2008年06月30日

見えないもの

 夕陰の中で、一匹の蜘蛛が、雨に打たれて綻びた巣を繕っている。雨雲に溶け込んで、蜘蛛の糸は見えない。
 蜘蛛は、空中を泳ぐように忙しなく手足を動かして、あちらこちら修復に余念がない。
 あるはずのものが、何かの理由で見えなくなると、代わりに何気ないものの中に、幻想的な気配が漂い始めることがある。

 ショウウィンドウの透明なガラスに映るこちらの影も、全反射ではないから、光の透かし彫りのように見える。
 光を反射して煌めきながら、青空高くジェット旅客機が飛んで行く。機体の青空を映すところは、空の色に溶け込んでいるから、まるで光の作り出す飛行機のスケルトンが空を滑って行くようだ。
 デジタルカメラで、普通に撮った映像を、「編集」機能を使って明度やコントラストを極限まで調節すると、光の当たった最輝度のところだけが浮かんで、元のものとは似ても似つかぬ姿が現れる。

 あるはずのものが、ある日、ある瞬間、忽然と姿を消す。
 あるはずのものが、日々、ゆっくりと消えて行く。
 不在となるものもあり、無となるものもある。
 痕跡を残すものもあり、きれいさっぱり跡形もなく消えるものもある。

 空中に浮かぶ蜘蛛の隣りで、何やら一匹の羽虫が必死にもがいている。見えなかった蜘蛛の巣に捕らえられてしまったらしい。
 蜘蛛は、その八つの目で獲物の足掻きを眺めても慌てる風もなく、こちらが大事、とばかりに、繕いの作業を続けている。
 羽虫が羽を震わせるたびに、空中で蜘蛛が揺れる。
 その時、見えなかった蜘蛛の糸が燐光を放って夕闇に浮かんだ。 
 瞬時、蜘蛛の巣の糸に、雨の雫が連なっているのが見えた。
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2008年06月27日

交差する時間 - ひと日

夕映えは
何れの羞らいか
薄れ行く

嗚呼 そうか
もう昏れて行くのか
ひと日よ

残されたものが
我知らず
夕闇に立つ

ものの陰影も沈む頃
生まれ来るものよ 思え
未だ手を伸べずにいるものの
あることを

嗚呼 そうか
もう行くのか
ひと日よ
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2008年06月26日

交差する時間 - 鏡の中へ

突出した己を押し戻して平らかにするために
旅に出ようと思う、鏡の中へ

忘れようとして
忘れられないものがある
考えないようにしようとしても
考えてしまうものがある
思わないようにしようとしても
思っているものがある

それら手に余るものたちを
幼児の稚気を以って、一つ一つ
鏡の中へと落としに行く

鏡の中に見ていたものが
鏡の中でも見えるだろうか

縦、擬態としてあるにしても
向うからの眺めを確かめねばならない

鏡の中へ行く
手に余るものを持って

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2008年06月19日

交差する時間 - 選んだ釦

釦かがりの糸を切って
女は泣いた

釦を付けると何かが終わる
何かが終わると釦を付ける

釦が閉じるのは淡い機縁ばかり

閉じきれないもどかしさと
すり抜ける快感と

男が去って 残された釦
女が摘まんで 選んだ釦

釦の穴の向うに
落ちている
もう一つの釦が光って見える

   ○

憩っているかに見えるもう一つの釦に
過不足なき充足などあったろうか
一つの釦に許されたのは
過不足なき演戯だったはずが
手に残るのは
掛け違った釦穴への慰撫と違和感

釦を付けると何かが終わる
何かが終わると釦を付ける

もう一つの釦を摘まんで
女は笑った
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2008年06月17日

捨て色

 
DSC03824.JPG 

 赤や黒、黄色や青や緑。原色のサンプルが、これ見よがしに並べられている。サイケデリック調の柄物が、我が物顔に踊っている。
 
 壁紙やカーテンなど、インテリアのサンプル帳に使うテキスタイルのデザイナーに訊ねたことがある。
「こんな奇抜な色や柄、使う人いるんですか?」
「ポツリポツリといますよ。でもね、そのような色や柄のものは、売れなくてもいいんです。」
「え!?」
「《捨て色》、《捨て柄》と言いましてね、売りたい色や柄だけでは駄目なんです。反面教師って言葉、ありますよね。人間の心理って面白いんです、どんどん選んで捨ててゆく。そこに自分が選び抜くんだという心理が働いて、これぞ私の好みなんだってものにたどり着く過程が大事なんです。買う買わないではなくて、まず、選ぶことに集中してもらって、最終的に購買行動に結びつく、というわけです。だから、選ぶ過程で、捨てるものがないと、駄目なんです。」

《捨て・・・》いう言葉は、ほとんどがマイナスのイメージしか浮かばないと思っていたけれど、どうもそうでもないらしい。
 なるほど、碁や将棋の用語にいう、《捨て石》、《捨て駒》は、いずれも目先の小を捨てて大を得るための高等戦術につながる。《捨て石》は、また、庭師にとって、なくてはならぬもの。中心となる親石、主石を据えてから、小振りな自然石をところどころに配して、庭の風致を引き締める、腕の見せ所でもある。
 その他、《捨て印》、《捨て金》、《捨て値》などいろいろあるけれど、皆、どこか意味深なところがある。
 いずれも俳句の秋の季語とされる、《捨て団扇》、《捨て扇》には、夏の暑さを共に捨て遣る風情が漂う。
 《捨て妻》は、文字通り、捨てられた妻、離縁した妻の意であるが、今の世の中、対句として《捨て夫》を置かなければ釣り合いが取れないかもしれない。
 女を捨てると書いて捨女(すてじょ)とは、凄い俳号があったものだが、本名、田(でん)すて。
 六歳のときに彼女が詠んだという、
「雪の朝二の字二の字の下駄の跡」は、あまりにも有名。
 
 世中を捨てて捨てえぬ心地して 
        都離れぬ我が身なりけり

 鳥羽上皇の北面の武士として仕え、家代々の勇士と讃えられていた時の人、佐藤義清、後の西行が、突然、出家遁世したのは、彼が23歳の秋と伝えられている。家族も名誉もかなぐり捨てて出家の道を選んだについては、諸説あって謎に包まれているけれど、後世の我々にとって、西行の西行たる偉業は、彼の残した数多くの歌で感ずれば足りる。
 言えることは、世を捨てた後も、多くの知人友人、やんごとなき宮人との交友を続け、行ったりきたり、決して取り澄ました悟りの人ではなかったということだ。
 捨ててなお捨てきれぬままに、西行は歌う。

 世中を思へばなべてちる花の
        我身をさてもいづちかもせん

「いづちかもせん」とは、己が身の置き所、捨て所を、迷いつつ思い悩みながら求めて止まない、西行の絶唱でもある。

 さて、柵(しがらみ)に絡め取られながら生き続けねばならぬ我ら俗人にとっては、次の二行詩が似合っていると思うが如何だろうか?

 酒は涙か溜息か 心の憂さの♪捨て所〜
 
 
 チョイと古くて悪かったね。
 《捨て鉢》気分で、《捨て台詞》。お粗末!

※ 文中の西行の歌は、『校註 西行法師全歌集』(尾山篤二郎著・創元文庫)による。
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2008年06月15日

交差する時間 - 未完の遺稿

時代の積層は
未完の遺稿に束(つか)ねられている

分厚な大いさに気圧されながら
その世界を臨み見るものに
許されることとは何だろうか

共有する遥かな遠景を望みながら
心ならずも取り落としたものに
用意されたものとは何だろうか

未完の遺稿を食べにきたものがいる

蠕動する断片を摘み食いして
得たものとは何だろうか

生の前でたじろがぬ愚かさも
死の後には
無筋の脆弱な一つの塊となって
無在を宣告される

よって
未完の遺稿のみが
濾過されて残る
posted by vino at 11:14| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

古文書を読む

 
古文書テキスト.jpg 生涯学習の一環として、同好会の形で古文書を読み合うグループがあるのを知って、早速、入会した。
 以前からの会員が減る一方だったため、会員募集を市の広報誌に掲載したところ、会員が倍増になった、と世話人のNさんが喜んでいた。総勢12名で、内女性はお二人。この手のグループにしては、珍しく男性陣が頑張っている。皆さん、70代から80代の年配だがかくしゃくたるもの、頼もしい先輩方揃い。 
 自己紹介をし合った後、分厚いプリントを渡される。江戸時代天明期の「御用留」といわれる文書。
 教師上がりのOさんが読み下しをされ、世話人数人があれこれ話し合いながら意味を説明してくれる。
 読めないけれども、流麗な書体に、昔の人は、これが読めたんだ、と驚きながら見惚れてしまう。。Oさんが読み進むに連れて、天明当時の庶民の生活の窮乏振りが目に浮かぶ。天明といえば、天変地異に加えて、飢饉の続いた年代に当たる。
 月に一度なので、次回の読み合わせ会が待ち遠しい。
posted by vino at 17:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

一粒の種もし・・・

 
DSC03829.JPG 家人が、軒下に片付けて置いた陶器製の植木鉢を、
「これ、使って良いかな?」と訊くと、
「良いけど、何を植えるの?」と逆に訊かれた。
 咄嗟に返事をしようとしたけれど、これが思い出せない。・・・何だったかな・・・。

 午後のコーヒータイム、コーヒーミルに一匙、豆を入れているときに突然、そのことを思い出した。
「そうだよ、思い出したよ、コーヒー豆だよ!!」
「そのコーヒー豆を植木鉢に!?」
 まさかア、こんがり焙煎されたコーヒー豆を植木鉢に播いてどうするね。

 当方の好きなコーヒーの銘柄である「コロンビア」の種類が豊富なので、大阪の土居珈琲から、豆を取り寄せている。3年ほどになるだろうか、毎回、焙煎の度合いは、おまかせ。200g3セットで40日前後が、当方のペース。
 その土井珈琲から、コーヒーの種が送られてきた。
いわゆる、生豆の状態のもので、グアテマラ産カツーラ種、11粒。その生白い豆を見て そうかア、焙煎される前は、コーヒー豆は生きてるんだ、といたく感じ入ってしまった。
 「一粒の麦もし地に落ちて死なずば・・・」だったかな。
 親切なことに、挨拶状と一緒に【育て方】も付いていて、今が播き時だ、とある。

・・・よろしければぜひご自身の手で頑張って育ててみてください。
 貴方さまが育てたコーヒーの樹から「生豆」を仕入れさせていただける日がくることを心からお待ち申し上げております。

 ですと。トホホ、こういう文句には弱いんだよなア。
 何故11粒なのか、分からないままに、鉢に播くことにする。「11粒の種もし地に落ちて・・・」
後日談のことは後日に。


posted by vino at 16:44| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

忘れないで・・・

 
勿忘草.jpg 朗読のための手製の台本に、ラシャ紙という厚紙で表紙を付ける。青だったり、茶色だったり、黒だったりする。朗読する話の内容によって色分けする、といえば聞えは良いが、何のことはない、その時の気分次第で変える。
 台本は普通、A4の大きさのものを横使いにして二つ折りの見開きにし、いわゆる、観音開きに綴じる。
 厚紙はB4版だから、どうしても切落としが出る。細長い切落としは、帯に短し襷になんとやらで、最初の内は舌打ちしながら屑籠に放り込んでいたが、ある日、不図、思い付いた、これで栞を作ろう。

 本によっては、糸栞の付いていないものがある。
 文庫本なら、読み止しの頁を折って間に合わせることもあるが、単行本の場合は、それが出来ない。 
 本の持つ、威厳、とでもいうものに気圧されるところがある。 
 何故、本によって、糸栞が付いたり付かなかったりするのだろうか、凝った装丁の本に糸栞が見当たらないと、アレッ、そうなの!?と肩透かしを食った気分になる。本の装丁者の意図なのか、作者の望みなのか。その基準が何処にあるのか判然としないだけに、おもてなしの一つを手抜きされたようで、ちょっと淋しくなる。
 そんなこともあって、厚紙の切落としで作った手製の栞を重宝しているが、これが不思議なことに、一気に、一枚も見当たらなくなってしまうことがしょっちゅうなのだ。
 手製のものに加えて、時折文庫本などに挿入されている栞もあったりするから、結構な枚数手持ちがあるはずなのだが。
 先日、机の上に増殖を続けていた「積読」の本を久し振りで本棚に戻した。立っていたもの横積みのもの、大小合わせて30冊を超えて机を占領され、ノート一冊拡げるスペースさえなくなってしまっていた。
 その際、パラパラめくりをしてみたら、あるはあるは、消えてしまっていた栞が数十枚、出てきた。
 途中で読むのを止めた本はいいとして、完読、通読したはずの本にも、挿し込んである。
 乱読、併読が習い性だから、どうしても、そうなってしまう。中には、どういうわけか、同じ頁に2枚、種類の違う栞が挟んであるものもあった。
 その一枚の栞に、今月の花「忘れな草」とあり、その花言葉に曰く、「私をわすれないで」。

追記:忘れな草の写真と花言葉は、「花言葉事典」さんから、転載させていただきました。
追記の追記:「花言葉事典」管理人のクーミンさんに転載のお願いをしたところ、早速、温かいメールをいただきました。ありがとうございます。
なお、クーミンさんは、フリーのアナウンサーとして活躍されておられ、次のサイト「花とのふれあいを気ままに語る -- フラワー・ステーション」では、クーミンさんの素敵なお声が聞かれる。皆さまも是非一度、お訪ね下さい。


http://ponkumi.seesaa.net/


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2008年06月09日

交差する時間 - 蟻

小さな身体で大きな瓦解を望むものよ
集団的戦慄に耐え居るものよ
小さな身体で大きな命を謳うものよ
朋友の亡骸を知らぬ気に踏み越え行くものよ
甘味ある贄の如くある「時」を集めるものよ
 
習性とは実(げ)に恐ろしいものだ
自ずから生まれる役柄に因って
嬉々として萎えていて恥じない
連綿として「時」を紡いで怖けない

小さな身体で身に余る巣穴を築くものよ
集団的盲目に倦まずあるものよ
生きながらえて今日あることを
他に仮託して行くものよ

君に痛みはあるか
君に渇きはあるか
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2008年06月02日

木の刺青

 
DSC03812.JPG 知り合いが、山で倒した樫の木を運んでくれた。炭にするのにはいいのだろうけれど、薪としてはどうなのか。堅木だから熾きも期待できるはずだとは思うが、いずれにしろ、檪の薪の山も乏しくなってきていたので、有り難く頂戴した。
 長さを揃えるために、早速、その何本かをチェーンソーで輪切りにしていたら、珍しい模様が出てきた。どうやって出来たのだろうか、年輪とは違う線描の絵柄になっている。対になって飛ぶ番の鳥のような、妖しく咲く黒薔薇のような・・・。樫の木の白い木肌に、くっきりと浮かび出ている。
 
DSC03815.JPG それをつくづくと眺めていたら、ひとりのお姐さんを思い出した。
 そのひとは、太腿の内側に、薄紅の薔薇を咲かせていた。深緑の葉に縁取られるように、妖しく咲いていた一輪の薔薇の花。
 酒に酔い、・・・に酔い痴れて行くうちに、花弁の色合いが鮮やかな深紅に染まって行く、刺青の薔薇。
 花弁の蔭に隠れていたあの薔薇の棘が、何故か妙に痛かったことを思い出した。
 あの薔薇、その後どうなったのだろうか。
posted by vino at 11:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする