2010年10月30日

今日の一行の二十四


シオン.JPG

シオンには、青空が似合う。背高の草丈が天空に溶け、花弁が溢れる光と交歓している。
posted by vino at 08:46| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月29日

小林征児 陶展

 
駄々男展.jpg 笠間市在住の陶芸家、小林征児さんの個展が開かれる。
 コンセプトは、“駄駄男と林檎”。駄駄男とは、小林さんがオブジェに取り組むときの、もう一人のひと。小林さんのオブジェは、赤い土から始まって、白い土となり、今回は、青い土による造形群で、モチーフは林檎と・・・。
「青い塊、まだ焼きあがっていない」とのこと。いやなに、芸術家に産みの苦しみはつきものでありますれば。



カッパドキア奇岩風景の中の林檎の印象から・・・。
幼年期「リンゴの花弁が・・・」から始まるひばり
の唄、ニュートン、マグリット、白雪姫など・・・。
そして今年、河野裕子の歌「青林檎与へしこと
を・・・」などから、何かをもらって林檎達を青い
塊に形象しました。(案内状から)


会 期 11月28日[日]→12月7日[火]
    (12月1・2日は休館日)
    開館時間 午前 11 時〜午後 6 時
場 所 アカデミア・プラトニカ
     那珂市飯田2574-17
Tel 029-295-5050
posted by vino at 15:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

「おしまいのページで」

 
おふくろの夜回り.jpg 例によって、乱読、併読のこと。
『おふくろの夜回り』( 三浦哲郎・文藝春秋刊 )

 三浦哲郎が亡くなった。
 奥付を見る限りでは、作者はこの本の出版を見届けることが出来たはずだけれど、それを「せめてもの慰め」というには、あまりにも淋しい。
 目次に言う「おしまいのページで」は、オール読物の、「字数にしてわずか千字の短いエッセイを収める欄」、巻末の頁に発表したという意味が込められているらしいのだが、作者の死によって本当の「おしまい」になってしまった。
 名文家、短編の名手といわれた作者の最後の随筆集、と帯にも謳っている。
 思うに、千字の話というのは、たとえば酒を酌み交わしながら、お互いが一つの話を語ってやり取りする、そんな長さなのではないだろうか。作者が愛した薪ストーヴや囲炉裏端の煙も懐かしく・・・。
 緻密に練られた文章には一々相槌を打つ間隙はないけれど、ゆったりした語り口に耳を傾ければ、作者の懐の深さに感応しつつ、実に多くの人生の途上の風景をみることが出来る。
 小さなエピソードを少しの言葉で綴って、遠く開ける風景を描いた練達のひとは、既に自らをその点景としてしまった。合掌
posted by vino at 12:01| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

朝 露

 
DSC06615.JPG
DSC06614.JPG
DSC06613.JPG
DSC06612.JPG
DSC06611.JPG
DSC06610.JPG

 今朝は、冷えた。窓をあけた途端、北風にヒューッと顔をなでられて、思わず首をすくめてしまった。里山の紅葉はまだ始まっていないのに、気忙しいことだ。
 菜園に光るものがあるので出てみると、ブロッコリーの葉の上で朝露が朝陽を浴びて輝いている。さっそくカメラにおさめて、どれか一枚、と思ったけれど、選びきれずにあれもこれもになってしまった。
posted by vino at 09:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

交差する時間 - 寄り道

通い慣れたいつもの道、と言っても
○○市△△町××番地、もしくは
・・・辺り、と限定しなければ
それは何処(どこ)の何処(いずこ)とも知れず
宙に浮いてしまう
だろうか?
特定の誰かが通い慣れたいつもの道、と言っても
それはその場所を示したことにはならず
文字通り道に迷ってしまう
だろうか?
でも、誰にだって通い慣れたいつもの道は
あるはずだから
それほど目くじら立てるな、と言いたいけれど
だろうか?
何も目印がない
言うところのランドマークを持たない
通い慣れたいつもの道を辿っていると
だろうか?
地の底から何者かが問いかけてくる
そんな道がある
その、ほんの横丁に入って
ふっと溜め息をついて
そこに空気の溜り場をつくって
知らん顔をして帰りたい

posted by vino at 19:19| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月25日

クロスワードパズルから

 通販のカタログなどにある簡単なものから、新聞や雑誌のちょっと捻ったものまで、クロスワードパズルなら何でも解かずにいられなくなり、何処やらの待合所の週刊誌にでも目に入れば答えを書きこみたくなって困ってしまう。月遅れの手あかのついたものならともかく、書店から届いたばかりでインクの匂いのする最新号だと、むずむずする気持ちを抑えるのに苦労する。 
 そんなある日、ある通販のカタログにあったパズルに聞きなれぬ文言を見つけた。「ヨコのカギ」のひとつに、

○かぞいろ・両親⇒(回答)ふうふ

 あれ!?古文の授業では、「かそいろ」、「かそいろは」などと習った覚えが・・・。
 で、古語辞典に当たってみると、<(古くは清音)父母。両親。>とあり、その例文として、今昔物語集巻三十、夫死女人後不嫁他夫語第十三(をうとしぬるにょにんのちにほかのをうとにとつがざること だいじゅうさん)にある和歌が引かれている。

 カゾイロハアハレトミルラムツバメソラ
          フタリハ人ニチギラヌモノヲ

 夫を亡くして、老いた父母から再婚を勧められた娘が詠んだ歌という。
 歌意は、燕のような鳥でさえ二羽の雄とは夫婦の契りは交わさないものを、まして人のわたしが二夫を持つまいと思う心を、父や母は哀れと思って下さるでしょう、というもの。
 これを、貞淑の鑑とみるか哀れな女心とみるかはともかく、歌に続く本文には次のように記す。

 此レヲ思フニ、昔ノ女ノ心ハ此(かく)ナム有ケル。近来(ちかごろ)ノ女ニハ不似(に)ザリケルコソ。云々

 今も昔も、「昔の・・・」、「近頃の・・・」という言い回しは、普遍であり不変のものらしい。
posted by vino at 09:00| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月24日

『りんごのおじさん』と

 りんごのおいしい季節になって、行きつけの観光りんご園から案内状が届いた。曰く、
「ハートで作る。ハートが生まれる。」
 来月には、蜜の入ったおいしい「ふじ」も食べ頃になる。
 
りんごのおじさん.jpg で、思いついて、11月6日第一土曜日の図書館でのおはなし会には、『りんごのおじさん』( 竹下文子 文、鈴木まもる 絵、ハッピーオウル社 )を読むことにした。
 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された、りんご農家・木村秋則さんのものがたり。
 木村さんは、常識、「絶対不可能」を覆して、無農薬でりんご作りを成功させた人で、沢山のドキュメンタリー本も出版されている。
 


ちいさいいすのはなし.jpg もう一冊は、『ちいさいいすのはなし』( ハッピーオウル社 )。以前、図書館の書架で見つけて、いつかおはなし会で読んでみたいとリストアップしていた絵本なのだけれど、今回、下読みのためにと早目に図書館から借りてきて驚いた。
 あれっ!!これも、竹下&鈴木コンビだ。
 まず、絵が印象に残っていた。ラワンベニヤ板にガッシュで描かれた絵の数々。ベニヤ板独特の木目のポチポチが塗りつぶされずに、絵の調子になっている!
 こどもが笑っている。若い夫婦が微笑んでいる。傍らに「いる」ちいさいいすも、ホッコリと幸せだった、が・・・。

 ものをたいせつにしなさい、と声高に言わずに、ちいさいいすの呟きでそれと知らせる。だから胸に響く。
 
 ぼくは、いすです。
 ちいさい こどもようの いすです。
 これまで ずっと。
 これからも ずっと。
posted by vino at 11:34| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月23日

ごちそうさま

 
イヌタデ.JPG 庭先の土手の草刈りをしていたら、イヌタデの群生を見つけた。
 草刈りの途中で手を休めて眺める。
「もう終わり?」と、家人が咎める。
「いや、ちょっとね」
 遠い昔、初恋の○○ちゃんに、茣蓙の上でごちそうになったっけ、アカマンマ。
「草刈りは、今日はここまで。あとはアカマンマの花が枯れたらにする」
 思い出話は胸にしまって、道具を片づける。
 
 夕陽に、アカマンマがひときわ赤く見えた。
posted by vino at 16:05| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

そっちかぁ!?

 小2の孫君は、友だちの親たちから、「自由人」と呼ばれている。
 友だちの中にいても、のほほんと、自分ひとりの世界を持っているからかな。

「そんなにズボン下げてどうしたの? お尻やおチンチン見えちゃうよ」
「だって、コウコウセイのお兄ちゃんたち、こうしてるよ」
「それ、格好いいと思うんだ」
「んー、でも、そのお兄ちゃんたちは必ず女の友だちと手をつないで歩いているもん。肩組んだり・・・」
posted by vino at 10:58| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月21日

今日の一行の二十三

酒のあらたならんよりは蕎麦のあらたなれ 子規

※ 間もなく、秋蕎麦の季節。新酒も待ち遠しいけれど・・・。
posted by vino at 13:52| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

今日の一行の二十二

くうちょう? ん、空腸って書く、小腸の一部だって。盲腸ってのも変な名前だけど、これもね。
posted by vino at 19:35| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

今日の一行の二十一

月が翳ると、芒の穂が闇を編みはじめる。
posted by vino at 18:41| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

黒澤止幾子さんのこと - 再び

 十一日に其内の艱難は言うもさら也。
 評定所へ御呼び出し、所司方七人の中程にはさみて呼び出さる。
其御方々には長谷川惣衛門、同隼見、吉見長左衛門、藤森香介、吉田寅次郎、勝野杢之輔、同孫三郎、外に旅人宿預相成りし、大野村甚エ門、都合此の十人、此の日御聞き直しにて、早朝より出でけり、牢に控へしか、夕まぐれ迄呼び込みなかりければ、寒さは身にしみじみと物も言われぬ程に成りける。

 過日紹介させて頂いた、黒澤止幾子さんの生涯が映画になるらしい。今月10日、読売新聞朝刊の県版に取り上げられた。
---江戸末期から明治時代にかけて活躍した女性教育者・黒澤止幾子(1806-90)の生涯を描く映画「もっと学びなさい(仮題)」の製作へ向けた準備が進められている。10月からは県内在住者を対象にオーディションもスタートする。---とあり、城里町にある生家の写真も紹介されている。

 
黒澤止幾子さんタ録.jpg 冒頭の文は、『実録 紀行、京都捕之文 上・下』から引用させて頂いた。この本は、「黒澤止幾子の生家を守る会」会長の大澤敏男さんが発行したもので、読み下し文は、会員で長らく黒澤止幾子さんの文籍を研究、解析されていられる後藤則男さんの力作。後藤さんは、黒澤止幾子さん関係だけでも10冊に余る読み下し、解説本をすでに出され、いずれも私家版なのが惜しいくらい貴重な成果を挙げていられる。
 引用文中、吉田寅次郎とあるのは、皆さまご存知の吉田松陰のこと。

---二十七日落着其の日 右之十人也御呼び出し、仮牢に控え居る 吉田寅次郎殿壱人御呼び込みと相成る、声高に口書読まれ「不届きに依って、死罪申し付ける」と高らかに聞こへける。---

(この項続く)
posted by vino at 16:45| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レモングラス

 
レモングラス.JPG 菜園の片隅に、今年初めて植えたレモングラスが結構な株に育ってくれた。周囲の泥被りの部分は残して、中ほどの茎の太いところを刈り取った。まるで萱のような草丈だ。
 一本ずつ水洗いをして、いま陰干しをしているところ。
 レモングラスは生でもハーブ・ティーとしていける、と教えてもらったけれど、余りにも生々しいので腰が引ける。
 根元の太い所は、お風呂に入れて楽しんでもよし、料理に使ってもよし、とも聞いた。
 あとは、残した根株の冬越しを考えなければならない。来年から、菜園にハーブの種類を増やそうと計画しているのでその試金石になる。
posted by vino at 10:02| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月14日

蟻 ( 断想 )

 その他大勢というに等しい群れの中にオレはいた。行列をつくる性は、己の運命に対する憤怒の表現だ。それが皆に敷衍するところから、オレはひとり離れていたと自覚していた。実のところ、自覚に溺れてオレは死んだらしい。しかし残念なことに、露出オーバーの記憶があるばかりで覚束ない。それでも不思議なことに、死んだ瞬間のことは覚えている。覚えているとは不気味な感覚ではあるけれど、それが流れているのか固定されたものであるのか、触覚で触れるほどには判然としない。
 その時も、オレたちは長い行列をつくっていたから、自動車のタイヤが通ったその点と線は全くの偶然で特定のものではない、列のあそこでもそこでもどこでもよかったという摂理はオレのものでもあった。ただ、隣の奴の呟きを聞いたには慄然とさせられた。そいつは、タイヤのパターンの溝の中に入って命長らえた奴だ。<・・凹凸とは、乙なもんだぜ・・>。
 凹みに逃げ込むとは卑怯な奴だ、列の在り方の道義を知らぬ。何故なら、列とは粛々と進むべきもので何処に寸断する悪意の鉄槌が振り落とされようと、そんなことには関知すべきではないのだ。オレたちは、大いなる意志に従って動けばそれでよいのだ。生と死を分かつことなどは、列にとってはどうでもよいことなのだ。列の全体が死ぬのでなければ、オレたち蟻にとって個の死など何の意味があろう。
 蟻とはそういうものだ。
 時々、オレたちを健気に動くものと詩人が感傷を寄せるが笑止なこと。彼らはいつでも、より弱きものを探索しているばかりだ。己の泣き言を他への挽歌と称して詠う。これなど永遠のお笑い草だ。何故なら、彼らの耳にはオレたちの笑いなど届くはずもないからだ。耳を澄まし森羅万象、存在の不思議を聴く者と自称する彼らにしてからが、そのようにして己の鈍摩に気付かずにいる。オレたちは、笑劇の世界に生きている。理路整然と線を形作って生きている。涙など端から持たずに枯れた生を生きている。

 さて、オレの死のことだが、オレは死んでから気付いたことがある。それは、「オレは遍くある」ということだ。オレは無数に遍在している。確かにオレの肉体は(蟻にも当然肉体はある)オレの死を以って消滅するが、同時にオレのオレは意識されて、そこにもあそこにもある。係累とはそも不思議な概念だが、偶然の出会いが必然となってオレが生まれたが、また偶然の存在となってオレとなるに過ぎない。
 列を構成する蟻一匹一匹に存在の意味はない。列の在り様があるだけだ。生の本能というとき、それは個の自己主張ととられがちだけれども考えても見たまえ、オレの叫びなど、列から出たためしがない。あったように見えても、瞬時、単なる列の揺らぎとなって現れるだけで、そこには一寸のためらいもない。列は列であり続ける。
 では、オレの憤怒とは、なんだったのだろうか。他愛のないことに、それは一言で足りる。
「オレはまた、蟻の全体でもあった」。
posted by vino at 11:47| Comment(0) | 掌編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

所かわれば

 
イッポンシメジ.JPG 山菜採り名人である知人の秋の得物はキノコ。今年初物のイッポンシメジを届けてくれた。

「物の本によると、イッポンシメジは毒キノコとあるけど?」
「確かに。でも、このキノコに当たったことは聞いたことがない。第一食べてはいちばん美味いでしょ。『匂いマツタケ味シメジ』って」
「確かに。でも東北地方では食べないって。その代わり、この辺で言う毒キノコの代表、ツキヨタケは食べるって」
「確かに。数か月塩漬けにすると毒素が消えて、この上ない美味だとか」
「これ、大丈夫?」
「じゃ、持って帰ろうか」
「いやいや、去年も食べたし、美味しかったし・・・」
posted by vino at 08:43| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

もの・がたり - ワードプロセッサ

 長らく倉庫に押し込んでおいたままになっていたワープロが、再び日の目を見ることになった。
 福島で、ワープロの修理を生業にしている人のいることを友人から聞いて、連絡してみると、快く引き受けてくれるという。「着払いで」と言ってくれたけれど、なんだかトツガセル気分もあって、元払いで送った。
 パソコン全盛の時代になっても、修理をしながら使っている何が何でもワープロ派がいて、修理待ちのワープロが600台、来年の春まで予約でいっぱいだとも聞いた。
 
 機械や道具は、手に馴染んだころに傷んだりこわれたりしはじめ、「直すより買い換えた方がお得ですよ」という不埒な風潮もあって、忸怩たる思いもあっただけに、ほっとしている。まだまだ動いていて立派に仕事で使っていたものだけれど、万が一不都合があってそのままでは使用不能だとしても、分解修理を生業とする方の元にあれば、部品なりとも再利用されて役に立つこともあるだろうと思うと嬉しくなる。

 ぽっかり空いた倉庫の棚には、先代のP.C.が所在無げに眠っている。
posted by vino at 14:19| Comment(0) | もの・がたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月08日

今日の一行の二十

訪れた神社の境内に、男たちの「初老記念」の碑があちらこちら。樹齢数百年の欅が見守る。

※「初老」:@老境に入りかけた年ごろ。A四〇歳の異称( 広辞苑 )
posted by vino at 18:42| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日の一行の十九


高く手を振る日.jpg

還らざる日々が揺らめいて、高く手を振る日は過ぎて行く。< 行き止まり >の思いもまた。

※『高く手を振る日』(黒井千次著、新潮社)
posted by vino at 16:16| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

今日の一行の十八


DSC06566.JPG

赤トンボが羽根を下げているのは、くつろいでいるのか緊張しているのか、どちらなのだろう?
posted by vino at 19:33| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

今日の一行の十七


きみが住む星.jpg

ぼくたちはみんなピカピカの傷一つないガラスを心の窓に嵌めて生まれてくる。

※『きみが住む星』〜「心のガラス窓」より(池澤夏樹、photograh by ERNST HAAS、文化出版局)
posted by vino at 18:43| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月05日

今日の一行の十六


還らざる日々.jpg


「還らざる日々」♪還らざる日々が今この胸をよぎる・・・あの頃の少年が遠くで手をふる・・・

※友利歩未作詞、杉村俊博作曲の男声合唱曲の名曲。
 ビクターエンタテインメント(株)
posted by vino at 07:56| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

今日の一行の十五

ショパン:夜想曲 第20番 嬰ハ短調 をアシュケナージで聴く。明日は、フジ子・へミングで・・・
posted by vino at 17:36| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

今日の一行の十四

隣に立った少年のおしっこの勢いのいいこと!立て板に水、違うか・・・
posted by vino at 17:00| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

今日の一行の十三

「ありがとう」に「ございました」は不可、「ございます」でなければ、と聞いたことがある。?
posted by vino at 18:15| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月01日

今日の一行の十ニ

Here lies one whose name was writ in water.その名を水に書かれし者ここに眠る。

※John Keats ジョン・キーツ(英国のロマン主義の詩人)。遺言によりその墓碑に刻まれた、一行。
posted by vino at 11:24| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする