2009年07月22日

日 食

 
051.JPG 直前まで小雨が降っていた。世紀の天体ショーは幻だったか、と諦めていたところ、11時10分ごろから急に雲が切れて、太陽が顔をのぞかせた。なんという幸運!!特殊メガネを使用するまでもなく、薄雲が天然のフィルターとなって、半月状の太陽がくっきりと見えた。欠けたまま、わずか10分ほどで、太陽はまた厚い雲の中に隠れてしまった。
 慌てて、カメラを取り出した、とはいっても、当方のカメラはデジカメの馬鹿チョン版。ご覧にいれるほどのものではありませんが、ま、ご高覧下さいませ。

※SONY Cyber-syotに、RIKEN SYAKOLENS 9Aをくっ付けて撮影。まるでオーロラの中に見る日食です。(えっ!?自画自賛が過ぎる、ですか?)なにはともあれ、クリック拡大でご覧ください。
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2009年07月15日

いちばんあつい夏

 今年も、全国高校野球選手権が始まった。
 茨城大会は11日に開幕し、甲子園出場を目指して、連日熱戦が繰り広げられている。
 12日の新聞を見ておどろいた。県立東海高校の根本直樹主将が開会式で選手宣誓をした、という。
 実は、当ブログで以前「部員5人の野球部」(2006・9.20〜22)として紹介したのが、T校こと、東海高校なのだ。
 慌てて東海高校のホームページを見せてもらったところ、硬式野球部、女子マネージャー2名、ユニフォーム姿の選手19名が紹介されている。立派なものだ。他の運動部の助っ人も必要なさそうだ。
 また、11/23 東海・ひたちなか地区高校野球大会優勝、という記事が踊っていた。

 根本君は胸を張って選手宣誓をする。
「ゲームセットのその瞬間まで、母校の誇りを胸に、一生に一度の最高の夏、という名の宝物を探し続けることを誓います」
 以下、12日付毎日新聞茨城県版から引用させていただく。
---自分で宣誓の文案を作り、先生と相談して修正した。文面を印刷して自宅の玄関やトイレに張り、登校前や就寝前に読んで暗記した。本番の出来は「自分の中では100点」と満面の笑みを作った。
 宣誓の冒頭は「いちばんあつい夏がやってきました」だった。

 あの東海高校硬式野球部が、あれから3年の間にいい伝統を築いてくれたんだ、と記事を読みながら胸が熱くなった。
 当方の「部員5人の野球部」は、彼らを揶揄する部分もあったので、少しく反省しているところです。

 東海高校は2回戦からの出場で、19日、1回戦を勝ち上がった土浦一高と対戦する。
「いちばんあつい夏」が「最高という名の宝物」になるように。フレーフレー、東海!!(そして土浦も)
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2009年07月14日

グリーン・カーテン

 
ゴーヤー 002.jpg 仙丈庵の南窓の下に、沖縄ゴーヤを3株、鉢植えで置いてある。
 腰板の高さを越えて、やっと窓部にまで伸びてきた。
 朝晩の楽しみは、伸びた蔓やヒゲ蔓を、ネットの表側にそろえてやること。ネットは、幾分斜め掛けにしてあるので、放って置くと、どうしても裏側に伸びていってしまう。
 ネットは10センチ角の網目だから、1日にひと升目とはいかないけれど、網目の中ほどに迷っていた先端を翌朝には網目の上段を越えるまでに伸ばす蔓もある。
 緑の葉叢の中に、鮮やかなレモンイエローの花が咲いて彩を添えてくれる。しかし、その大半は、いやその殆んどは、実をつけない雄花。翌日には花柄の首のところから、ぽっきりと折れるように落花してしまう。
 だから、たった一つ結実したゴーヤの赤ちゃんに、見るたびに声援を送る。
 
 本格的な暑さの来る前に、窓一面、ゴーヤの葉で覆われるのを待っている。

※写真は、クリックして100%でご覧下さい。
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2009年07月12日

憧憬としての憧景

 
IMG_0001.jpg 鉄道を動脈になぞらえた時代があった。
 動脈は、常に人々の活力と希望を運んでいた。
 山を穿ち、川を渡り、鉄路は延びていった。
 人を乗せ貨物を運びながら、列車は人々を勇気付けた。
 几帳面なほど時刻どおりに運行されて、時代の確かな牽引車(者)であった。
 それは、単に流通の機構、移動の手段であることをこえて、人々の生活になくてはならぬもの、寄る辺としての心棒になっていた。
 トンネルを抜け鉄橋を渡った列車は、やがて小さな駅に着く。そこに、乗降客がいなくても、列車は、しばし、待つ。

 湯浅 啓写真集『能登線憧景』2008(湯浅 啓著・龜鳴屋刊)

 写真集は、「最後の一年」と「廃線後」の二部構成になっていて、第一部は、乗務員の笑顔で始まり、乗務員の敬礼で終っている。湯浅氏の、彼らに対する敬意の現れに違いない。
 作者は無類の人好きなのだ。人との出会いの向こうに風景を見、風景の中に人との出会いを求める。
第二部の「廃線後」の風景は残酷だ。鉄路は赤く錆び果て、やがて草に覆われ姿を隠してゆく。除かれたもの、廃されたものの虚しさが横たわっている。
 しかし、線路や枕木が取り払われた道床に、どこかあっけらかんとした雰囲気が漂うのはどうしてなのだろうか。

---人が通るところに路が出来、人が通らなくなった路は、また自然に回帰していく。

 感傷に流されない確かなカメラアイに捉えられた「能登線」は、「しょうけい」となってどこかへと繋がっている。
 
 あとがきに言う。
---「能登線憧景(しょうけい)」の憧景は私の造語です。能登線は、私の憧れの情景の中を走るローカル線でした。それで、憧憬と憧景のそれぞれの各字を組み合せてタイトルにしました。「しょうけい」は、「小景」であり「小径」でもあります。

 関川夏央が寄せた写真集への賛辞は、そのまま鉄道紀行作家、宮脇俊三へのオマージュともなっている。

※ 表紙がオフホワイトのため飛んでしまうので、バックに色紙を使いました。
 うすふじ色の題紙に、はさみが入っています。そうです、切符です。
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2009年07月11日

とうもろこし人形「図書館で」

 
図書館で 006.jpg このほど、とうもろこし人形作家の木村拓子さんから、「図書館で」の人形群ご一同を頂いた。
 水戸市内の常陽史料館で、1月30日から3月22日まで開催された「とうもろこし人形 木村拓子展」は、一つのイヴェントとしては、会場の史料館開館以来の大勢の観覧客が訪れ、大変な盛況ぶりだったことは、マスコミにも取り上げられておりましたからご存知の方も多いと思います。然もありなん、私も3回訪れ、その都度、人形の物語に聞き惚れてしまいました。
 先日、そのお披露目も兼ねて、自宅でささやかな家族朗読会を開きました。
 主役は、小1の「自由人」君。図書館から、お気に入りの、ジョン・バーニンガム作ガンピーさんシリーズを3冊借りてきて、ほぼ、独演会。
 読みながら、一番手前の、頬杖をついた女の子が気になるのか、チラチラみたり、チョンチョンと指で触れて位置を変えてみたり。すっかり「図書館で」の中に入り込んでいました。
 木村さんは、ひたちなか市内のギャラリー・エスパースで、15日まで、仲間展「ポコ・ア・ポコ展」に作品を展示中です。今日の午後、観に行く予定です。

※クリックして、拡大100%でご覧下さい。その素晴しさが伝わると思います。
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2009年07月07日

「足りない病」


『今日もていねいに。』.jpg 暮らしのなかの 工夫と発見ノート『今日もていねいに。』(松浦弥太郎著・PHP研究所)

 読み終えていない本なので、読後感ではなく、読前感です。当然のことに、独善感です。では、何故、先を急ぐのか、読み終えてからゆっくり感想を披露すればよいではないか、とお思いでしょうが、嬉しくてしようがないのです。

「大空君、ちょとお金貸してくれる?」
 大空君とは、当ブログに再三登場している、小1の「自由人」君。
 先日、かみさんの買い物のお供にスーパーに行って、大空君と隣接する書店に、冷やかしの心算で入った。
 新刊のコーナーを見ていると、
「あっ、この本、きっといい本だよね」と『今日もていねいに。』を指差して大空君が話しかけてきた。
「えーっ、どうして分るの?」
「ていねいにって、大事なんだよね」
 大空君は、日頃、口うるさく母親に言い聞かされている。
「字は、もっとていねいに書きなさい」
「靴を履くときはもっとていねいに、かかとは踏まないの」
「お友だちに電話するときは、もっとていねいな言葉でお話しなきゃだめでしょう」
「本は、もっとていねいにしなきゃ、本がかわいそうでしょ」などなど。

 松浦弥太郎といえば、名うての編集者だったよな、と本を手にとってパラパラめくり。よしっ、決めた。シマッタ、お金持ってないや。こんなとき、財布を持たない主義が仇となる。で、ぽっこリ膨らんだアディダスの財布を首から斜め掛けにしている大空君に、助けを求めた、という次第。
「大空君、ちょっと、お金貸してくれる?」
「やっぱり、これ買うの?」
「うん」
「タクが払ってあげるよ」
「えっ!?」
 
 大空君の後について、レジのカウンターへ。
 店員さんが、バーコードを読み取るより先に、
「いくらですか?」と大きな声で訊いている。
 大空君の財布が膨らんでいるのは、1000円札より100円玉10枚、500円玉より100円玉5枚、100円玉より10円玉10枚の方がお金持ち気分になれるからと、ばら銭がいっぱいだから。

 パラパラめくりで目に飛び込んだ文言が、
「足りない病」を治す、の項で「お金がない」。

 いえいえ、日常に潜む彼是の再発見をソフトな語り口で指南する、お宝満載の本なのです。
 ご一読下さい。読み急ぎは禁物ですぞ。
追記:白い表紙の本なので、写真はクリックしてご覧下さい。 
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2009年07月06日

浜辺の宝物 - その2

 
 
DSC04877.JPG 
 梅雨の晴れ間、再び海へ。
 今日は、先日の水木海岸から北隣りの河原子海岸まで足を伸ばして浜辺を散策。

 
DSC04878.JPG 
 ガラス片の色々。波と砂に洗われて、丸みを帯びた欠片が可愛らしい。色を楽しむ時には、トレーに拡げてヒタヒタの水に入れる。すると、ガラス本来の色が浮き立って輝く。



DSC04879.JPG 
 こちらは、石、陶磁器片そして貝殻。陶磁器片も、その周辺がすっかり丸みを帯びて、元の色を白く縁取りして澄ましている。
 いずれも1センチ前後の小片ながら、想いは数限りなく背負っている。
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2009年07月05日

交差する時間 - 破砕された鏡

映しているのは
安堵された虚像
としての自画像
の彼是
または色褪せた
単なるモザイク画
の一枚

案ずるな
破砕された鏡は
仮令 記憶
のままにあろうとも
条痕を残すことなく
復元されることはない

せめて散らばった欠片
の彼是
または
単なる肖像画
としての合わせ鏡
または
指の先に残された
残像

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2009年07月02日

「あなただったらどうしましたか?」

 
朗読メ.jpg 映画、「愛を読むひと」を観て、手持ちの『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、松永美穂 訳・2001年3月25日23刷・新潮社)を再読した。
 
 愛が悲しいとすれば、それは生きることが悲しいことであり、生きることが悲しいとすれば、それは自分の存在そのものが悲しいことである。
「読む」という行為そのものが愛であり、「読む」ことが愛の代償であり、「読む」ことが自己存在のバランスシートの一項目となっている。
 とすれば、字幕版の映画のタイトル「愛を読むひと」という措辞は、屋上屋を重ねることであり、「読む」こと、「読む男(ひと)」を、何処かに置き去りにしている。それは小さなことだけれど、「読む」ことの重層性を矮小化することになるだろうと思う。
 原作では、よりはっきりと、「ぼく」のハンナに対する距離感が語られている。それは惧れでも憎しみでも無視でもない。単なる、採るべき距離感を憶測する逡巡でもなく、ましてや、一方的な罪悪感でもない。それは一度愛したものの実像に対する戸惑い、手を離れたものに対するある種の安堵感であり、多分、それらは皆、愛の陰に潜んでいるものなのだ。
 以前付けた付箋が2枚残っていた。
 今回再読して、その数は16枚に増えた。

「訳者あとがき」にもある。
---ジョージ・スタイナーは、この本を二度読むことを勧めている。
posted by vino at 16:14| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする