2006年10月19日

The End マーク

 不思議なことがあるものだ。
 当方のブログに、Xさんの「あしあと」が付くと、その後2,3日、何方の「あしあと」も見当たらなくなることがある。1度ならず2度、3度とある。
「アクセス解析」を見れば、決して多くはないけれど訪問者の数もアクセス回数も、日々、それなりにカウントされているから、その間何方も訪問されていない、ということではないらしい。
「あしあと」のない訪問者への思いを、以前、「交差する時間-あしあととあしおと」に書いたことがある。その時には触れずに措いたけれど、Xさんの呪術を思わないではない。

 以前、当方は「招き猫」と呼ばれた時期があった。馴染みの酒場や小料理店に行くと、随分遅い時間になっているのに「今日の口切なのよ」と言われることが度々あった。
 店を仕切る親父は仏頂面で、客席を切り盛りする女将にも笑顔が無い。
 カウンター席に腰を下ろして、取留めのない話も途切れがちになり、お銚子が3本、4本となる頃、数人連れ立った酔客がドヤドヤと入ってくる。更にポツリポツリと客が来て、急に店の中が賑やかになる。それを見計らって、当方は得たりやおうと店を出る。
 勿論、万限りそういうわけにも行かず、口切がなかなか席を立てずに、そのまま座り続けざるを得ないことも再三あったけれど、いつの間にか、一軒ならず何軒かの店で「招き猫」という呼び名をいただくようになった。
「△△ちゃんが来てくれると、お客さんが続くのよ。これからもよろしくね。ハイ、お銚子」などと女将に微笑まれると、それこそお調子とは知りつつも、つい、通い続けることになる。
 名は明かさなかったけれど、逆に、「その人」が店に来ると、パタリと客足が途絶えてしまう、世に言う貧乏神もいるらしい。
 しかし、「その人」が、大枚の散財をしてくれれば帳尻は合うから、店にとっては、客はやはり神様となる。「その人」は、勘定を頼む時は、万札がギッシリと詰まってパンパンに膨れた財布をそのまま親父に手渡し、「これで・・・。」と言うらしい。苦み走った顔立ちに似合った決め台詞だと言う。
 回数多く店に通うとは言え、上着のポケットからまさぐりだした皺くちゃのお札で支払う当方は、店の売り上げにとっては多寡が知れている客のひとりに過ぎない。
「招き猫」の背中も寂しいものだ。

 で、Xさんのこと。2,3日の空白の後に、ドヤドヤという感じで「あしあと」が付くこともあるから、Xさんの訪問は殊のほか嬉しい。
 当初付けた、Xさんの渾名は「The End マーク」。
 そして今は、「ブックエンド」。
 Xさん、お元気にしているだろうか?
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2006年10月18日

梨の花


梨の花 002.jpg ここ数年の間、剪定や摘果は勿論、消毒さえされずに打ち捨てられた廃園に、梨の花が咲いている。

 疾うに、露地ものの梨の季節は終り、店頭に並ぶのは冷蔵庫で出荷調整されたものばかり。

 秋風が肌に冷たく感じられる今頃になって、見捨てられてなお花開く様を、可憐とも健気とも言えばその通りだけれど、徒花の恨み言が聞えてきそうに思える。
 手入れされずに痛む一方でもあり、時季時のように、果樹園一面を真っ白に染める勢いはない。
 しかし、枯れ枝も目立つ中、あちらの小枝こちらの細枝に、小さな群れを作り寄り添い合って咲く様は、花として見る分には、却って風情があると言える。

 古来より、今を盛りと群れ咲く桜に比べて、ハラハラと散り行く様が好んで多くの歌に詠まれているのも、一本(ひともと)の桜木、一片(ひとひら)の花弁(はなびら)に想いを寄せる日本人の心に通うものがあるからに違いない。
 
 とは言いながら、朝夕、近くで北風に揺れる白い梨の花を見ていると、「風情がある」などと言う物言いも、つくづくこちらの勝手な言い分では、と思えてくる。
 せめて、霜枯れる前に花弁を散らしてもらいたい。白いままに。

 風情と非情とは、紙一重なのだから、などと・・・。
posted by vino at 12:11| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月16日

偕楽園公園修繕工事日記(その1)


修繕工事日記 002.jpg
修繕工事日記 001.jpg 

日本三大公園の一つである水戸の偕楽園には、名高い好文亭のほかに、大小九つの諸門がある。
 縁あって、ここ15年ほど、好文亭をはじめ諸門の修繕工事に携わることができた。
 偕楽園については、当方の拙い記事よりも、公式のホームページやら種々紹介記事があるのでそちらにお任せするとして(www16.ocn.ne.jp/^winwin/kairakuen.html 「偕楽園・好文亭」が写真も豊富で雰囲気が出ています。 )今回担当することになった「表門」と「黒塀」の修繕工事の有様を、追々、日記に綴ってご紹介することにします。
(写真は、「表門」園外及び園内から見たもの。痛みが酷く、仮サポートで支えられています。この門の、親柱、冠木(かぶき)を取替え、茅葺屋根を全面的に葺き替える、大掛かりな工事です。)
posted by vino at 17:38| Comment(0) | 修繕工事日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

落ち葉を洗う


落ち葉.JPG 昨夜の風は凄まじかった。
 温帯低気圧が、発達しながら房総沖、鹿島灘沖と通過したため、台風並みの風雨に見舞われた。陋屋の我が家などは、風が巻き返すたびに悲鳴を挙げていた。
 案の定、一夜明けてみれば、庭一面、落ち葉・落ち葉・落ち葉。
 
 夏の暑さが厳しかった所為か、今年は小庭の庭木の落葉が早いなとみていたが、それに追い討ちをかけるような嵐だった。
 家人は風を恨みながら、吹き倒された背高の紫苑や薄など秋の草花の手入れに忙しい。
 落ち葉を掃き集めていると、箒の先に綺麗に色付いた葉を何枚も見つけた。泥に塗れているのを、庭先の水場で洗ってみると、一層鮮やかな秋色が浮き上がってくる。
 全山紅葉を愛でるもよし、一葉を拾い上げてためつすがめつ魅入られるもよし。
 
 時々おいでいただくmojizurisouさんのご挨拶に「♪秋らしくなりましたね☆」とある。床しい心遣いがうれしい。お得意の淡彩画で「秋」を拝見するのを楽しみにしている。
(写真:中ほどのハート型のものは、マルバの木、緑斑交じりのものは柿の木の葉)
posted by vino at 14:21| Comment(4) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

茸 鍋 (その2)

 K先生あくまでも自然派の流儀を貫く。木の小枝で作った菜箸でチョイチョイと具を整えたり、たらリたらりと醤油を注ぎ足したり、手も口も忙しい。参会者一同、話に興じている振りをしては、チラチラ座の真ん中の鍋に眼をやる。皆、不安げな面持ちだったけれど、そのうちに何とも言えずいい匂いが立ってきた。ゴクリと喉がなったのは、ウィスキーではなく生唾を飲む音。
「さあいいぞ!出来たぞ!」というK先生の声を待っていたかのように、参会者が一斉に手を伸ばした。
「旨ァーい!」と一番に声を上げたのは、学生のT君。さすがに教え子だけあって、先生の気を引く術も心得ているなどと皮肉ろうかと思ったが、こちらも空かさず「ウメーエー!」と大声を上げてしまった。茸も山野草も醤油の味が浸み込んで、これがいい味に仕上がっている。
 一同お替りを頂いて一息付く頃、おもむろにK先生が立ち上がった。

「君たちには雑草としか見えない草ぐさも、立派に名前を持った植物だ。その命を頂くことには変わりはない。心して聞き給え」と、自作の標本を開きながら、改めて今日の献立である、茸と山野草の名前の説明を始めた。
 そして「さて、美味しく食べてもらったお礼に、本日のメインディッシュをご紹介しよう。」と、テーブルの下から、小さな笊を取り出した。見ると、その中には、先ほど食べた茸の一つによく似てはいるが、少し細目で、ヒョロヒョロした茸が入っている。
「みなの衆、この茸の名前は、ツキヨダケと言う。はっきり言って、毒茸です。しかし、これを食ったからといって死ぬほどの毒性はない。もっとも食する量によるがね。口に入れた途端舌が少しピリピリと痺れてくる。しかしそのピリピリ感が何とも言えず奥床しい。独特の苦味があるが、これを旨味と味わえないようでは、食通(その当時はまだ、グルメなどという生半可な言葉など使われていなかった)とは言えない。」とのご託宣の後、先生は鍋に残った煮汁の中に、そのツキヨダケをドサッとお入れになりました。
 その後どうなったかですって?勿論参会者の中で手を出す人は誰もいませんでした。彼の先生の可愛い可愛い教え子でさえもです。
 え?!先生ですか?先生は、それはそれは美味しそうにお召し上がりになリましたよ。パクパク、ピリピリ味わいながら。いえ、これホントの話です。もっとも、食べ終えると同時にすぐに、「これはゲドクザイ、これはゲザイです。」といって、白い粉薬をお呑みになっておられました。(尊敬のあまり、何時の間にやら敬語が混じっております。)
 さらにその後の顛末ですか?お察しの通り、先生は然るべきところへ何回かお通いになられました。
 
 先生がその後もお元気でご活躍であることは、前号でお話したとおりです。ご安心ください。しかしながら、皆々様はくれぐれもお試しになどなさらぬよう願います。ではこの辺でお開き、否、鍋に蓋をいたしましょう。お粗末。

 K先生のお言葉。
「旨いものを食おうと思ったら、文字通り毒見をしなければならない。しかる後、しかるべく処置すれば、何の憂いやあらん。先人のお毒見によって、我々は如何に多くの珍味にありついていることか、思い致すべし。合掌・・・。」
posted by vino at 17:00| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

茸 鍋


DSC02060.JPG 今頃の季節、義弟のO君から毎年のように茸が届く。家の近くの山にある幾つかの茸の代を知っていて、朝早く、勤めに出る前に小1時間ほど山に入っては、小籠一杯に採ってくる。今年も見事な一本シメジが、今朝、届いた。
 よく「匂い松茸、味シメジ」と言われる。松茸は決して、いや断じて、嫌いではないけれど、一年に一度、食膳に上ればいいほうだから、シメジを見ながら何時もこの俗諺が頭に浮かぶ。そして、K先生を思い出す。
 地方のI大学を定年退官後、名誉教授となり、出先の湖沼生物の研究施設で今でも学生を相手にかくしゃくたるものだが、話はその先生が生物学研究室助手だった若かりし頃のこと。(昔のこととて、些かお咎めを食いそうな向きもありましょうが、そこは時効ということで・・・。)
 
 ある秋の一日、研究室で茸鍋をするから集まるべし、とK先生から招集がかかった。鍋を囲んだのは、先生の教え子である学生数人と当方を含めた学外の遊び仲間7,8人。
 傍らのテーブルには、色とりどりの茸と刻まれた野菜が乗っている。先生は鍋に放り込むたびに、これは何々と茸の名を呪文の如く説明してくれるが、皆、半信半疑で聞いている。見たことも聞いたこともない茸もあって、不安この上なし。ただ、ジッと先生の手元を見ながらウィスキーを啜っているばかり。おまけに、野菜と思ったものは、然にあらず。研究施設のあるH湖の畔や先生の縄張りである学内の雑草地帯--先生にとっては貴重なフィールドワークの場--から調達した、山野草の数々。調味料は、醤油と塩少々のみ。
 (以下次号へ)
posted by vino at 14:59| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする