2010年02月21日

ひと文字への想い

 18日から県民文化センター展示室で開かれていた作品発表会は、今日で終わり。淡彩画で2点、展示してもらった作品を午後から引き取りに行く。
 この発表会は、NHK文化センター水戸教室が、開設されて10年になるのを記念して開かれたもので、70に上る講座の講師と受講生の作品が、会場一杯に展示されている。


DSC05705.JPG「能面を打つ」講座の講師氏の「小女」の面に魅せられて、写真を1枚。

 受付でもらった、「2010年4月生募集!!」のパンフレットには、250近い講座が紹介されている。
 いろいろ興味深いものもあり、気をそそられるなかで目に留まったのが、「紫芳の字手紙〜文字に想いを託す〜」という講座。日本書鏡院監査員 関紫芳さんが担当される。
 季節の果物や風物を描いて言葉を添える絵手紙はお馴染みだけれど、「字手紙」とは、思わず!? だって、手紙って字を書かないことには始まらない、文字で表現するもの、とばかり思っていただけに、目から鱗。
「薄墨のひと文字に伝えたい想いを添えただけの短い手紙です。シンプルだからこそ、文字と言葉が相手の心にしみ込みます。」とある。
 そう言えば、この頃は手紙はおろか葉書でさえ、暑中見舞いや年賀状を出す程度で、すっかり筆不精になってしまっている。
 でも、ひと文字なら書けるな、しかも「相手の心にしみ込みます」なら、薄墨でいいなら、書体も好きなように筆を使って、と言うなら・・・。

字手紙.jpg 「桜」とひと文字置いて、「咲いたら逢いましょう」とは、何とも心憎いではありませんか。
 こんな手紙、出してみたい、貰ってみたい、と思いませんか?
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2010年02月20日

「新春やさと茅葺きまつり」その3

 座談会の参加者が語った、将来の展望について
・技術を受け継いでゆくだけでなく、茅葺き全体を含んだものを将来につなげる力となりたい。
・先祖が守ってきたものを、自分の時代になくしてしまっては惜しいいということだけではなしに、茅葺きの文化が将来もあった方が豊かな夢のある生活が出来ることを実証し伝えたい。
・日曜大工ならぬ、日曜屋根屋を増やして、広く茅葺き屋根の素晴らしさを分かってもらえる活動をしたい。
・10〜20人の弟子を育てる、だけではなく、それぞれが独立、自立できるようにしたい。
・良い茅を作るために、茅を刈って刈って刈ってきたように、たくさんある材料を使って豊かな生活が送れることを示したい。
・萱原は、刈れば刈るほど良い茅がとれる。2〜3年は、セイタカアワダチソウなどに負けていた茅も、手入れをすることによって、丈夫な良い茅が生える萱原になる。そこには虫が集き、秋の七草も咲きそろい、陽光に銀色に輝く萱の穂が波を打つ、美しい風景が現れる。団地などに住む人も、周囲の茅刈りに汗を流すことによって、自然環境を守ること、豊かな生物循環の中で、快適な住空間が手に入ることを体験できる。

 お三人とも、茅葺きを通して、単に技術者としてだけではなく、確かな生活設計を掲げ、深く日本の伝統文化を見据えている、或る意味、求道者的な印象を受けた。
 茅葺き屋根が、それに関わる人たちだけの手では、維持、保存が難しい危機的な状況にあるのも事実だ。
 里山の点景として、風物として見てしまうけれど、そこは、住む人たちにとってはかけがえのない生活の場であることを忘れてはならない。
 茅葺き屋根であるが故の、苦心も苦労も多々あるけれど、何より、住んでいられる方々が皆誇らしげに暮らしているのが救いと感じた。
 塩澤さんが言っていました。
「肥料も農薬も要らない。自分の周囲を見つめなおす心があれば、良い萱場は守って行ける」。
 
 
DSC05494.JPG 写真は、09年12月、筑波へ茅刈りに行った時のものです。刈り終わった萱原の向こうに、筑波山が見えます。
皆さん、茅刈りをしましょう!!(了)



※杉山さんが「かやぶき」、山田さんが「萱葺屋根」、塩澤さんが「茅葺屋」と、それぞれ微妙に使い分けています。その拘りを聞く機会を逸してしまったのは残念。文中にも、茅と萱が混在しています。皆さん、一度辞書で調べてみてください。奥が深い「かやぶき」です。
また、それぞれ素晴らしいホームページをお持ちです。一度訪ねて見てください。
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2010年02月19日

「新春やさと茅葺きまつり」その2

 この日のメインは、「若手職人が見る聞く語る筑波茅手の技」という座談会。
 メンバーは、遠路はるばる参加された、「飛騨かやぶき」の杉山信義さん、「京都・山城萱葺屋根工事」の山田雅史さん、「京都美山・茅葺屋」の塩澤実さん、それに地元から広山美佐雄さんと西脇征志さん。
 
DSC05676.JPG 広山さんは、この道50年近いベテランで、筑波流茅手の萱師名人(国土緑化推進機構認定)、西脇さんは広山さんの預かり弟子。彼は、大学の建築科を卒業後去年の5月に弟子入りして10カ月の新人。見た目にも初々しい。
 



DSC05673.JPG 杉山さんたち3人は、30代の、この業界では若手の現役。面白いのは、この3人とも、大学で建築や環境工学などを学んでからこの道に入った人たちで、いずれも茅葺き屋根に関わる専業の会社を経営していられる。
 共通の悩みは、三題噺ではないけれど、「ない、ない、ない」。
 先ず、材料がないこと。山野の手入れがなされなくなったこともあって、昔はあちらこちらで見られた良い萱原が消えてしまい、従って良い萱場が少なくなってしまったこと。 
 次に、人材、後継者がなかなか集まらないこと。中には、80代で現役という人もいるけれど、60代、50代、40代がおらず空洞になっていること。ストーンと世代が断絶してしまっている。これは、技術の継承という点でも大きな問題。
 三つ目は、何と言っても、物件、仕事の絶対量が少ないこと。一年を通して一定の仕事量を確保することが難しく、ひいては人手を確保することの難しさにつながっている。
 屋根屋の宿命は、出仕事(出張仕事)が多いことで、或る時は、一年のうち延べ8か月も家を留守にすることになり、その間母子家庭にしてしまったこともあるという苦労話も出た。(この項続く)
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2010年02月17日

交差する時間 - 点

点々とある点 累々とある点
消える点 合する点 生まれる点
分かれる点 始まる点 終わる点
燃える点 爆発する点 凍る点
融ける点 すれ違う点

定量を弁えた摂理であるもの
位置、場所を表して時間を伴わないもの
前方にのみ眼を凝らし在るものを
確かなものと見定めるもの

他へ寄らず 他を選らず 他に因らず
ひとり揺るるもの

命を表すもの
生きることそのもの
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2010年02月15日

「新春やさと茅葺きまつり」その1


新春やさと茅葺きまつり.jpg 昨年12月初め、筑波へ茅刈りに行った折り、いろいろ話を伺った、萱師名人の広山美佐雄さんに会えるのを楽しみに参加させてもらった。
 朝から晴天だったけれど、前夜降り続いた雪が積もっている。常陸太田から笠間を経て県フラワーパークのある八郷へは峠越えをしなければならないので、恐る恐る車を走らせた。悪い予感は当たるもので、途中、道路中央に、「積雪のため通行止め」のバリケード。しかし、山道だし、一本道だし、迂回路も思い浮かばないしで、えいやっ、とばかりに、そのまま通り抜けることにした。道中、除雪作業車や県関係の車とすれ違ったけれど、制止されることもなかったので、安心してそのまま進む。
 ところが、吾国山の峠に差し掛かった辺りから、道路は全面まっ白な雪。しかも、ツルツルのアイスバーン状態。幸か不幸か、他に車両も見当たらないので(「通行止め」ですもの)失礼してセンターラインをまたいで走る。セカンドギアの徐行運転で恐る恐る進むうちに、目の前がパッと開け、陽がさんさんと降り注ぐ八郷の集落が見えてきた。のどかで良い風景だった。
「八郷はこんなに良い所なんだぁ」と、思わず溜め息交じりに呟いていた。
 会場は、廃校になった旧朝日山小学校の施設をそのまま活用している、「朝日里山学校」。地元の人たちの文化活動の拠点になっている所。
 参加者は60名ほど。
 まず、会場近くにある茅葺き屋根を持つ民家を見学して戻ってから、実際に茅葺き民家に住んでいられる方々が、その魅力について話をされた。
 お昼は、臼でついた安倍川餅とけんちん汁をいただいた。給仕してくれるのは、地元のお母さん方や筑波大の女子学生。「お代わりをどうぞ」。美味しい美味しい、大きな鍋がみるみる空になる。(この項、続く)
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2010年02月13日

黒澤止幾子さんのこと

 
DSC05652.JPG 日本初の、学制公布女性教師第一号となった人、と言ってもピンと来ないでしょうか。
 では、NHK大河ドラマ「龍馬伝」にも登場する、かの有名な吉田松陰が処刑される数日前に、同じ伝馬町の獄舎にいたひと、と言えば驚かれるでしょうか。
 水戸徳川家第九代藩主斉昭公が、井伊大老から致仕蟄居を命ぜられた(安政の大獄)のは、まったくの冤罪であるとして、朝廷に直訴するために単身京へ上ったひとです。止幾子さん、時に54歳。「入り鉄砲に出おんな」はご法度、各関所で厳しく吟味された時代、しかもいかに女性強しとはいえ、当時の平均寿命からすれば老境に近い身でありながら、懐に直訴状を忍ばせて京都へ上ったとは驚きです。直訴は、事と次第によっては死罪に問われることもあった時代です。
 その止幾子さんの生家が、城里町(旧東茨城郡桂村)錫高野にあります。少しずつ手を加えられてはいますが、間取りはもちろん、本屋もほとんど昔のままに保存されている、と言います。
 止幾子さんは大変な能筆家です。和歌や日記など達筆な手跡がたくさん残されています。
 私財を投じて、止幾子さんの生家を守り、その人となりと功績を顕彰しようと活動している人がいます。
 生家のすぐ前でその名も「とき」という蕎麦店を営んでいた、大澤敏男さんです。(お店は、その後事情があって、少し離れたところに移転されました。)
「ニューモラル21」という会を立ち上げられて、とりあえず、止幾子さんの日記を読み解くことから始められました。京都へ直訴に行くことになった経緯と心情、捕えられて厳しく吟味される役人とのやり取り、唐丸籠に乗せられて京都から江戸へ移送される様子などなど、一級の史料でもあります。達筆な筆跡に加え、変体仮名で書かれていますので、読み進むのが大変だ、と先日伺った時も、お茶をご馳走になりながら大澤さんの苦労話を聞いてきました。
 その時、私家版の、「黒澤止幾子書写『教車』」と、当時、武家の子女を対象とした教本として流布していたという、『女庭訓往来』(これは、曾孫のために書き写したものの写本です。)の2冊をいただいた。
 原文、読み文字、解読が併記されている力作です。
 いずれは、大澤さんが主宰する会に参加して、日記にまで辿りつき、止幾子さんの人となりに触れたいと思っています。
 
DSC05650.JPG 訪ねた時は、荒れた庭先に、白梅がほころび始めていました。
 まさに、「東風吹かばにほひをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな」( 菅原道真・『拾遺和歌集』 )そのままの佇まいでした。
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2010年02月07日

空っ風

 昨夜、宵のうちに降った雪がうっすらと積もった。ほんのひと時降ったものか、夜空を見上げた時は星空で、冬の星座が瞬いていた。

「風が吹くと、体調が悪くなるでしょう」
「えっ!?どうして分かるんですか?風は大っ嫌いでね、昼でも夜でも風の強い日は命が縮む思いです」
「電線がヒューヒューなるくらいの」
「そうそう、これからの春先の季節は、花粉と風で戦々恐々」

 体調を崩すと、途端に腰痛が起こる。その時は知り合いの鍼灸院に駆け込む。鍼を打たれると、身体が劇的に反応して腹部が躍り出す。そして程なく、身内からふつふつとエネルギーが甦るのを実感する。
「扁桃腺からお腹、そして脛のつながり、径脈というのですが、この扁桃腺が気圧の変化に微妙に影響を受けるのです。風が吹くというのは、そこに気圧の山と谷があるということですからね」
 風を怖がるのも、その前触れである気圧の変化を察知した身体が、変調を予感してストレスを感じるから、と教えられた。
 成程と納得して、自然現象と体調の変化がこんなにも直接的に関係があるものかと思い知らされる。

DSC05604.JPG ウッドデッキの上に積もった雪を掃き集めたら、デッキが全然濡れていないのには驚いた。当地には珍しくさらさらの雪だった。それだけ、今朝がたの気温が低かったという証拠だろう。
 北陸に住む知人から、「陽射しが恋しい」とメールが届いた。
 北海道出身の職場の先輩が、「来る前は、関東はさぞ暖かいだろうと期待していたのに、寒い寒い、何だいこの空っ風は!」と嘆いていたっけ。
 雪国では、たとえ吹雪であっても雪を運ぶ風には、何処かしら人に添うところがあるらしいのだ。

 空っぽの風が、今日も吹き荒れている。
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2010年02月05日

交差する時間 - 螺旋の影


螺旋の影.JPG

螺子穴の向こうに何がある?

柔らかに描く螺旋に導かれて
ゆっくりゆっくり辿ってみたら
目裏に浸み入ってくる眩暈に襲われた

回転毎に夢見心地の軋み音を発しながら
線条痕に嵌合されて行く雄螺子の緩みには
勝てない、と閃くものがあった
そうだ、それはある種の優しさに違いない
優しさとは、約束との同義語

祈らばや
柔らかな螺線の強かな剛直さに
祈らばや
緩やかな螺旋の手弱かな誘惑に
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2010年02月01日

『櫻の森の満開の下』

 暮色に浮かぶ満開の桜が描かれた中幕が引かれると、そこには大きな金屏風が据えられている。
 今を盛りと咲き誇る桜に見とれる間もなく、突如、屏風を蹴破って、息荒く「男」が駆け込んでくる。引きずられるように手を引かれた「女」は、懸命に抵抗するが、やがて屈強な「男」に組み敷かれて犯される。
 そこは、桜の森の満開の下。間断なく、桜の花びらが舞っている。

 
櫻の森・・.jpg 昨年の4月、上演間際になって、主演の男優が怪我をしたために急遽公演中止となった、東京演劇アンサンブルの『櫻の森の満開の下』を観てきた。
 幕開けそうそうに度肝を抜かれるが、金屏風のセットは、象徴的だ。あちらとこちらを区界するもの、「男」の住む世界と雅な京の都を分けるもの、狂気と妖気が行き交う境、「男」が踏み破っても破ることのできないもの。
 
 場面は変わって、京の都。明けても暮れても、「女」の求めに応じて生首を集める男。
 生首1,2は、黒衣姿の女たち。まっ白に塗ったどうらん化粧で、台詞は無い。モダンダンスと、歌舞伎様式美をミックスしたような所作と表情が素晴らしい。劇中、もっとも艶冶な雰囲気を醸していたように思う。

 圧倒的な花吹雪、の量。そこまでやるか、という感じ。裏方さんお疲れさまでした。
 全体的に、そう、何と言ったら良いか、舞台が若い。もう少し、桜の森の妖しさに合わせて、「女」の物狂い、「男」の荒々しさが欲しかった、かな?
posted by vino at 19:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする