2010年12月28日

もの・がたり - ガラスの小瓶2

「そんな小瓶、どうするの?」
「何にするの?」
 見る人ごとに訊かれるので往生してしまう。
 この、得も言えぬ小さな形象の中に大いなるものを見なくてどうするね、と開き直っても多勢に無勢、形勢はおもわしくない。
 こんなところで、宮沢賢治を引き合いに出しては、牽強付会との叱正の声が聞こえそうだけれど、賢治にしては、何とも小気味の良い台詞なので、引かせて頂く。

 あんまり訳がわからないな、ものと云ふものはそんなに何でもかでも何かにしなけゃいけないもんぢゃないんだよ。そんなことおれよりおまへたちがもっとよくわかってさうなもんぢゃないか。

 これは、「サガレンと八月」という小品の中に出てくる言葉です。農林学校の助手の「おれ」がサガレン(樺太)へ行って、海岸で貝を拾います。円い小さな孔があいている小さな白い貝です。それを、砂浜に打ち寄せる波の声に揶揄されたと思い、言い返すのです。
 今や世を挙げて、整理整頓をしろ、片づけろ、ものを捨てろ等々、にぎやかなこと。その手のハウツー本がベストセラーだというから気がしれない。
 ものを愛で、ものと語らい、ものから教えてもらう喜びをどうして捨ててしまうのだろうか。ものが多かろうが少なかろうが、ものを楽しめない人は心の貧しい人に違いない、などと書くと、大向こうからひんしゅくを買いそうで気が引けるけれど・・・。

DSC06797.JPG 先日、「ガラスの小瓶」の中で、茶色の小瓶が無性に欲しいと書いたら、これが手に入ったんですね〜。
 24日、大阪のCountry KAJIという雑貨店から、「茶色の小瓶1個入手しました。どうしますか?」とメールが届いた。お店が忙しい中をあちこち探してくれたらしい。
 一も二もなく返信して、クリスマス・プレゼントとしては間に合わなかったものの、今日、無事手元に届いたという次第。
 さっそく、青、緑、透明そして茶色と4色並べてみましたら、これがいいんですね〜。思った通り、茶色のものが入った途端、他の瓶の姿勢が良くなって、4色仲良く、机の上に整列しています。
 
 それで良いのです。一日に何べんも、八角形のガラスの蓋を、カシャ、コシャと開け閉めしている、それだけで良いのです。それで随分、心豊かでいられます。
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2010年12月26日

交差する時間 - 水へ

浮きドックに寝そべって
僕は浦波に身を任せていた

青い空も吹く風も
潮の匂いも
何とも豊かで優しかった

波はぴちゃぴちゃ冷やかすように
ドックの腹を打っている
僕は自分の横腹が擽られている気分で
聞いていた

陽は温かく柔らかく
辺り一面に溢れていた

僕は自らに不幸を強いてきただろうか
過剰反応が過ぎたろうか
乾いて嵩張ってかさついていたものが
海に染みて行く
未分化の僕自身が溶けて行く
許しと哀れみの眼差しが沈んで行く
断罪の言葉が消えて行く

僕はゆらゆら揺れていた
悲しいくらい幸せだった

浮きドックに寝そべって
僕は浦波に身を任せていた

ポケットを弄って取り出した
涙は海に返そう
水へ
posted by vino at 15:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

キーワードは‘time’

 今年も残りわずかになった。こもごも反省しては、いささかの感傷と後悔のあれこれが浮かんでくる。
 そんなときに聴いている、歌、歌、歌。
 
その1、‘HURT’.

I'm sorry for blaming you
for everything I just couldn't do

Christina Aguileraは、ラップとか早いテンポのダンス・ミュージックが得意な歌手で、当方には縁がないなと思っていたので、このバラードの歌いっぷりには参ってしまった。沁みるんですね、これが。

It's dangerous, it's so out of line
To try and turn back time

 ここまで、声を張って歌っていた彼女が、突然調子を変える。跪いて、‘time’という単語を掌に奉げ持つように切々と歌う。
 戻らない時間、去って行った人の後ろ姿を思いながら・・・。

I've hurt my self by hurting you...

 その2、‘The first time ever I saw your face’.

 Roberta Flackのことは、以前にも書いたことがあるけれど、バラードのスタンダードナンバーと言ってもいいこの曲は、この頃になると一段と心に響く。
‘the first time’とは、「失われた時」であり、失った人がいた「その時」であり、追憶と恋慕の情を歌って、聴くたびに、胸がつぶされそうになる。
‘HURT’とは趣が違って、懺悔の言葉は一つも歌われていないのに、哀しいとも寂しいとも歌っていないのに、‘the first time’は、もうここにはないことが、痛切に伝わってくる。

 その3、‘Time to say goodbye’.
 
 水戸市にある、さくら鍼灸院の菅原院長に教えてもらった曲です。
 このところ、腰痛の起こる気配があるので、月に一度、鍼治療に通っている。
 同好の士でつくる吹奏楽団で、バス・トロンボーンを吹く菅原さんとは、治療を受けながら音楽談義をするのが楽しみで、あっと言う間に時が経ってしまう。
「Sarah Brightman、いいですよ。きっと虜になりますよ。」と言われて、さっそくYou Tubeで検索してみた。
 あれ、‘to say goodbye’って歌っているけれど、これ別れの歌だった? 以前、テノール歌手の・・・、と思いながら散歩を続けていると、Andrea Bocelliとのデュエットにぶつかった。あ〜そうなの、と旧知の友に出会ったようで嬉しくなってしまった。おまけに、Katherine Jenkinsにまで会ってしまった。Sarahもいいけれど、Katherineのふくよかなアルトもいいなあ。
 元のタイトルは、確か、‘Con te partirò’で、訳せば「君とともに旅立とう」とでも言うのかしら。
 Katherineとデュエットのつもりで、大きな声で歌ったりしている。美人の女性歌手に、Con me, con meと言われると、とても気持ちがいい。
 何故、‘Time to say goodbye’というタイトルになっているのか、原詩からは想像できないのだけれど・・・。

「時」にこだわってきただけに、タイムリーに、いい歌に巡り合えて幸せな気分の年の瀬。
posted by vino at 16:55| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月22日

もの・がたり - ガラスの小瓶

「こちらを向いててください」と、優しく手を添えて首の向きを直された。
 
 歯医者さんの治療器具は、何と言うのだろうか、あのキーンという回転音のするものはもちろん、ピンセットだって見ることが出来ない。それらが口の中に入ってきてアレコレするのを思っただけで、縮みあがってしまう。だから、治療の間はきつく目をつぶることになる。もっとも、口を大きく開けて、おまけに目まで開いて下から先生を見たりしては、いくら綺麗な女性歯科医とはいえ、失礼になるという遠慮がないでもない。

小瓶.JPG それなのに、器具をそろえて置く小さなテーブルの上のこれらの小瓶が気になって仕方がない。窓からの光を通して、青、緑、茶そして透明と、4色に輝くガラスの小瓶たち。時々、先生が、小瓶たちのガラスの蓋を開け閉めするときの、カシャッとかコシャッとか聞こえる音も気になる。
 で、治療の隙を盗んでは横目に小瓶たちの方へ目をやるのだけれど、その都度、「よそ見をしてはだめよ」とばかりに、直される。
 何を入れて置く小瓶なのだろうか。先生や看護師さんたちは、特に興味を覚える様子もなく、至って無造作に扱っている。

「茶色の小瓶が揃いませんが、よろしいでしょうか?」
 先日、ネット・ショップで、「歯医者さんが使うガラスの小瓶」を手に入れた。高さ5.5センチ、胴体2.5センチ角の小瓶たち。残念ながら青、緑、クリアの3色のみ。無い物ねだりとはよく言ったもので、並べてみても、何となくしまらない。無性に、腹立たしい程、茶色の小瓶が欲しくなる。
 行きつけの歯科医院のあの先生にリクエストしてみようか、などと埒もないことを考えているけれど、こんなときに限って、歯は痛くも痒くもない。
 困った・・・。
posted by vino at 13:19| Comment(0) | もの・がたり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月21日

あれ?

 大安吉日。ある晴れた日。
 いつも買い物に行き来する道路に面して建つ祭儀場の駐車場に、紅白の幕が張られている。
「あれ、これってなあに?」と、思わず車を露地に乗り入れて家人と考えてしまった。
「天寿を全うした人の・・・」
「だけど、紅白の幕まではなあ・・」などと言い合っているところへ、制服を着た式場の係の男性が幕の様子をアレコレ手直し始めた。
「付かぬことを伺いますが・・・」と、おずおず訊ねると、その人はニッコリ笑って教えてくれた。
「今から、< お人形供養祭 >を執り行います。」
 子供が無事成長したことを見届けてくれた人形、訳ありの人形、こもごも、祭儀場の会員も一般のものも、この際全部まとめて面倒みます。祭壇前にずらりと並べて僧侶がお経を挙げ、人形の御霊を抜いて供養したのち、お焚きあげ(人形の火葬)を行う、とのこと。
 確かに、人形をそのままごみ袋に入れて捨てるのも気が引けるし、かと言って、押し入れや天袋の奥深くや倉庫のうす暗い所に閉じ込めておくのも罪深い。思い出が深い程、どうしたものか、その処分に迷うものらしく、例年、山のように集まるという。
「欠かすことの出来ない、大切な年中行事になりました。」と、係員はさわやかな顔で言った。
 そう言えば、市内でも祭儀場があちこちに増えたから、大変なんだろうなあ。
 でもねえ、郵便ポストに営業案内のチラシを入れるのはなあ、そこまでやるか?と思わないでもないですよ。
 
 そのせいだろうか、あの日の紅白の幕が異様に印象に残っている。  
posted by vino at 15:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

藪から

 今年は、案内をいただきながら日程が取れずに、「つくば山麓茅刈り隊」に参加出来なかった。今年の茅の出来はどうだっただろうか。
 
 母家の西側、雨落ちに植えたリュウノヒゲに交じって、ささやかなチガヤの叢がある。今年も結構なな草紅葉で楽しませてくれていたけれど、このところの降霜ですっかり枯れてしまった。

DSC06787.JPG リュウノヒゲの頭をなでるように鎌を使い、チガヤを刈り取って行く。来年の芽吹きのためには、火を付けて焼きたいのだけれど、場所柄それは不可能だ。
 刈りこぼした枯葉を、小さな熊手で掻きだしていると、陽に輝く小さな碧玉が目についた。リュウノヒゲの実、チンコロ玉などと言っていたかな。



DSC06789.JPG ギボウシュの根元に隠れるように生えているヤブコウジも、借りていた軒先が枯れてなくなってしまったので、姿を現すようになった。真っ赤な実が、こちらも美しく光を浴びている。 
posted by vino at 11:54| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

今日の一行の三十六

 
カッティングマット.JPG

 美しいものの中に、痛ましさが仄見える時がある。愛もまた、美しいが故に。
posted by vino at 11:16| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月15日

もの・がたり - ペン型はさみ

 それほど頻繁ではないけれど、出先で、いま手元にあったらいいのになあ、と思うものの一つがハサミだ。
 時間つぶしに買った新聞や週刊誌にちょっと気になる記事があったとき。
 シャツの袖口の小ボタンの糸がほつれて、糸尻が垂れているのに気づいたとき。
 小指に絡まって縺れた「赤い糸」を切るとき。などなど。
 
DSC06775.JPG 先日、ホームセンターの文房具コーナーで見つけたのが、「ペン型はさみ」。
 刃の部分をたたんでキャップをすると、1p角程の太さのスマートなペン型になる。
 普通のハサミは、指を入れる持ち手の部分が異様に大きく出来ていて、携帯するには嵩張るし、机の引き出しや筆立ての中でも大威張りで耳を張る。
 このペン型は、スライダーというつまみを動かすと、ループ状のハンドルが左右輪になって出てくる。
 驚いたのは、そのループが左利き用、右利き用と使い分けられるようになっていることで、左利きの人には有難い仕組みに違いない。

DSC06777.JPG 製品の説明書きに、「左右両利き手で使える構造のため両側に刃がついています。」とある。
 つまり、開き勝手によって、刃の背中の部分が内側に来るようになる、というわけだ。
 5人の孫のうち、2人が左利きで、普段、ハサミ使いに戸惑ったりしているのを見ているので、クリスマス・プレゼントの包装を開けるために、この優れものを一緒に忍ばせて贈ろうと思っている。
※「株式会社 レイメイ藤井」製。税込504円也。
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2010年12月07日

今日の一行の三十五


DSC06746.JPG

メタセコイアは、紅葉とも黄葉ともつかず、優しい色に‘こうよう’する。機影が消える。
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2010年12月04日

陶展“駄駄男と林檎”を観る


DSC06749.JPG 笠間市に窯を構える陶芸家の小林征児さんは、先年、トルコを訪れてカッパドキアの空の青さに魅せられた。そのとき、ホテルの窓から見た < あおい林檎 > の実にインスピレーションを得て帰国し、程なく河野裕子の歌に接して脳天を射ぬかれた、と言う。得も言えぬ懐かしさを覚えながら土に触れるうち、数々の青いオブジェが生まれた。

  
DSC06761.JPG 禁断の果実である林檎、青春の日の思い出を詠う林檎、幼い日の母の面影と重なる林檎。
「赤」、「白」に続いて、「青」のシリーズを手掛けた陶芸家は、今回はじめて、そのオブジェ群に名前を付け、具象的な形を与えた。曰く、“駄駄男と林檎”。 
“駄駄男”とは、文字通り、駄目な男、駄々っ子につながると本人は言うけれど、駄駄はダダであり、具象化されたはずの林檎は、緑を通り越してシュールな青となり、唇を持ち、艶めく果肉を露わして観る者を欺く。

於:アカデミア・プラトニカ(那珂市飯田)029-295-5050
  〜12月 7日
posted by vino at 16:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月03日

今日の一行の三十四


DSC06748.JPG

公園の午後、切り株が誰かを待っている。
posted by vino at 11:46| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする