2009年08月31日

雨のささやき

 たたきつける雨と風、台風11号が陋屋を震わせながら去って行った。
 茨城県の地形は良くしたもので、房総半島の突端に接近した台風も、犬吠岬をジャンプ台にするように方向をかえ、東の海上へと去って行ってくれる。
 何が怖いと言って、風の咆哮ほど怖いものはない。夜中吹き荒れると、眠れずに戦々恐々として震えながらやり過ごす。
 風の声に負けてなるものかと、大音響で聴いた曲。

“雨のささやき”平原綾香作詩、宮川彬良作曲
 ♪どこへゆけばまた会えますか、と一緒に泣きながら歌っている。

“Rain”Jose Feliciano
♪You know I love you more
 Let it rain all night long
 絶叫して怖さに耐えている。

“September Song”Lou Reed の語り歌に首を振って合唱しながら、そうだよ、明日から9月だ!!
 別にびっくりマークを付けるほどの思惑はないけれど、いや、やはり9月だよ、9月になれば、と独り言。
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2009年08月29日

目路の限り

 暑い、暑い。天候不順だった夏の盛りを取り戻す勢いだ。

 それでも、朝夕は吹く風に秋を感じる。
 仙丈庵の西側に設えたウッドデッキの手すりに掛けたハンモックが朝夕の定席で、横になって揺られながら空を見る。移り行く雲を見る。白く輝く朝の雲、茜に染まって行く夕べの雲。
 雲は天才だ、と言ったのは誰だったか。

 目路という言葉がある。目で見通せる範囲(広辞苑)の意で、目路の限り、などと使うらしい。
 地平の彼方を望むには当たっていても、掴みどころのない空を眺めるには太刀打ちできないな、他になにかいい言葉がないものだろうか、と埒もないことを考えながら、揺れる、揺れる。
 飛行機に初搭乗したとき、小さな窓から雲海の遥か彼方、青黒く広がる空中を見て、「神がいる。」と霊感に打たれたように感じたことを思い出した。
 神、空にしろしめす、という詩句そのままの体験だった。

 目路を限りに目を凝らしても、宇宙の果てなど望むべくもないのに、思いは遠くへ駆けて行く、揺れながら・・・。
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2009年08月26日

万 能

 五十肩の母に代って、畑を耕した。
 20坪足らずの菜園だけれど、連作を避けながら季節の野菜を作ってきた母が、このところ肩痛で畑に出られない。
先日、母の命により買ってきた小松菜、チンゲンサイ、ホウレンソウ、そして青くび大根の種を蒔く準備。
 今月の末から来月初旬には蒔かなければならない、と母は気が気ではない。
 耕運機などはないから、すべて手作業でやる。それが辛くなった時は畑仕事は止めにする、と日頃から言っていた母も、今年の10月で93歳になる、元気なものだ。
 鍬は腰に来るので、立ち仕事で済む万能(まんのう)を使う。
 土塊を掘り返してみると、今まで母の耕していたのは畑のほんの表層部分で、10センチにも満たないことが分る。これでは根菜類が育つわけがないだろう、と傍らの母を振り向いたが、手持無沙汰で寂しそうにしているので、何も言わずに黙って作業を続けた。
 強がりを言って始めたけれど、僅かに2坪程を耕して息が上がってしまった。ま、気長にやればいい、そう、母のように楽しみながら。
 
DSC05059.JPG 庭のプランターで育てたパプリカの初物、3個を収穫する。もちろん無農薬の有機栽培、産地直送?
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2009年08月23日

ゆるせない

 
DSC05056.JPG 蜘蛛の名を知らない。

 今夏、小庭の庭木から庭木へ、草花から草花へ、蜘蛛の巣がいたるところに掛けられている。知らずに通り抜けようとして何回も顔に張りつかせてしまった。異常に発生しているのだろうかと怖れたが、何のことはない、暑さに託けて小庭を歩く回数が減ったからに過ぎず、その間隙を縫って彼らがせっせと生業に励んだ結果に違いない。
 
 家の内も外も、人の気配がなくなると、途端に蜘蛛の巣が目に付くようになる。その蜘蛛の巣でさえ、やがて古びて弾性を失い粘性が衰えれば、綻びそして破れ落ちて行く。

 蜘の子はみなちりぢりの身すぎかな  一茶

 木を見て森を見ずの伝でいけば、蜘蛛の巣を見て蜘蛛を見ずで、人は蜘蛛の名を尋ねない。

 以前、蚕と蜘蛛の遺伝子を操作して、化学繊維に負けない丈夫な絹糸を作る研究があるやに聞いて、人間の飽くなき業の深さを思わせられたことがある。
 絹のもつ光沢と独特の肌触り、どこか頼りなげでいて根強さのある特性では飽き足りないらしい。
 ひとの身体に馴染んだ皺の有り様も和装の美しさのひとつかと思うが、どうだろうか。
 
 夏の夜、蜘蛛の巣に捉えられた羽虫のもがきを間近かに見ると、たとえ羽虫が害虫の類であっても、それを食餌としている蜘蛛に顔をしかめるのは、蜘蛛の名を知らないこと以上に蜘蛛を貶めることになりはしないかと、二重三重に絡めとられた気分になる。
 案外、蜘蛛に自在さを見て、それを赦せない妬みかもしれないのだけれど。

 われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず  野澤節子
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2009年08月21日

文車を引く

 市立図書館恒例の行事のひとつに、リサイクルブックフェアがある。
 図書館で保存年限を過ぎた雑誌や寄贈を受けた本をリサイクルブックとして整備作業をして、常設のリサイクルブックコーナーに陳列するほか、年3回、フェアを開いて展示し、無料で自由に持ち帰れる、というもの。
 今年、ありがたくいただいた本は、以下の通り。
@ 現代国民文学全集 川口松太郎集(角川書店・昭和32年12月30日初版発行)
A 現代日本文学全集 水上瀧太郎集・久保田万太郎集(筑摩書房・昭和31年2月5日発行)
B 日本文学全集 舟橋聖一集(筑摩書房・昭和45年11月1日発行)
C 『文車日記』- 私の古典散歩(田辺聖子・新潮文庫)

 川口松太郎、久保田万太郎、舟橋聖一とも、それぞれ一時代を画した作家たちだけれど、今ではなかなかお目にかかれない人たちばかり。当然、代表作が収録されており、趣は違っていても、江戸っ子言葉が見えるのが嬉しい。曰く、「人情馬鹿話」、曰く「悉皆屋康吉」などなど。
 田辺聖子の『文車(ふぐるま)日記』は、副題にもある通り、作者が逍遥した古典の数々が点描されていて楽しい作品だ。
 それにしても、『文車〜』とは、憎い命名で、作者の造詣の深さ、広さには恐れ入ってしまう。
 
 とは言いながら、また、書棚に納まりきれない本が増えてしまい、とりあえず机の上に積むことになった。
『徒然草』にも言う。

 賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、・・・。
 多くて見ぐるしからぬは、文車の文、塵塚のちり。(第72段)
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2009年08月18日

交差する時間 - 靴紐

T

履き崩れた靴に新しい紐をつけた日
詩人は言った
思い出がなけりゃ
人生なんて汚れた靴みたいなもんだ
日々新たとは
思い出の忌名みたいなもんだ、とも

結んだ靴紐がきつ過ぎたと舌打ちしながら
詩人は言った
思い出を食べては生きては行けない

今更のように
草臥れた靴に新しい紐を結ぶ自分に
嫌気がさした、と同時に
思い出とは
今から少しも遠くないものであることに
得心がいった

靴紐を程よく結べたこと
これだって何時かいい思い出になる
そんなもんだ
そんな他愛のないことなんだ
靴に靴紐を結ぶなんて

詩人は呟いた
託けた人生なんて
履き潰した靴のようだ、と

U

片減りのした靴底を見て
思い当たる節はない、と
詩人は言った
俺はいつも平面的に生きてきた
水平思考を掲げつつ
他人を揶揄もせず、自己否定もせず
何かを峻別したり、何かを拒否したりもせず

なのにこの体たらくは何だろう
強いて言えば、俺の人生は比喩そのものだ
そうか、俺は靴の奸策に墜ちたのか、と
詩人は言った
ならば、新しい靴紐は
歩き古し、足に馴染んだこの靴への
縛めでなければならない

新しい一歩のために
新しい一行の詩行のために

V

その靴は、詩人によって二度と履かれることはなかった
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紫式部

 
紫ョ部.JPG 庭先に植えた白式部、紫式部とも、花は枝先を残すのみで、元なりから行儀よく粒を揃え、枝一杯に実をつけている。実は、どちらもまだ仲良く緑色。
 今年の春、友人のK君の裏山から山採りしてもらった小式部は花をつけなかった。芽吹きが遅く根付きを心配したけれど、時期を待って、今では元気に枝を伸ばしている。
 同じ式部の仲間でも、小式部と紫式部では少し実の付け方が異なる。枝の付け根から先端まで鈴なりに実のなる紫式部に比べると、小式部はガマズミのように、枝の分けれるところどころに一群れの疎らな実をつける。慎ましいだけ、小式部の方が庭木にふさわしいように思う。
 式部の実が色づくのは、9月に入ってからになるだろうか。
 そして、小式部の花は、来年まで待たねばならない。

※知人から、記事にある紫式部は、コシキブ(コムラサキ)で、小式部とあるのは、ヤブムラサキの間違いだと、図鑑と実物を見比べながら指摘された。訂正させて頂きます。('10.11.2記)
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2009年08月14日

朝採りゴーヤ

 
グリーンカーテン2.JPG  仙丈庵のグリーンカーテンに仕立てたゴーヤに実がなった。今朝、そのうちの3個を収穫し、昼食にゴーヤチャンプルを作って、味わった。孝行息子のように、順々に大きくなっていて、あと4個は食べられそうだ。
 日除け目的の蔓も葉も、ますます元気にネットを覆い尽くし、結構な緑の葉陰を作ってくれている。だから、今年は葦の簾を外して、明るい緑のカーテンで過ごしている。
 久しぶりの晴天で、夏の日差しが照りつけているけれど、涼しいものだ。
 
 6年間愛用していたPCがダウンしてしまい、アドレスもデータもきれいさっぱり消えてなくなってしまった。困ったのはメールのアドレスで、これもバックアップを取っていなかったから、知り合い一人ひとり、事情を話して復旧工事中。
 XPにやっと慣れてきたところで闇雲にVISTAにかわってしまったから、これも大変。やたら機能がインデックス化されていて、使いたい機能にストレートにたどり着かない。イライラが募るばかり。
 ただ、POWER POINTが格安で使えるようになったのはありがたい。読み聞かせの映像編集に欲しかっただけに、機械音痴などとは言ってはいられない。
 さっそく、22日の読書まつり用に、虹の映像編集に取り掛かる。
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2009年08月13日

「七色のバケツ」その3

             3
 
 ホームセンターの家庭ざっかうり場には、色とりどりのたくさんの商品がたないっぱいにならべられていました。バケツのコーナーにも、愛ちゃんがいままで見たことのない色や形のバケツがならんでいます。
「けさになって、本社から急に、いままで見たこともないバケツがたくさんはこばれてきたんです。お客さま、運が良かったですね。ごゆっくりごらんください」。案内してくれた店員さんがうれしそうに言いました。
「うわあ、すごい!お母さん、ここからここまで、ぜんぶほしい」。愛ちゃんはりょうてをひろげると、たなにならんだバケツの一列をだきかかえて、お母さんに言いました。かぞえてみると、赤いバケツ、オレンジ色、黄色、みどり、青、あい色、そしてむらさき、七色もあります。お母さんはびっくりしました。でも、愛ちゃんの病気が良くなったのは、きっと愛ちゃんの大すきなお花のおかげかもしれないと思うと、お母さんも楽しくなってきました。

 次の日の月曜日、愛ちゃんは元気に保育園に行きました。きのう、お母さんと買った、七色のバケツもいっしょです。
(テーブルに並んだ、七色のバケツ登場)
 
 保育園のお友だちは、いちれつにならべられた七色のバケツを見るとびっくりして、愛ちゃんのまわりにあつまってきました。
「うわあ、きれい、愛ちゃん、虹のバケツみたい。」とみんながくちぐちに言いました。
「あのね、愛ちゃんね、病院でお花のようせいに会ったの。そして、すごーくきれいなお花ばたけを見たの。みんなのアサガオもあったわ。それとね、虹のようないろーんな色のお花も、たくさん見たの。だから、この虹の色のバケツで、お花に水をあげるの、みんなもいっしょにしよう」。
「ワーイ、ワーイ、虹色だ、虹色だ!」みんなもおおよろこびです。

(会場へ)

 みんな、虹って、見たことあるでしょう?(きれいだよね。)小母さんもね、虹を見るのが大すきなの。虹を見ると、とてもしあわせな気持ちになるの。そして、知らない人にでも、「ホラ、虹が出てますよ。」って教えてあげちゃうの。「あー、きれいな虹ですね。」って言って、いっしょに顔を見あわせて笑ったりするの。
 ここで、お友だちといっしょに、虹を作ってみたいと思います。虹を作ってみたい人、手をあげてください。

(前に出てきた子供たちに、虹色の団扇を持たせて並ぶ。虹を作る。)
 
 ハーイ、虹の出来上がり!(拍手)

 愛ちゃんとお友だちは、それから七色のバケツを使って、保育園のお花ばたけに水をあげました。おかげで、たくさんの色の花がげんきにさいています。愛ちゃんのヘブンリー・ブルーもげんきに青い花をさかせています。
 保育園のお友だちもお花にまけないくらい、まいにち、げんきにあそんでいます。

(会場へ)

 ではここで、この七色のバケツを使って、、みんなのえがおがさいている会場のお花ばたけにお水をあげたいと思います。どんな花がさくでしょうか。

(出演者、七色のバケツを持って勢ぞろい。バケツに水が入っている動作で。下手から、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順)
 
 いいですか、(一斉に)せーのっ!!

(バケツから、七色のテープや花が子供たちの上に飛び出す?)

 はい、これで、愛ちゃんの「七色のバケツ」のお話は、おしまいです。

(全員で)ありがとうございました。(礼)
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2009年08月12日

「七色のバケツ」その2

             2
 
 その晩、愛ちゃんは、熱にうなされながら夢を見ました。
 あんなに小さかったヘブンリー・ブルーが大きな大きな木のようになって、たくさんの青い花を咲かせています。そして、その花のひとつから、青いドレスに着飾った、かわいらしい女の子が出てきました。キラキラ光りに包まれて、体全体がすきとおるような女の子です。花のようせいでした。周りには、大きな虹がかかっています。そして、その虹の七色の色がこぼれるように、七色の花が次々と咲きはじめました。
「愛ちゃん、いつもわたしたちをお世話してくれてありがとう。おかげでこんなにたくさん、花をつけることができたわ。さ、もっともっとたくさんお花の咲いているお花の国へ、いっしょにいきましょう。わたしと手をつないで、この雲に乗っていっしょにいきましょう」。花のようせいが愛ちゃんをどこかへ連れていこうとしました。ところが、愛ちゃんは、お花もお花のようせいも大すきなのに、なぜかいっしょにいってはいけないように思いました。お母さんが待っているから、お父さんが心配しているから、お友だちと会えなくなるから、だからいっしょにいけない、と思ったのです。その時、どこか遠くから、お母さんの呼ぶ声が聞こえました。
「愛ちゃん、しっかりして、愛ちゃん、がんばるのよ」。愛ちゃんのベッドの側には、かけつけたお父さんもいます。院長先生も、看護師さんといっしょにみまもっています。愛ちゃんの熱がさがらずに、心配した肺炎になってしまったらしいのです。
「新しい注射をしましたから、これで様子をみましょう」。院長先生と看護師さんは病室を出ていきました。 
 お父さんとお母さんは、その晩は少しも眠らずに、愛ちゃんの様子をみまもっていました。

 あくる朝、窓にはやさしい朝の光があふれています。お母さんが、そっと愛ちゃんのひたいに手をやると、「あ、熱がさがったわ。」とお父さんをぶり返りました。お父さんも手をふれて、「これで安心だね。愛ちゃん、がんばったんだね。」とお母さんにほほえみました。熱さえさがれば安心です、と院長先生に言われていたのです。
 しばらくして目をさました愛ちゃんが、ゆうべ見た夢の話をお母さんにしました。それを聞いたお母さんは、お父さんと顔を見あわせて、そっと言いました。
「もし愛ちゃんが花のようせいといっしょに雲に乗ってお花の国へいっていたら、大変なことになっていたのでしょう?」お父さんもうなずきました。

 それから一週間、愛ちゃんはクリニックに入院しました。
 保育園の紀子先生も、心配して何回もお見まいにきてくれました。
「先生、愛ちゃんのアサガオ、どうなった?」愛ちゃんは、自分のヘブンリー・ブルーのことが心配でたまりません。
「大丈夫よ、お友だちがね、かわりばんこに愛ちゃんのアサガオにもお水をあげてくれてるの。元気、元気、ぐんぐん大きくなっているわ。愛ちゃん、はやく良くなってね、アサガオがまっているわよ」。
 そして、愛ちゃんが入院して8日目の朝。「もう安心だ。愛ちゃん、元気になってよかったね」。院長先生がやさしく言いました。いよいよ退院です。

 それから愛ちゃんは、二日ほどお家で休んで、次の週の月曜日から保育園にかよえるようになりました。
 その前の日曜日、愛ちゃんがお母さんにおねがいしています。
「お母さん、おねがいがあるの、ホームセンターでね、バケツを買いたいの。」
「バケツなら、お家にも、保育園にもあるわよ。」
「ううん、もっと別のバケツ。」と愛ちゃんは言いました。そのとき、愛ちゃんは、入院中に熱にうなされながら見た夢の中に出てきたようせいのすがたを思い出していたのです。あのとき、ようせいといっしょに雲に乗るのをことわったことが気になっていたのです。「大事な約束をやぶってしまったのかなあ。」
 そこで、花のようせいのまわりにさいていたように、保育園のお花ばたけにも七色の花が咲いてくれたらいいな、と思いました。そのためには、保育園にある、ふつうのポリバケツではなく、もっときれいな色のバケツでお水をやったらいいかもしれない、と考えたのです。
posted by vino at 16:04| Comment(0) | 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月11日

「七色のバケツ」その1

 8月22日(土)に、図書館読書まつりが開かれる。
 ハンディキャップ班は、今年も参加型の出し物で参加することになり台本を書き始めた。ところが、主人公が独り歩きを始めてどんどん長くなってしまい、15分以内という制限時間におさまりそうもない。急きょ、3分の1の長さに縮めたので、エピソードのない盛り上がりの少ないものになってしまった。3回に分けて掲載させていただきます。なにはともあれ、ご高覧下さい。

             1
 
 愛ちゃんのかよう保育園では、今、おひるねの時間です。ところが、バラ組の紀子先生がおどろいて声をあげました。
「愛ちゃんがいない。どうしたのかしら?」
 愛ちゃんがおひるねの時に使う青い色のタオルケットが丸められていて、寝ているはずの愛ちゃんの姿がありません。先生は、寝ているお友だちをおこさないように、そっと教室を出ると、「愛ちゃん、愛ちゃん」と園内をさがしまわりました。園長先生も、さくら組の京子先生も、それに、もも組の先生も、うめ組の先生も一緒になって愛ちゃんをさがしました。
「いた、愛ちゃん、あんなところに!」。園長先生が叫びました。見ると、玄関の横のいぬばしりに並べられたはち植えのところで、頭の上にバケツを乗せた愛ちゃんが雨にぬれて立っていました。
「愛ちゃん、どうしたの?雨にぬれたら、かぜひくわよ。早くお部屋にはいりましょう」。愛ちゃんのところまで飛び出していった紀子先生が、やさしく言いました。
「だって、お花がぬれちゃうもん、かわいそうでしょう」と愛ちゃんが言いました。
 愛ちゃんのかよう保育園では、まいとし、年長さんがアサガオのはち植えを作ることになっています。
 年中さんのときも、年少さんのときも、愛ちゃんはお兄さんやお姉さんたちが作るアサガオのはち植えがうらやましくてたまりませんでした。
「早く年長さんになって、アサガオの花をうえたいなあ」と思っていました。
 ことし、年長さんになった愛ちゃんは、だからうれしくてたまりません。
 アサガオの種をまく時期になると、近所に住む、花づくり名人の芳じいちゃんが、みんなにはち植えづくりをおしえてくれます。
「みんな、自分ですきな色のアサガオをえらんでごらん」。芳じいちゃんは、花の写真のついた種のふくろをたくさん用意してくれました。
 愛ちゃんは、青い空色の花を咲かせる、ヘブンリー・ブルをえらびました。
 芽が出たばかりのアサガオは、まだ小さな二枚葉です。愛ちゃんは、赤ちゃんのように小さなアサガオが、雨に打たれてはかわいそうと、お空からふってくる雨を、バケツで受けとめようとしたのです。

 その夜、紀子先生が心配したとおり、愛ちゃんは熱を出してしまいました。お母さんが体温計ではかってみると、40度もあります。
 愛ちゃんは、はぁ、はぁとくるしそうです。お父さんの車で、かかりつけのクリニックへ行くことになりました。

「大分、ねつが高いですね。それと、胸の音が少し気になります。肺炎になるといけませんから、きょうはこのまま入院して様子を見ましょう」。聴診器を耳から外しながら、院長先生が言いました。お母さんがつきそいでとまることになりました。
posted by vino at 09:23| Comment(0) | 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

問題「外」

 7月某日、92歳になる母を病院に連れて行った時の事。
 
 玄関を入ってすぐのところに、案内を兼ねた受付があってベテランの看護師さんが詰めている。さっそく、案内の表示に従って、受付機に診察カードを差し込むが、戻ってしまう。気配を察した看護師さんが、「予約をされていない方は、あちらの窓口で受け付けています」。
「だって、ここに『予約外受付』って書いて・・・、あれ!?『予約外来受付』だ」と当方。
 で、予約外外来受付へ、腰の曲がったヨチヨチ歩きの母の手を引いて歩き始めると、先ほどの看護師さんが車椅子を押して追いかけてきて、「どうぞ、こちらをご利用ください」。「ご親切にどうも」と、曲がった腰をさらに曲げて母が乗りこむ。

「この保険証は、8月から使用するもので、今までのでないと受付できません」。
 出掛けに保険証を忘れないように念を押したまま、確認しないでしまった。
「きのう、新しく保険証が届いたので、よかった、今日に間に合ったって思い込んじゃった」と母。 
 
 1時間ほど待って、やっと母の番が来た。
「○○さま、○○××さま」と看護師さんが母の名を呼ぶ。
 別の科では、医師が直接マイクで患者を呼び込んでいる。
「△△さん、△△□□さん」
「さま」と「さん」が、微妙に交錯して使い分けられている。
 
 2、3問診のあと、首と肩の写真を撮るためにX線撮影室へ。
 また、診察室へ。

整形外科医「○○さん、これ、五十肩です」
母「わたし、今年、満で92歳になります、五十肩ですか?」
整形外科医「ま、この症状が出る年代が50代の人が多いもんですから、五十肩って言います。年代に関係なく出ます」

 帰路、車の中で母が一人笑いをしている。
「どうしたの?」
「だって、五十肩だなんて、何となく嬉しいじゃないか」
「だって、痛いんでしょう?」
「痛いには痛いけど、何とか。あのお医者さん、いい人だったね」

 医術はまさに仁術。なにはともあれ、母の顔に笑顔が戻った一日でした。
posted by vino at 16:19| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

交差する時間 - あなた

あなたはわたしのひと
やさしいひと
いつもいるひと
いっしょに泣くひと
いっしょに笑うひと
いつもいるひと

おなじ時と
おなじ今を
いっしょにいるひと
いつもいるひと
だから大好き
忘れないで
忘れないで

あなたはわたしのひと
やさしいひと
いつもいるひと
いっしょに怒るひと
いっしょに悩むひと

つれないひと
だから好きなひと
向こうを向くひと
だから好きなひと

いつもいるひと
いつもいっしょに
いるひと
あなた
わたしのひと
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2009年08月02日

蚊帳の図

 蚊帳を使わなくなって、何年になるだろうか。
 昔は、夏といえば蚊帳を吊って、問わず語りの話をしながら、家族揃っていつの間にか寝につくのが習いだったように覚えている。
 愛用の歳時記の「夏の項」には、斎藤真一の蚊帳の図、「蛍」が載っている。
 
 闇の中、赤い縁布の蚊帳が風に揺れている。開け放たれた窓からは、月光を映す遠浅の海に銀波が騒いでいる。その波は、海の波であり、また、蚊帳の中で睦み合う男と女の哀しみの寄る波、返す波でもある。
 ふたりの枕辺にはヴァイオリンが横たわり、寝乱れた布団の裾には、赤い雪洞のような袱紗に包まれた三味線が、壁に立てかけられている。
 蚊帳の外には、空けられた一升瓶に寄り添うように、コップに注がれた飲み残しの酒が夜陰を含んで、何かを見守っている。長押には、何やらの影も・・・。
 男は女の胸に顔を埋め、女は男に跨って頭を仰け反らせている。
 放たれた蛍がよっつ、ふたりの言祝ぎを冷やかすかのように闇に舞う。
 
 蚊帳の図「蛍」は、山形県の然る美術館に秘蔵されているという。
posted by vino at 19:46| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする