2006年09月27日

続々々通院日記

 以前、当ブログ「通院日記」の中で、「加齢(現象)」という言葉について書いたことがある。医療現場で、やたらと「加齢・・・」が飛び交い、閉口させられたという話だった。
 その「加齢」について、『週間文春 9月28日号』に面白い記事が出ているので、紹介したい。(引用は、発言者名のある部分です。)  
「脳を鍛える」シリーズの大ヒットで知られる、東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授に阿川佐和子がインタヴューする、ご存知「阿川佐和子のこの人に会いたい」。
 川島教授の話は、ユーモアたっぷりの、大変示唆に富む内容で、そのうえ、例によって阿川流のツッコミも冴え渡り、途中何回も声を上げて笑ってしまった。
 さて、「加齢」とは、そも・・・。

阿川:先生が取り組まれている「加齢医学」というのは大人になってからの加齢ですか。
川島:いや、生まれてから死ぬまでずーっと加齢現象ですから、すべての人の生きとし生けることに関わる現象を研究できる素晴らしいネーミングなんです。

 なぁーんだ、「加齢」とは、中高年に対する蔑視語(?)ではなかったんだ、とこの辺りでハタと膝を打ちました。僻んではいかん、僻んでは。前向きに考えれば見えてくる事じゃ、などと一人合点して・・・。 

川島:(---)僕はよく笑い話で政治家に「七十歳からの義務教育を始めるのがいい」と言ってるんです。
阿川:何をするんですか?
川島:七十になったら小学校一年生の教室に行って一緒に勉強する。(---)僕らの理論通り脳を鍛えますからボケ防止になる。子どもたちも高齢者と一緒に過ごし、彼らが朽ち果てていくのを目の前で見られる。(---)一緒のクラスになったら、最初はじいちゃん、ばあちゃんが子どもの面倒を見るでしょ。それが、五年生、六年生になる頃にはクラスメイトの高齢者が半分ぐらいいなくなって、残っている人たちもヨボヨボしてくるから、子どもたちが助けなきゃいけないというのを体験していく。
阿川:ほぉー、クラスメイトを介護。
川島:(---)実現できたら社会が変わると思うんです。

 うーん、生命の受け渡し、世代間の交流か、こりゃ卓見だわい、と感銘を受けました。
 折りしも、安倍新内閣の誕生を待って、臨時国会が開かれる。与野党間の激しい論戦必至と言われている今国会、教育基本法の改正問題や年金問題など、空虚な論戦のための論戦で終わらなければいいがと思っている。
 実りある審議を期すために、議員諸氏は、この『週刊文春』を読んでから国会に臨んだら如何なものだろうか(笑)。医療費・年金問題や道徳教育を考えるうえで、大いに参考になること請け合いですぞ。
 
 川島先生、プロフィールの紹介によると、昭和34年生まれ、とありますが、顔写真を拝見する限り、研究の成果だろうか、実にお若い。
 先生の究極のテーマは「『脳の中に心がある』ことをキチッと科学で証明すること」だそうです。
 遺伝子の解明が進んだ今、脳医科学の分野では、<人間の心は何処にあるのか>というのが、最先端を走る科学者たちのテーマだと聞く。
 
 今月末、心電図の検査を受ける予定。心音は心が発するものではない、とすると、はて?
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2006年09月23日

星に祈願す


DSC02026.JPG 明日24日は、図書館読み聞かせグループの担当日に当たる。何時もだと、読書コーナーの一角にある子ども用のスペースの小さな小さな円形劇場?で30分ほどの時間行うのだけれど、今回は一寸趣向を凝らすことになった。
 今年は、宮澤賢治生誕110年に当たるため、「宮澤賢治生誕110年祭 おはなし会」と銘打って、約1時間半、賢治の作品ばかり、オムニバス形式のものを含めて5作品、紹介することにした。また、対象も子どもに限らず、中高生や一般の大人にまで広くPRして、出来るだけ多くの人に、賢治に関心を持ってもらうことを目指した。
 当方が今年から参加するようになった、読み聞かせの会は、賢治とその作品が好きで好きでたまらないというIさんが、生誕100年を記念して結成してから、丁度10年になる。
 通し稽古を行った21日は、賢治の命日に当たったので、稽古を始める前に皆で1分間の黙祷を捧げた。
 
 明日のプログラムは次のとおり。
@ 星のはなし&星めぐりのうた(OHP使用)
A オッペルと象(OHPと読み)
B どっどど どどうど 雨にも負けず(オムニバ ス)
C ざしき童子のはなし(読み)
D あすこの田はねえ(朗読)
E 双子の星(紙芝居と読み)
 
会に参加するまで、賢治の作品とはまるで縁がなかった。というより、何処か避けたい気持ちがあって、横目で見ていたと言った方がよいだろうか。目にしたのは、ほんの数編、「風の又三郎」「雨ニモ負ケズ」「銀河鉄道の夜」を数えるくらいだった。
 ところが、これも何かの導きなのだろうか、図書館で全集をさがしだして、特に沢山の詩篇を読んでから、すっかり嵌まり込んでしまった。
 今はその内容について語る余裕がないけれど、しばらくは賢治に関わることになりそうだ。
 この記事を書きながら、窓から見上げると、澄んだ秋の夜空に満天の星が輝いている。
「星めぐりのうた」を口ずさみながら、瞬く星に、明日の盛会を祈っているところ。
   
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2006年09月22日

部員5人の野球部(その3)

 唯、k君、惜しいかな投球フォームのバランスが悪い。体力と地肩の強さだけで投げているのだ。踏み出した左足が一塁側に流れてしまう。そのために身体が開いて、コントロールが悪くなるし、身体の捻りがないので球に体重が乗らない。打者からすれば球の出所が見易く、球威はあっても威圧を感じないのだ。
 試合の結果は言わずもがな、K君の力投空しく、7回コールド負け。スコアを書くのも気の毒な大敗だった。
 
 母校の試合を見終えて通路に出ると、それまで観戦していたのだろう、T校の選手たちが2階席から降りて来るのにぶつかった。他の選手より頭ひとつ大きなK君を見ていると、パッと目が合ったので、思い切って声を掛けた。
「お疲れさん。頑張ったね。」
「ハイッ、ありがとうございます。」
 握手をしながら、K君の、身体が開く欠点を指摘してやった。
「そんな事言われたの、初めてです。ありがとうっす。」
「キャッチャーのパスボール、あれ、サイン違い?」
「いえ、アレはちょっと・・・。」
「ワンバウンドするくらいの変化球で空振りが取れるように、キャッチャーは猛練習だね。で、どんなチームにしたいの?」
「ハイッ、今、部員が5人しかいないので、今日はちょっと・・・。陸上部のやつらとか・・・。」
「そうだろうと思って見ていたよ。でもさ、皆だって高校野球は見て知っているんだろうから、グランドに立つ以上は全力疾走したり、大きな声を出して励ましあったりするようにした方がいいよ。」
「ハイッ、これから何とか部員を集めて、チーム作りです。」
 別れ際、大きな声で礼を言われ、最敬礼されたのには、またまたまた驚いた。
 なんかなぁー、T校とK君を「追っかけ」たくなってしまった。だってK君の澄んだ目がキラキラ輝いていて、野球が好きで好きでたまらないという気持ちがこちらにも熱いくらい伝わってきたんだもの・・・。

 野球と言う共通項があったとは言え、見ず知らずの若者に声を掛けた自分に、またまたまたまた、驚いている。
 あっ、言い忘れましたが、K君は、青いハンカチは使っていませんでした。真っ白なタオルでした。
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2006年09月21日

部員5人の野球部(その2)

 さて、試合開始。
 またまた驚いたことに、案に相違してT校のピッチャーがいいのです。上背もあり、ガッシリとした体躯を一杯に使って、ストレートをビシビシ投げ込む。時折投げるカーブは大きく曲がって、I校の選手が意外な表情で見送ったり空振りをする。
 ところが、またまた驚いたことに、キャッチャーが低目の球の捕球が出来ない。大きく変化してワンバウンドになった球は、ことごとくパスボール。バックネットに転々とする間に、一塁ランナーが三塁まで進むこと再三再四。続く内野ゴロでホームインされ、相手のスコアボードには、見る見る点数が重なる。
 内野ゴロでもオールセーフなのだから、ピッチャーが如何に頑張っても試合にはならない。時に、二塁手がそーっと出したグラブに、スポンと打球の方から入ってアウトを取った時には、家人共々立ち上がって拍手をしてしまった。また、ヒョロヒョロ長身長髪のレフト君が、ハーフライナーをポケットキャッチした時には、思わず仰け反って笑ってしまった。
 ピッチャーのK君は立派だった。そんなチームの中で孤軍奮闘、少しも悪びれた素振りを見せない。アンパイヤーから新しいボールを受け取る時には帽子を取って丁寧に会釈する。キャッチャーがパスボールをした時にも、自分からキャッチャーに駆け寄って「ワルイワルイ」と謝っている。内外野には絶えず声を掛ける。黒く日焼けした顔を真っ赤に紅潮させて、ただひたすら、投げ続ける。マウンドを守るのは「おれだっ!」という気概が伝わってくる。(以下次号へ)
 
 
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2006年09月20日

部員5人の野球部(その1)

 秋季高校野球の県大会が始まった。
 まず、県北、県央、県南そして県西と地区予選があり、夫々勝ち残ったチームが集まって県大会が行われる。更に上位3チームが、東京都を除いた6県の代表による関東大会へと進む。
 3年生は夏の大会までで部卒となるから、1・2年生による新制チームの大会だ。かと言って、いわゆる新人戦とは異なり、この大会の上位チームは、来春の選抜甲子園への出場が約束されるので、力も入る。
 というわけで、先日、母校の地区予選を見てきた。7回でコールド勝ちするかと思えた相手に、思わぬ苦戦を強いられ、最終回表に大量点を入れ、結局コールド勝ちの点差で勝つには勝ったけれど、贔屓のチームの試合では何時もハラハラドキドキさせられる。
 平日だったこともあるけれど、秋の大会のスタンドは寂しいものだ。応援団やブラスバンドの姿はない。各校の内野席に、ベンチ入りしない数人の部員と選手の父母たちがいるばかりで、閑散としている。
 それでもバックネット裏には、年配の高校野球ファンやOBと思われる一団が、熱心に観戦していた。
 
 母校の試合時間を確かめずに出掛け、少し早目に球場に着いたので、前の試合をはじめから見ることになった。
 どちらも、然して人口の多くない市と町にある県立校の一戦。
 試合前のシートノックを見ていて、驚いてしまった。
 先攻のI校はそれでも、グランドに散った選手たちは皆レギュラーナンバーを付けたユニフォーム姿。監督のノックを受けてもキビキビと動き回り、連携プレイもまずまず。内野手外野手とも、複数の控え選手を含めてよく声も出ている。
 代わって登場したT校には驚いた。大きな背番号の付いた洗い晒しのユニフォームはよいとして、野球帽からは長髪がはみ出ており、動きも緩慢、キャッチボールも覚束ない。
 ひところ言われた高校野球の精神主義には組しないし、青々とした丸坊主頭も好きではないが、肩まで届こうかという長髪は、野球には馴染まないように思えた。が、それもよしとしよう。
 ところが、ノックの打球も、身体を呈して止めようなどという選手はひとりもおらず、正面のゴロはともかく、塁間のゴロは、呆然と見送るばかり。
 スタンドからは、失笑やら溜息も聞こえる。
 さて、試合開始。
 (次号へ続く)
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2006年09月19日

目 白


白ョ部.jpg 苔庭の草引きをしていると、目白が2,3羽、小庭のはずれに植えてある紫式部や白式部、梅擬きの辺りにやってきて盛んに囀り合っている。早速口笛で囀りの真似をすると、相手も一際高くチーッと高啼きして応えてくる。数回遣り取りをしてくれたが、何処か胡散臭さを感じ取ったか、グチュグチュ地啼きをしてツイーッと飛び立ってしまった。慌てて口笛で後追いしてみたが、それきり戻ってくる気配はない。

 なまじ山が近いと、小鳥たちはなかなか小庭に遊びに来てくれない。わざわざ庭木の木の実など当てにしなくても、山には十分餌になる木の実が成っているのだから已む無し、とは言うものの、「時にはどうだい、こちらへも?」と未練が募る。
 四十雀なども好きな小鳥なので、以前、そのご到来を心待ちにして蜜柑やりんご、牛の脂身などを庭木に刺してみたこともある。ところが間髪を措かず、何時も、ヒヨドリに横取りされてしまう。騒がしい大型の野鳥が来ては却って小鳥たちに警戒されるだろうと、それも止めてしまった。
 
 梅擬きはホンノリ紅く色付いてきているが、式部はまだ白とも紫とも見えず、元成から順に青い実を付けており、枝の先端ではまだ花が咲いている。
 
 目白は、その後保護鳥となってしまったので叶わぬけれど、子どもの頃に飼っていたことがあって、その時、目白たちが紫式部の実を好んで啄ばんでいたのを憶えている。だとすると先程は、庭先の式部の実り具合を下見に来てくれたのだろうか。
 そんな埒もないことを思いながら式部を眺めていたら、夏の名残りの蝉の抜け殻と名の知れない大きな青虫が、同じ枝に掴まって風に揺れているのが目に付いた。
 
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2006年09月18日

一口世評

◎小泉政権とは?コンビニの、ワンパック商法に似たり。
小泉店長:ビニール袋に、商品(政策)をポンポン 投げ込む。
     「これにて一件落着。」
国民お客:丸ごと無造作に受け取る。「・・・。」
     しばし。
     残滓をビニール袋にポンポン詰め込み辺り構わず、ポイと     投げ捨てる。
     消化不良、不満足感が残る。

◎公務員の飲酒運転続出。
その人達:事故を起こして捕まり、酔いが醒めてから呟く。
     「アー、俺って公務員だったんだ。今まで意識せずに過ごし     ていたよ。」
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2006年09月16日

トトロの木々


白ョ部 003.jpg 先日、当ブログ「トトロの木」で打率3割を嘆いたばかりだったが、今日、水遣りをしていて更にもう一本、芽が出ているのを見つけて驚いている。年長組に遅れることふた月ばかりになるだろうか。
 だとすると、炭化して腐ってしまった、と思ったのはこちらの早とちりで、どっこい、立派に生きていたことになる。自然に任せてそのままにしておけば、思惑通り「トトロの森」が・・・と思ったがもう遅い。人間と同じで、寝坊助君もいたわけで、穿って捨ててしまった6粒の団栗たちには可哀想なことをしてしまった。
 ともあれ、これで打率にすれば4割ということになる。立派なものだろう、と負け惜しみ。
 従って「木」改めまして「木々」とした次第。
(クリックしてご覧下さい。左手前に、可愛らしい若木が見えるはずですが・・・)
 

posted by vino at 12:29| Comment(4) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月15日

複数の「敦」

 9月13日 「山月記・名人伝」を観る。

「山月記」が能仕立て、休憩を挟んで演じられた「名人伝」が狂言仕立てとみたが、観終わってみると、これは只事ではないぞ、と鳥肌が立った。
 話も仕立ても、登場人物も異なるから、厳密には「中入り」とは言わないのだろうが、「山月記」に登場する「敦と敦たち」と、「名人伝」での都人士の役どころは同じように構成されている。
 まず、能・狂言でみる地謡の役目を彼らが担う。原作の「」内の会話は、ほとんど原文に近くそのまま、李徴(シテ)と袁傪(ワキ)、紀昌と甘蠅や飛衛の台詞となっていて、複数の敦と都人士たちは地の文を語る。つまり、ツレともアドともなって、シテやワキに絡むばかりではなく、物語の進行役となり、また原作者の呟き、心象を吐露する。
「敦と敦たち」を登場させ、「都人士たち」にギリシャ劇のコロスを思わせる役どころを与えた構成は、野村萬斎の手柄だろう。それが、劇に躍動感(序破急)・緊張感を与え、中島敦の二つの短編(他に「狼疾記」のエキスも随所に敷衍されていた)が、見事な舞台となって、昇華されていた。
 中島文学の主調音である「存在の不確かさ」、「存在の不安」に対する慟哭と、逆にそれらを笑いに引きずり込むしたたかさを、確かに見聞きすることが出来たように思う。

 それにしても、弛まぬ継承と精進・研鑽に育まれた日本の伝統芸術・芸能の奥深さ、完成度の高さを目の当たりにして、改めて身の震える感動を味わった。
 囃子方、亀井広忠の大鼓、藤原道山の尺八の音も忘れられない。彼らもまた、この舞台にはなくてはならない立派な演者として、その重責を見事に演じてくれた。
 野村万作・萬斎父子をはじめ、若手の演者の方々に、心からの拍手を贈りたい。

 世田谷パブリックシアターの芸術監督・野村萬斎は、この演目を、「再演」「レパートリー化」と言わず、「再創造」という意識を持って今回の舞台に臨む、と述べている。(公演パンフレットより)


posted by vino at 17:31| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

トトロの木


DSC01987.JPG 去年の秋に「トトロの森」を目指して播いた団栗が、3粒発芽して、今、2番芽が若葉の季節を迎えている。
 10粒播いて3粒だから、打率とすれば3割で立派なものだけれど、残念ながら森とはならず、林ともならず、疎林とは大げさな物言いになるから、「トトロの木」で我慢しなければならない。
 発芽しない団栗を指で探ってみたら、黒く炭化していた。どうやら、鉢の水抜き口が詰まってしまい水が吐けずに、腐ってしまったらしい。
 
 小庭に植えてある団栗の木には、今年は数個しか実が付かずにがっかりしていたところ、その数個の団栗も、夏前の長雨にたたられたのか、いつの間にか落果してしまい、今はひとつも見当たらない。寂しいものだ。
 しかし、嬉しいこともあった。
 我が家の椚の木に、クワガタがやってきて、樹液を吸っているのを見つけたのだ。
 夏休みに我が家で合宿(?)をしていた、虫好きの孫軍団が、朝夕木の周りをためつすがめつしているのを見て、まだ若い木だから無理だろうといっていたところ、或る朝早く、眠い目を擦って起き出した孫が大きな声で叫んでいる。
「やったあー、お客さんが来たよお、みんな起きろ!」
 5人の孫につられて木に寄ってみると、なるほど、小さなクワガタが2匹、樹液を吸っているではないか。
 その数日前に切り落とした枝の切り口に、ペアーのクワガタが吸い付いて、盛んに樹液を吸っている。
 最初に見つけた孫君が「これ、ヒラタクワガタっていうんだ。」と得意げに皆に説明している。

 来年こそ立派な「トトロの森」を作って、月夜の晩に起きてみたら、トトロが踊っていた・・・なんて、そんなことはないか。
 
 失敗したままでは寝覚めが悪い。秋になったら元気な団栗を探して、いざ。
posted by vino at 17:06| Comment(4) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月04日

行かなくても・・・(その3)

8月12日
「星野道夫メモリアルプロジェクト」

---今なら僕もムースを殺せると思うんですよね。カメラのファインダーから覗いたムース、いま自分が撮っているムース、そしてその肉を食べる。そう思ったとき、今なら殺せると・・・。

 池澤氏の講演に先立って、10年程前にTBSが製作したインタヴュー番組がスクリーンに映し出される。
 柔らかく穏やかな語り方から、文章そのままの星野氏の人柄が偲ばれる。
 その笑顔には、どんな衒いも虚勢も、何者かへの諂いも阿りも、微塵も見られない。
 スクリーンの中とはいえ、訥々と思いを語る星野さんに会えてよかった。思っていたように、優しく大きくそして強い人が其処にはいた。

 遠くアラスカに渡り、一介のデラシネアとして埋没しても不思議ではなかった。現に彼は著作の中で、極北の地に果てた幾人もの「旅人」について語っている。が、彼はそうはならなかった。今日、星野道夫があるのは、自然を畏敬する民族、自然と共に生きる術を知っている人たちとの交流の中で、沢山の何かを、血肉化して行ったに違いない。連綿と続く生命の輪環を見、己もその輪の中のひとつに過ぎないことに気付き、輪の中に否応もなく組み込まれている存在であることに得心をした。
 得心とは、何者かに懐かれていることへの安心と、何者かに対するどうしようもない畏怖の思い、諦念から生まれるのだから。
 
---そこにいると、気の遠くなるような風景が自分を小さくさせるのとは裏腹に、すべてのものが私に属しているような気がしてくる・・・。(『長い旅の途上』)

「すべてのものが私に属している」とは、私もまたすべてのものに属している、その中に存在しているという確信でもあろう。
 それは、「そこ」に立たなければ決して見えてこない命の営みの深淵であり、降臨されることのない「ある」ことへの喜悦でもあろう。

---私たちが生きてゆくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびるかという、終りのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくいその約束を、最もストレートに受けとめなければならないのが、狩猟民である。約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえてもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。(『旅をする木』)

 講演会の最後に、その神話を語った、クリンギット族の語り部、ボブ・サムの話は措くことにする。
 当方の英語力では、彼の語りの三分の一を理解するのがやっとだった。
“Don't be afraid to talk about the spirit.”という、冒頭の言葉が耳について残っているばかりだ。

 どうやら余りにも長く、星野道夫を語りすぎたようだ。どんなに意を尽くして要約しても、どんなに言葉を尽くそうとしても、所詮、“贔屓の引き倒し”になりそうなのだ。
 内容の濃い講演会ではあったが、どうしても「行かなくても・・・」という思いが消えない。
 何故なのだろうか?
 答えは心に仕舞ったまま、今は星野さんの著作に戻ることにする。(完)
posted by vino at 14:53| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする