2008年10月28日

群れる(詩想)

 恥と恥らうとを、混同する人がいる。
 恥には虚勢が伴って、何処か淋しい。そして、絶えず、冷たい。
 恥らうには媚が伴って、何処か侘しい。そして、絶えず、色めいている。
 群れには群れの摂理があって、絶えず不協和音が要求される。
 群れには、絶えず、残響音が起り、絶えず、反響音が鳴り響いている。
 恥の中に己の失態を見た人は、恥らいを感ずることは出来ない。
 恥と恥らいとを混同すれば、それらの同心円は何処までも広がり、薄まって行く。その輪の広がりは、発信者に止めることなど出来ぬほど、遠くへ行ってしまう。
 群れには、常に、孤独が付きまとう。ひとりでいる孤独と、孤独でいるひとりとを、群れは混在して包含する。
 錯覚は、常に、群れの集まる広場の中で起る。そんな時に、「広場の孤独」は、静かに降臨する。
posted by vino at 19:17| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

「春の陽だまり」

 21日から開かれていた、市立図書館主催の企画展「ブラジル移民100周年記念展」が終った。
 最終日の昨日は、関係者による談話会、朗読会が行なわれ、その朗読会に参加させてもらった。
 そのためのテキストづくりで、今月の月初めから四苦八苦。図書館にあるブラジル移民関係の図書十数冊に目を通して、涙、涙で筆が進まず、やっと、24日にアップして、朗読をしてもらうNさんとSさんに渡してすぐに、本読み。
 26日、無事、感動の声を頂いて終了。聞いていただいた皆さんの涙で、疲れが一遍に吹っ飛んでしまいました。
 皆さん、今年は移民100年に当たります。この機会に、是非、一冊なりと、手にとって見てください。
 
 拙い文章ですが、テキストご高覧下さい。

※都合により、pdf版閉鎖します。’09.5.22から数回に分けて連載します。
posted by vino at 17:37| Comment(0) | 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月06日

交差する時間 - 勾玉

円筒の胴長の 埴輪の女
穿たれたのは 四つの穴
目・目・口・そして・・・・
突き出たものは 四つの丘
鼻・乳房・乳房・恥丘

君のために 勾玉を造ろうと思う
陽に透ける薄青緑色の石を探して

勾玉の肌の香し
勾玉の姿の艶かし
勾玉の艶の麗し

勾玉の光沢は光を反射する とよりは
その身から光を発するものの如く
そんな勾玉を造ろうと思う

四つの穴から漂う風は
今も太古のままに薫る
四つの丘に宿る光は
昔も今も君を微笑ます

勾玉を 君の前に捧げようと思う
そして
君と一緒に祈ろうと思う

posted by vino at 17:35| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月05日

何処か遠く

 幼稚園、年長組の孫君のこと。
 
 彼のうしろを、友だちがゾロゾロ付いて回るから、遊び友だちは沢山いる。
 ひとり遊びが好き、というわけではないし、仲間外れにされるわけでは決してないのに、いつの間にか友だちの輪を離れて、毛虫やカマキリや蟻の行列を見ている。
 ボーっと何処か遠くを見詰め続けている。
 運動会や発表会での団体競技、特にリズム体操が苦手らしい。ひとり、テンポが外れて、面白くなさそうにしている。(どうして、みんなで同じことをしなければいけないんだろう?)
 まぶしそうに空を見上げたりしている。

「あの時、何を見ていたの?」
「・・・雲・・・」
 で、幼稚園仲間のお母さんたちから彼に付けられた愛称が、「自由人」。

「ワッチュアネームって訊いてぇ」
「ワッチュアネイム?」
「アイム、クタ!」
「!?」
「英語ではさあ、名前反対に言うんでしょう?」
「えっ!?アー、反対って、その反対じゃあないんだよ。英語で言う時はね、その人の名前を先に言って、苗字は後で言うんだ」
 因みに、彼の名前は、「大空」と書いて、「たく」と読む。

 いずれ彼にも、「近くのこと」で思い悩む時がやって来るだろうけれど、今は、何処か遠くを想う「くた」のままで良い、元気一杯に遊んでいれば、それで良い、と見守っている。
posted by vino at 10:14| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

交差する時間 - 十字鏡

祈りは己の肢体を容認することから始めねばならない
その皮膚に包まれてあるもの
その骨格をなすもの
脈打つ心臓 流れる血潮
全てを引き受けて 真底安心のうえに
自らを宥めねばならない
自らを受得せねばならない

 わたしは十字鏡を欲しいと思った
 正視しては見えないものがある
 眼差しを外したその瞬間に
 微かにみえるものを もう一度
 見たいと思った
 それは自分自身に見た 
 懐かしくも愛おしい姿だった
 少し疲れてはいるが なお
 首を仰向けて立っている わたしだった

祈りの前には 静かにあらねばならない
祈りには 願いを込めてはならない
祈りは 対峙であってはならない
祈りの時 自らを導管の如くして
湧き出るものを 高みへと
昇華させねばならない

祈りはそうして 静かに行なわれねばならない

わたしは 十字鏡を欲しい と思った
posted by vino at 08:42| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月02日

交差する時間 - 坂(詩想)

坂は、常に、道の途中である。
上るも下るも、人は幾許かの蟠りと開放感とを
その胸に抱く。
坂は、常に、留まるものを傾斜させる。
仰ぎ見て、俯いて
だから、人は幾許かの摂動を感じる。

坂を行くものは、ひそむ闇を憶測しながら
自らを通過者であると自覚する。
だから、人は一所に留まって彼方を想う人となる。
大いなる白光の輪郭を息を飲んで見やる人となる。

坂は、常に、何ものかと何ものかとの中間である。
無限軌道の振り子の一方に
生成と消滅と、濃密と稀薄とを見せながら・・・。

坂の上方にあるものも、坂の下方にあるものも
実は、人は知らないでいる。
憧れと好奇心と、幾許かの倦怠感に塗れて
足を進めているに過ぎないことも・・・。

「一方は高く、一方は低く傾斜している道。」※
その両方に傾きながら
坂は、常に、道の途中である。

注:※は、広辞苑(第三版)による。
posted by vino at 15:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする