2007年07月29日

交差する時間 - 目

 木の間隠れに、白い顔が見えた。
 黒い瞳の大きな目が、木漏れ陽に瞬きを繰り返していた。
 葉が揺れて顔が隠れると、残された目は表情を変えて、強い光を放ったように思えた。
 気付くと、紅い唇が葉の緑に縁取られて、一層紅く見えている。
 そうして、彼女の顔は、風に揺れる葉越しにモザイクのようにその一部ずつを見せて、全体像を結ぶことはなかった。
 それでも、充分に、その女は美しかった。 
 時が経って、その女の姿が消えても、濃い緑の葉叢の中に象嵌された黒い瞳の目が二つ、動かなかった。
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2007年07月24日

『ルバイヤート』

 
DSC03309.JPG 例によって、乱読・併読のこと。
『海へ』『阿弥陀堂だより』南木 佳士(文春文庫)
『ルバイヤート』オマル・ハイヤーム著 エドワード・フィッツジェラルド英訳 竹友 藻風邦訳(マール社)

 書店の文庫コーナーから2冊。パラパラ読みに引っかかる文体に魅かれて、買う。
 どちらも、病に苦しむ人物が登場する。医師もまた、病む。
 著者は、現役の勤務医。ために、病名、告知、症状そして処方、時に、末期の看取りまでが、優しい眼差しの元、しかし、冷徹に描かれる。
 悩み苦しみながらも、肩肘張らずに病に立ち向かう姿が、著者の医師としての姿を投影して、柔らかい文章で描写される。
 文体は人柄を描出する。
『ダイヤモンドダスト』他7作、追加注文する。

『ルバイヤート』〜中世ペルシャで生まれた四行詩集〜
 内容について論評するのは、もとより、当方の手に余る。お許しをいただいて、心に残った幾編かを紹介させていただく。 

三十  われもまた、若き時、せちに通ひて、
    博士と聖をたづね、はてもなき
    あげつらひ聴きしかど、いつもいつも
    いで来しは、入りにし同じ門なりき。

七十七 その故は、思ふこと、思はぬことを、 
    哲人や博士のよし教ふとも、
    いづれみな永劫の鎖の輪なり、
    外るるも、砕くるも、余れるもなし。

九十八 あはれ、わがおとろふる命にそなへ、 
    命死ぬときには洗へ、葡萄もて。
    わが骸を青葉につつみ、よこたへよ、
    人訪はぬにはあらぬ園のほとりに。

 最後の九十八歌などは、西行の絶唱にも通底するところがあるように思える。
 全編、ロナルド・バルフォアの挿絵が艶かしい。オリエンタル風の倦怠とエロチシズムが、四行詩、百十篇を彩る。

注:博士(ものしり)、聖(ひじり)、永劫(やうごふ)、骸(から)。旧漢字、旧かな遣い。
    
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2007年07月22日

交差する時間 - 夜

淋しくはないかい?
淋しさを忘れさせて・・・

忘れては いけない
淋しさを忘れさせて・・・

・・・・・・・・・

優しくないのね
忘れては いけない

訊いたのは アナタよ
忘れてくれないか

どうしてこんなに暗いのかしら?
夜になると、ね

どうしてこんなに暗いのかしら?
夜になると、陰も消える、ね

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2007年07月20日

クジラの・・・


IMG.jpg  この10日ほど、クジラの・・・を聞きながら、台本を書いている。「クジラの・・・」と書いたのは、「・・・」が鳴き声とも話し声とも、単なる音とも判断できないからだ。
 テイチクレコードが出しているCDで、Natural Relaxaition Soundシリーズの中の一つ。 
 タイトルは、
‘SOUNDS AND SONGS OF THE HUMPBACK WHALES’
と何故か英文で書かれている。ただし、背表紙には「鯨の交響詩」とある。

 来月の1日から5日間、市立図書館の主催で、「森と海の物語」という企画展が開かれることになった。そこで、3日金曜日に、物語を朗読することになり、その際バックに効果音として使う「クジラの・・・」を聞きながら台本を書いている。子ども相手とはいえ、裏づけは調べなければならない。お陰で、市が発行している市史、自然史、有志が発行した郷土の写真集など結構な分量の資料にに目を通して、随分勉強させてもらった。
 物語は、「丘に上ったクジラ」と「ふるさとへ帰る、鮭の物語」の2本。
 豊かな森と清い流れの川、そして全ての生命の故郷である海との関りを、写真とイラストをプロジェクターで投影しながら語る構成。

 CDのケースの解説に、‘the hauting sounds and songs of the Humpback Whales’とあるように、異様なそして不思議なsounds and songsが、海中にこだましている。仲間を呼び合うのか、恋を囁くのか、遠く静かに、時に、近く激しく、交し合う。
 バックには、絶えず、海のうねりが潮鳴りとなって轟いている。時々、かもめの鳴き声が聞えてくる。
 ザトウクジラの巨体が発する鋭い信号音が奏でる“交響詩”を聞きながら、何とも不思議な浮遊感を味わいながら、文章を書いている。
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2007年07月17日

青い欠片たち(断章)

 -maronienokomichiさんへ-

 
DSC03307.JPG 青は、原始(はじめ)の時に、光とともに発現したに違いない。
 それは、だから、ひとにとっては、原始からあった「精神」そのもの。
 懐かしく憧れるまでもなく、自ずから記憶の中に思い出される。
 
 何かになり損ねた青、何かになりたがった青。
 
 他の色に比して、青を広大無辺に見ることを得たひとは、時に、青と友達になりたがる。そして、その都度、青の、作意の無い悪意を知って失意を味わう。
 自然界に流れ漂う青で、ひとの掌中にできるものなどあるはずもない。
 空の青も海の青も、掌の中に囲った途端、掬い取ったと心躍らせた瞬間に、その色を消し、素早く正しい無色透明に還ってしまう。
 ひとに許されるのは、ただ、それらを遠く見詰め続け、己の心底に沈め置くことだけ。
 
 何故なのだろうか。
 あるはずのもの、あり続けるはずのものが薄れ行くトワイライトの中で、ひとは、より、心を濡らす。

 窓辺に、青い欠片たちを置くひとは、自らに憑依するものに憧れる。
 祈りの中に据える神器の如く、そこに大いなるものの降臨を仰ぎ、聖なる言霊の到来を待つ。
 器から発振される青に促されて、そのひとの心にあった青が表徴する。
 そのひとの好きなものは、青の向うにある、青。
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2007年07月08日

交差する時間 - 青

あおぉい 青

たかぁい 青
ふかぁい 青
とおぉい 青

なつかしい 青
あいたい 青
 
おもいだした 青
わすれた 青

なくなった 青
うまれた 青

あたたかい 青
つめたい 青

ずうぅっと 青
あおぉい 青

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2007年07月07日

交差する時間 - 噂

あのひとね・・・
あのときね・・・
あそこね・・・
あのことね・・・
あのようにね・・・

言ったひとは 忘れた
聞いたひとも 忘れた
もっとも そのひとは 
忘れる前に
また ひとに言った
また 聞いたひとも 忘れた
忘れる前に
また ひとに言った

何故だろう

巡り巡って
言われたひとだけが
いつまでも 傷付いている

何故だろう
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2007年07月06日

『かさ』と『あな』

 例によって、乱読、併読のこと。
◎『詩人と絵描き-子ども・絵本・人生をかたる-』
 対談 谷川俊太郎 太田 大八
 聞き手 山田 馨(講談社)
◎『かさ』 作・絵 太田 大八(文研出版)
◎『あな』 谷川俊太郎 作 和田 誠 画(福音館書店)
 
「読み聞かせ」の楽しみは、先ず、子どもたちに出会えること、良い本に出会えること、そして、良い友に出会えること、だろうか。
 子どもたち:文句なし、良いも悪いもない、要するに子どもたち。  
 良い本:かと言って、悪い本があるかと言えば、幸い、今までに出会ったことはない。では、殊更に、何故良い本と言うのだろうか。 
 仮令一行、否、一字一句でも、キラリと光るものがあれば、良し。
 胸に響くものがあれば、更に良し。
 脳天を打つものがあれば、特に良し。
 良い友:語るを語り、黙すべきを黙す間柄、と言えば良いと思っている。かと言って、当たり障りの無い会話、人柄とばかりではつまらない。時に、感情の赴くままに互いに激することもあるが、それらの大概を許容し合える仲。下支えするのは、お互いのインテリジェンス。例えて言えば「交互する階段」を提供し合える仲。
 さて、本のこと。
『詩人と絵描き・・・』
 山田さんという、名うての聞き手がいなければ為らなかった本。この本の中で、出会ったのが、『かさ』と『あな』。

DSC03294.JPG『かさ』
 文字通りの絵本で、本頁には、文字は一切無し。文字が見えるのは、描かれた街並みにある商店の名前と屋上広告塔の看板文字。そして、通行人が手に持つバッグのロゴに、STOP THE WAR。
 墨一色で描かれた線描画の風景の中を、赤いかさをさした一人の少女が歩いて行く。良いお話。
 この本を、次回の読み聞かせに取り上げたい。今言ったように、言葉と言えば、タイトルの「かさ」のみ。本文には書かれていない言葉をどう表現するか。ウ、フ、フ。秘策あり。これは楽しみだぞ。

DSC03295.JPG『あな』
 一人の少年が、家の庭に穴を掘って、「あな」を体感し、また、その穴を埋め戻す話。それだけの話。
 表紙のキャッチコピー「4才〜おとなまで」が全てを語っている。良いお話。
 この本を、次回の次の読み聞かせに取り上げたい。単純だけれど、何かが凝縮された言葉を伝えたい。和田誠の絵に負けないように。
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2007年07月04日

交差する時間 - 燕

君、少しは遠慮ってものがあるよ。
そんなに、スイスイスイスイ
飛んで行って良いものかね。
そんなに気持ち良さそうに
宙返りをして良いものかね。
空は、君だけのものじゃないんだよ。
皆の、そう、みんなのものじゃないか。
皆が仰ぐものじゃないか。
皆が遠くを思うところなんだ。

燕、君に頼みたいんだ。

君、少しは遠慮ってものがあるよ。
そんなに、遠く南の果てまで
飛んで行って良いものかね。
そんなに嬉しそうに
海を渡って良いものかね。
海は、君だけのものじゃないんだよ。
皆の、そう、みんなのものじゃないか。
皆が祈るものじゃないか。
皆が遠く夢見るところなんだ。

燕、君に頼みたいんだ。

君の住む、南の国を見てみたい。
何時か、連れて行ってくれないか。
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2007年07月03日

「裁きの庭」へ

 
裁きの庭パンフDSC03287.JPG 一昨日の日曜日、市民劇団「劇工房橋の会」の公演(第11回)を観てきた。
「裁きの庭」2幕
 原作:レジナルド・ローズ
 訳 :額田やえこ
 潤色・演出:木村夫伎子

 6月29日初日から7月1日楽日まで、マチネーを含めて4公演。
 「市民〜」と名の付くこの手のものは、無料公演が多く見られるけれど、演出の木村さんは、たとえ300円でも500円でもお金をいただく、という主義。その方が、演じる者も観る者も、本気度が違う、というのがその信念と聞く。
 で、今回は入場料1200円。(前売り1000円)
 3日4公演といい、有料といい、市民劇団としては大変な意気込みだけれど、期待に違わず、熱演を見せてくれた「橋の会」の皆さんに拍手を送りたい。
 公演パンフレットによると、「橋の会」は女性の集団だそうで、今回の公演に当たり、男性6名(他に、声のみの出演1名)の客演を得て実現したとか。その男性陣がなかなかの演技振りで、舞台を盛り挙げていた。
 お話は、名優ヘンリー・フォンダの主演(陪審員8号)でお馴染みの「怒れる12人の男たち」の翻案もの。
 エンディング近く、最後まで被告の少年の有罪を一人主張していた陪審員3号(映画では、リー・J・コップ)が、自分の息子との癒えることのない確執を告白し、胸のポケットに仕舞っていた息子の写真を取り出す。そして突然それを破り捨てながら、「あいつは無罪だーっ!!」と叫ぶシーン。そして誰もいなくなった陪審員室で、終始、冷静な話し合いをリードした陪審員8号が彼を法廷へと促すラストシーンは感動的だった。
 全員一致、無罪の評決が、空っぽの舞台にドーンと残されて、幕。

「日本でも2年後には裁判員制度が導入される。あなたならどう裁きますか?」という問いかけが、ズシンと胸に応える舞台でした。

追記:300席の客席は、連日、ほぼ満員でした。 
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2007年07月02日

「よっこいしょ」の会

 家人が、永年チーフとして勤めていた訪問介護施設のヘルパーさん達が声を掛けてくださって、つい先日、会食会に参加してきた。
 気の合った仲間同志の誘いとあってか、術後3ヶ月で、やっとすすんで人前に出る勇気が湧いたと、ルンルン気分で出かけていった。そして2時間後、夕食を伴にしながら気持ちよく歓談出来たと、喜んで帰ってきた。
 車を降りる時に、「よっこいしょ」、玄関の上り框のところで、「よっこいしょ」と声を出す。
「いやに気合が入っているね」と笑い掛けると、突然大声で笑い出した。
「!?」
「あのね、集まった皆も、何かで立ち上がる時に『よっこいしょ』って声を出すのよ、テーブルに手を突いて。それが、2人3人となるうちに誰かが気付いて、大きな声で囃したのよ、『ホラッ、よっこらしょっ!!』って。そしたら、皆も『アラッ!?』って気付いて大笑いしたの。可笑しかったわ。それでね、幹事役のOさんの提案で、『よっこいしょの会』って名前付けたの。『名前を付けたんだから、これからも定期的に集まりましょうよ』って、そう言う訳」
 それ以来、家人の顔付きが少し変わったように思える。顔に張りが出てきたし、顔色も違う。数段、生気が感じられるようになった。
 人疲れがする、と言って、見舞い客が帰った後などもすぐに横になりたがったし、買い物もそこそこで帰ってくる状態が一変してしまった。
 現役で働いている誰さん彼さんの元気を貰ったらしい。 
 仲間の励ましやおしゃべりが、余程嬉しかったに違いない。何よりも、弱々しかった話し振りも以前に戻ってきた。
 仲間とは、友達とは何と有難いものだろう。
 思わず出る、「よっこいしょ」や「どっこいしょ」という掛け声は、どうやら自分を励ますばかりではないらしい。
 周りの人を元気付ける効能があるなら、年よりじみて恥ずかしいなどと言わずに、人前でも、堂々と、「よっこいしょ」、「どっこいしょ」と言えるような気がする。
posted by vino at 08:43| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

交差する時間 - 貝殻の唄

ああ 波が寄せるよ 砂浜に
 子守唄だよ 子守唄だよ
カラカラカラカラ 風に鳴るよ
 貝の亡き骸
月の光に 濡れてよ

ああ 波が寄せるよ 砂浜に
 子守唄だよ 子守唄だよ
クルクルクルクル 空に飛ぶよ
 貝の亡き骸
月の光に 溶けてよ

ああ 波が寄せるよ 砂浜に
 子守唄だよ 子守唄だよ
コロコロコロコロ 波に遊ぶよ
 貝の亡き骸
月の光に 甘えてよ
posted by vino at 09:15| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする