から客席に向かってタクトを振る。上気した顔が満足そうに輝いている。
 2番まで大きな声で歌ったところで胸が一杯になって、3番が歌えなくなってしまった。心の中で、「音楽って...音楽って...本当に良いもんだなぁ」と叫んでいるうちに、感極まってしまった。
 隣で歌っていた家人が笑いながらハンカチを差し出す。(余計なことを!こんな時に平然としていられるなんて、気が知れないぞ!)

 ホールを出ると、雨上がりの夕陽が眩しかった。
 無性に幸せな気分で、スキップが出そうになったけれど、ハンカチの件を思い出して慌てて家人を振り返ると、パンフレットの裏表紙に印刷された「今日の日...」を見ながら、鼻歌を唄って歩いてくる。
posted by vino at 17:32| Comment(2) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

然らでものこと

 時々、思い出したように読み継いでいる『徒然草』の中に、現代ブログ考とでも呼べる一章がある。
 長くなるけれど、示唆に富み含蓄溢れる兼好師の言葉なので引用させていただく。
(改訂『徒然草』今泉忠義訳注・角川ソフィア文庫)
※以下引用同書。

第十二段
 おなじ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、うらなくいひなぐさまんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆたがわざらむとむかひゐたらむは、ひとりある心地やせむ。
 たがひにいはむ程のことをば、げにと聞くかひあるものから、いささかたがふ所もあらむ人こそ、「我はさやは思ふ」などあらそひにくみ、「さるからさぞ」ともうち語らはば、つれづれなぐさまめと思へど、げには少し、かこつかたも、われとひとしからざらむ人は、大方のよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には、はるかにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
(現代語訳)
 同じ心を持っているような人と、しんみりと話をして、おもしろいことでも、つまらない世間話でも、隔てなく話しあうとしたらうれしいことにちがいないのだが、そういう人があるはずでもないから、ちょっとでも相手のいうことに逆らわないようにと、向かい合っているとしたら、--まったく対話の興などいうものはないのだから--自分ひとりだけでいるような気持ちがするだろうか。
 お互いにいおうとするくらいのことに対しては、なるほどもっとも、と聞いている甲斐はあるものの、少しは相手と違った意見のあるような人は、「わたしはそうは思わない」など反駁し非難し、「そういう理論でいくと、そうした結論も出るのだ」などとも話し合ったら、つれづれな気持ちも慰むだろうとは思うけれども、実は少しは、ひそかに懐いている不満といった方面についても、自分と同じような考えを持っていない相手では、お互いに通り一ぺんのつまらない話をしている間はいいとしても、ほんとうの意味での友達としては、遥かに隔たったところがありそうに感じられるのが残念でもある。

 言い得て妙とはこのことで、さすがに兼好師は現代のPC事情や携帯電話のメールなどお見通しだったのかと、読んでいて苦笑させられる。
 ブログを訪問していて面白いのは、本文の記事や写真、イラストなどもさることながら、コメントでのやり取りだ。本文とは一味も二味も違って、時に地言葉が出てきたり、お互いの本音が飛び出したりする。そして、少しずつズレテいるのが面白かったりする。
 わざと外す場合もあれば、受け損ねたり、深読みがあったり、毀誉褒貶、様々に錯綜する。
 しかし、投稿する以上は願うことは一つ、「我はさやは思ふ」ところを、「まめやかの心の友に」送り届けることだろう。
posted by vino at 15:18| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ただいま?

 ここ2,3日、数回試みて、その都度話中であったり待ち時間が長かったりして、なかなか繋がらなかったOCNのオペレーターと、やっと話が出来た。
 その結果思わぬことが分かって、驚いたり赤面したりしている。

OP嬢:プロバイダを変わっても、ブログを引越しする必要はないはずですよ。そのまま利用していて不都合はないはずです。
当方:!?
OP嬢:わたしもプロバイダはOCNですが、ブログは3ヶ所に登録しています。夫々特徴があって面白いですよ。
当方:ハー、そういうものでしたか。
OP嬢:第一、引越しって、家財道具、アッこの場合は記事などですけど、移すのは大変だと思いますよ。勿論、家賃、アッこの場合は登録料・利用料のことですけど、それらの有る無しで話は異なりますが・・・

 このOP嬢、ハキハキと当方の疑問・愚問に答えてくれる。比喩を交えた受け答えなど、アー、これってブログのコメントのやり取りに似ている。ブロガーとしても、あちこちで活躍しているに違いない。
・・・というわけで、ブログの引越しは取りやめになりそうです。
 思い込みとはいえ、なんともはや、お恥ずかしい次第です。
 ご免なさい。
posted by vino at 09:58| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

引越します

前略 ご免下さい。
当地方でも、光通信ケーブルによるサービスが始まるとのことで、当方も、インターネットのプロバイダを、OCNに変更することになりました。
このため、当ブログも、7月には『ブログ人』とやらに引越しをします。
皆様には大変お世話になりました。
どうなることやら、まだ皆目見当が付かずに戸惑っております。追々お知らせできることと思いますが、残るところ一ト月あまり、なにやら気ぜわしく落ち着きません。
取り急ぎお知らせまで。要用のみ失礼します。
posted by vino at 10:09| Comment(4) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする