2007年03月15日

休刊のお詫び

 家人が、クモ膜下出血で倒れ、緊急手術をしました。
 当分の間、看病に専念しなければなりません。
 いずれまた、落ち着いた時に皆様にお目にかかります。では、また。
posted by vino at 10:22| Comment(10) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月12日

客体

 先日見た心エコーの画像に、何故あれほど奇異感を抱いたのだろうか。何故、規則的に律動する心臓の動きに、何か己ならざるものを見た思いがしたのだろうか。
 日頃、我々は自分の心臓の動きなどほとんど気にせずに暮らしている。そして、漠然と、「己」という意識の中にしまいこんでおり、日々、意識することはあまりないはずだ。それを、余りにも生々しく鮮明な画像で見せられることによって、「客観」という概念を突きつけられたのだ。己の肉体を、それも生命の根源、命ある限り動き続ける心臓を、「客体」として意識させられ、ギョッとしたのだ。日常生活においても、「非日常」なものを呈示されると、驚き、戸惑いを覚えるように。
 脳医科学の世界では、今、「心」の在り処を追求しているのだと聞く。
 心臓を中心とした「胸」にあるのか、脳の億万の細胞の中に潜んでいるのか。 
 心臓の動く画像を見ながら、自分の脳との結びつき、「意識」というものとの繋がりが、ぷっつりと断ち切られたような錯覚に陥ってしまった。 
 少なくとも、血液を全身に循環させるポンプの役目を担う筋肉の塊に過ぎない心臓は、己の意志には関係なく、自律神経に制御されているのだから。
posted by vino at 18:25| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月10日

新通院日記

 以前、心カテーテルをやって以来、半年に一度、心臓の定期検査をしてもらうことにしている。
 先ずホルター検査。胸の彼方此方に端子を貼り付け、小さな弁当箱のような記録箱を下げ、約24時間、心臓の鼓動を記録する。ザーザークークーというモーターの音が気になるけれど、大事な見張り番がいると思えば却って心強い。
 一夜明けて病院へ。ホルター器を外して、次に普通の心電図検査。そしてトレッドミルへと続く。
 TREADMILL。何のことはない、ハツカネズミの輪車だ。(英和辞典を牽いたら、『獄舎内で懲罰として課す踏み車。転じて、つまらない仕事』とある)
 ランニングマシーンのようにベルトが回転し、段々負荷を掛けるために前方が競り上がる。最後、結構傾斜がきつくなり、ほとんど前傾姿勢に近い。そこまで来ると、息が弾んできて、日頃の運動不足が露呈する。この間、こちらの手首をつかんで、担当医が脈をチェックしながら、気分に変わりがないかどうか訊いてくる。前回は、綺麗な女医さんだったので、手をつかまれるのがなんとなく嬉しくて、「良い運動になりますね」などと息を弾ませながら話しかけたっけ。今回は若い男の医師。終わってまた心電図検査。
 最後は、心エコー。これは初めての経験。ご存知、球状のマウスのような(何というのか訊くのを忘れてしまった)もので、心臓の廻りをスクロールする。
「トンサー、トンサー」と心臓の鼓動も聞える。いや、正しくは心臓内部での血流の音だそうな。
「一寸見てください。」と担当医。
ディスプレイ画面を見ると、盛んに心臓が動いている。血液の流れが赤い模様になって見えている。
「大動脈の弁から、かすかに血液の逆流が見られます。」
「え!?それって??」
「症状を4段階に分けると、1の段階です。何人かに一人見られる症状ですが、急に重篤な事態になることは考えなくていいでしょう。体質とか年齢によるものとか。ま、定期的に症状を診る、ということで。」

 体内を画像で見せられると、生きているって何だろう、と身体の仕組みと命の神秘さに改めて思い入る。
posted by vino at 18:38| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月02日

礼を以って

 
DSC02978.JPG

 久し振りに、市立図書館で読み聞かせ会。
 市内の S 小学校の1・2年生30名が、図書館活動の模様を見学に来たお礼に、と開いたもの。
 当方は大型絵本、ポプラ社の『かたあしだちょうのエルフ』(文・絵 おのき がく)を読んだ。
 大きくて、若くたくましい駝鳥とアフリカの草原に集う動物たちの物語。
 小動物を護るためにライオンや黒豹と闘い、傷つき倒れ、やがて自分の涙で作った?オアシスのほとりに一本の大木となって屹立し、涼しい木陰を提供するという、ちょっとホロリとさせられるお話。
 読み進む内に、子どもたちの気持ちがグイグイこちらに迫ってくる。
 道元の『正法眼蔵』75巻本の28巻に「礼拝得髄」というのがあるそうで、「7歳の童子に対しても何かを伝えたいなら礼をもってするべきだ、と」(これは、セイゴウ大先生の解説の孫引きです。)
 
 いつも感じることだけれど、こちらの、<読み聞かせる>などという物言いはおこがましい言い方で、子どもたちは<読み聞かせられる>などと受動的な姿勢は見せることはない。
 いつも、自由に、生き生きと、空想の世界にいる。
 そんな子どもたちに出会うために、研鑽、努力は怠れないと実感する。
 子どもたちが<礼>を以って応えてくれる以上、こちらもそれ相応の<礼>を尽くさねばならない。
 子どもたちは、強い(こわい)人種なのだから。
posted by vino at 16:42| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする