2011年06月28日

< あしあと >の復活

「LOVELOG」から < あしあと > がなくなるって本当?」
「なんか、つまらないね」
「そうだよね。訪れる時間、訪れる季節、訪れる時の心持を、ちょっとエスプリを利かせて・・・」
「そうそう、さり気なく、挨拶の代りに出来たよね」
「短い中に、その人の思い入れがあったりしてね。案外、その人となりが仄見えたりして面白かったよ」
「どうして、いい企画をなくすんだろうね」
「さあ。そんなに大容量を要するとも思えないし、手間がかかるとも思えないしね。何か、トラブルでもあったのかな」
「観光地などのガイドさんの決めジョークがあるよね。『皆さん、ゴミはここに置いて行かずにお持ち帰りください。それと、こちらの土地の草木を折ったり採ったりしないでください。置いていっていいのは、足跡、持ち帰っていいのは、思い出です』って。案外好きなんだ、このフレーズ」
「< あしあと > も残せないとなると、なんか殺風景というか、手持無沙汰というか・・・」
「手ぶらでお散歩も愛想がないね」
「もっとも、最近、さり気ない挨拶、会釈をする人が少なくなったね」
「年配の方が、すれ違ったり、ふと目があったりしたときに、笑顔で軽く会釈してくれるのって、あの年代の人たちには、きっと何時も感謝の気持ちが心の底にあるんじゃないかな。言わず語らず、『お陰さまで』とか『お互いさま』とか、あるんだよ心の中に」
「< あしあと >、復活してもらおうよ」
「そして、小さく会釈して、小さく笑おうよ」
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2011年06月27日

こひしたよわ

 手元の古語辞典をぱらぱらめくりしていたら、面白いことに気付いた。
 五十音の頭の文字の、「あ」から「か」、「さ」、「た」、「な」まで、一語の代名詞として揃っていて、夫々、一人称、二人称、三人称が見事に表現されている。
 和歌にしろ俳句にしろ、字余り字足らずを補うために、呼び方を変えたり、接頭語や接尾語、装飾音などをつけた独特の言い回しが生み出されてきたお陰で、形がすっきりと整って、余韻、余情が増幅され名歌、名句がたくさん詠まれた。
 一語たりとも疎かにすべからず、を地でいっているわけで、日本語の懐の深さを改めて認識させられる。
『例解古語辞典』( 三省堂/第二版 )から引用させていただく。
 
「あ」:[吾・我]自称。わたし。わたくし。
「あ」:[彼] 遠称。あれ。
「か」:[彼] 遠称。あれ。あちら。
「こ」:[此・是] 近称。これ。ここ。
「さ」:他称。そいつ。それ。
「し」:中称。多く、前に述べた事物をさす。それ。
○「し」:[此] 近称。これ。こちら。
「そ」:それ(其れ)に同じ。
「た」:[誰] 不定称。だれ。たれ。
「な」:対称。目下に対して用いる語。おまえ。
○「ひ」:[彼]遠称。あれ。あちら。
「よ」:[予・余]自称。わたし。我。
「わ」:[我・吾] 自称。わたし。

 並べ替えたら、「ああかなし さそこひしたよわ( ああ哀し、さぞ恋した夜は )」と、意味深な響きになった。

※ ○印は、「此岸、彼岸」から連想して、当方が勝手に加えたもの。文法上は誤りかもしれません。
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2011年06月25日

交差する時間 - 日めくり

「日めくり」は あの日のまま

日々新た・・・
過ぎ行く時と
動かない日々と

開かれた日々と
閉じられた時と
日々何処・・・

「日めくり」は あの日のまま
曝されている

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2011年06月24日

盗らないで

 書店で、お気に入りの作家の新刊本を探そうと、作家別のコーナーへ行ったところ、妙齢のご婦人が立ち読みをしている。付かず離れずの距離を保ってうろうろしていると、そのご婦人が、突然大きな欠伸をした。美味しそうに空気を吸って、小さく声を出す。つられて、こちらも小さく欠伸をしてしまう。欠伸って伝染するものなんですね。と、彼女は咎めるような目つきでこちらをちらっと見て、今度は、びっくりするくらい大きなくしゃみをした。あんな大きなくしゃみをしたら、当方は途端にぎっくり腰になってしまうと思うくらい。
 びっくりしたからか、こちらは、くしゃみは続けずに済んだ。くしゃみまでしていたら、何と言われるか。「わたしを、盗る気!?」、とでも。
 あぁ、くしゃみの前のあの目つきは、くしゃみをする時の堪えようのない一連の衝動が見せた、彼女の素なのかもしれない。それが証拠に、ハンカチを口にあてたまま、彼女は、少しはにかんだように小さく会釈をして、その場を離れて行った。邪険な人じゃないんだ・・・。ブルガリの何だったか、かすかに香水の香りが残った。
posted by vino at 16:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

今日の一行の四十五

十薬.JPG

十薬や罪滅ぼしの白さかな
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2011年06月15日

エノテラ・アフリカンサン

エノテラ・アフリカンサン2.JPG 

 透明感のあるレモンイエローの花弁に魅せられて求めた花。以来7、8年ほど、手入れもせずにその時の粗末なプラスチック製のハンギング型の鉢に入れたままにしているのに、か細い葉茎にも似ず、強かに毎年沢山の花を付ける。
 最初の花が終った頃に名札を失くして以来、その名を覚えずにいた花だったけれど、今回、「黄色い花」でネット検索して、その名を思い出した。別名、昼咲き西洋月見草。
 咲き終えた枝を切り詰めれば、年に2回は、花を楽しめる。
posted by vino at 11:59| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月14日

麦わらトンボ

P6130266.JPG メダカを飼っている水鉢に生えたガマの葉茎に、麦わらトンボが止まっているのを見つけた。あのすばしこいはずのトンボが、近づいてもピクリともしない。どうしたことか、羽根がずぶ濡れ、大きな水滴が付いている。こんなトンボの姿を見るのは初めてだ。
 あ、もしかして・・・。
 先月の末に、水鉢の水替えをした。底に溜まった落ち葉やごみを浚っていると、小3の孫君が、トンボの幼虫のヤゴを見つけた。
 ヤゴって、きれいな流水でなくても大丈夫なのか、こんな溜り水で、餌は何を食べていたんだろう。
 あ、もしかして・・・。
 メダカは、確か15匹いたはずなのに、1、2、3・・11匹しかいないぞ、ということは・・・。

P6130287.JPG あのヤゴが羽化したのだろうか。夜来の雨は、明け方には止んでいたし、だいいち、すばしこいトンボが、こんなに雨に羽根を濡らすはずがない。水鉢から這い上がってきたに違いない。でも、抜殻が見当たらない。残念ながら、羽化の瞬間は見ていないので自信はないのだけれど・・・。


P6130289.JPG a.m.9:00 麦わらトンボ見つける。羽根に水滴。
< この間、トンボ動かず >
a.m.11:20 羽根を震わせて、水滴を払う。
< この間、トンボ動かず >
a.m.11:40 前脚でしきりに目玉を拭うしぐさ。
< この間、トンボ動かず >
p.m.12:00 水鉢の上にまで枝を伸ばしているコブシの木から、ポチャンと大きな音を立てて、実が落ちる。トンボに当たったらどうしよう、と心配になる。
 この間、薄日が射してきて、蒸し暑くなる。目を離せないので、カミさんに言って、スケッチ用の折りたたみ椅子、麦わら帽子、タオル、冷たいお茶を運んでもらう。
「次は、何がご入り用?」
「あ、ストップウォッチ」
 昼食も、そのまま観察を続けるために、サンドイッチにしてもらう。

P6130297.JPG p.m.12:50 止まっていたところから10pほど上に、ツツーッと位置を変える。最初に見た時よりも、目玉が艶を帯びてきて、身体全体にも生気がみなぎってきた感じ。






P6130302.JPG p.m.13:09 「あ、ああ〜〜」。何の前触れも、予備行動もなく、ツイッと、ガマの葉茎を離れ、見る間に大空へと飛んで行ってしまった。瞬間、呆気にとられて、飛翔の雄姿をとらえることが出来なかった。
posted by vino at 12:02| Comment(2) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

青い大きな果実

 のり子さん、お元気ですか?
 と言って、僕はのり子さんが亡くなったことを知っています。それよりなにより、僕に、あなたを「のり子さん」と呼べる資格があるのかないのか。詩人であるあなたの、ほんの数冊の詩集を手にしただけの、底の浅い読者でありますから、それだけで、僕の呼びかけは、あなたに遠く届かないことも知っています。
 でも、呼んでみたい、あなたの名前を。・・単に、あなたの名前が、僕の初恋の女(ひと)と同じだということだけでも・・。

落ちこぼれ.jpg  茨木のり子詩集『落ちこぼれ』(水内喜久雄 選・著 はた こうしろう 絵、理論社)

 書店のレジで、店員が必ず、短冊形の栞様のものを取り出す、あれは何と言うのか。書店や取次店でやり取りするときの、大事なレターには違いないと思うのだけれど。
 家に戻って、『落ちこぼれ』を手にすると、件の紙片がハラリと落ちた。いつもは、さして気にも留めずに、そのまま屑かごに入れてしまうのだけれど、今回は、「金沢市」という文字が目についたので、しげしげと眺めることになった。曰く、「金沢市 勝木書店金沢泉野店」。「注文 08年04月21日、返 09年02月28日」。
この紙片を抱いたまま、『落ちこぼれ』が廻り廻ってどのように当方の地元の書店に辿りついたのか。かの地の書店で一年近く店頭にあって、どんな人の目に触れ心に響いたのだろうか、などと考えているうちに、無性に「のり子さん」に、手紙を書きたくなってしまった。
 詩集には、教科書にも載せられたという、「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」、選・著者が詩集のタイトルに選んだ「落ちこぼれ」など33篇の詩が収録されている。
 中で、< 高い梢に/青い大きな果実が ひとつ・・>に始まる、「木の実」は、茨木のり子さんの立ち位置を示してくれる詩で、< 嵌めるべき終行 見出せず・・>と詠う詩人の潔さと慙愧の念が余韻を残す。韜晦という言葉の納まりどころを見たようにも思える。

追伸 いま、金沢市のあの書店に、のり子さんのどんな詩集が並べられていますか?
posted by vino at 14:39| Comment(2) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

交差する時間 - 空色のパステル

スケッチブックのざらざらの紙面に
空色のパステルを軽く押しあてて
紙一面塗り終えると
何とも言えず 空
意気込んだところは深い空の穴
飽いた気分のところは空の微笑み

スケッチブック一冊
同じ色を塗り終えるころ
ちびたパステルは
そのまま
空に消えた
少しの塗り残しは淡々とした 雲
または 風の通い路
posted by vino at 09:58| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

交差する時間 - 返 事

「あ〜あ〜」(そう言うこと?)
女性が出すか細い頷きの声かと思ったら それは
その女性が起ったり坐ったりするときの
椅子のクッションが出す かすかな音でした
病院の受付は 患者がひっきりなし
起ったり坐ったりしながら それは
その女性が返事をしているみたいな音でした
「あ〜」(違うわよ)
「ああ〜」(そうよ、そうよ!)
「あ〜あ」(なんか、疲れた〜)
「あ、あ〜、あ」(お大事に・・・)
posted by vino at 13:55| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

今日の一行の四十四

新タマネギ.JPG

君も、一皮むけたねえ、えぇ!?
posted by vino at 08:23| Comment(0) | 今日の一行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

ものの名前( 断想 )〜『空の名前』に寄せて

空の名前.jpg ものに名前を付けて呼ぶのは、そのものを他のものと区別することに始まったのだろうけれど、そこにはある種の感動があったに違いない。
 雑草、雑木と言うがごとく、人は引括ったもの言いをしたがる。それはまた、あるものを引き立てるために敢えて他を丸めた言い方をすることなのかもしれない。
 美しいものを見て感動した時に、人はその喜びを誰かに知らせたくなる。そのことを伝えて、その人と共有したくなる。ついで、そのことを記憶して、何回も味わいたくなる。そして、そのことが重なり数が増えると、「あれ」や「それ」では追いつかなくなり、そのものに固有の呼び名を付ける。人と人とは、その数が増えるに従って、互いに親しみ、優しくなれる。感動の伴わない名前があるとすれば、それは単に他と仕分けし、分類する、便宜上の記号に過ぎない。
 もっとも、それを見逃さない人はいる。詩人と呼ばれる人は、ものの中に潜む何かを見つける。あるいは、浮かんだ言葉が何かを現出させる。
 
 樹木や草花も、少しでも心が動かされたものは、名前が憶えやすい。いや、憶えたくなる。名前とともに、その色合いや姿形、匂いを含めて、人の心に沈み込む。

『空の名前』と題した本を著した人がいる。雲と水、氷や光、そして風を追いかけて、歳時記風天気図鑑とした。
 潦。にわたずみ。「勢いよく雨が降ると、庭には水たまりが出来ます。これが、潦です」。というがごとく、著者は392項目にわたって、空の名前を教えてくれる。

 頁を繰りながら、好きになりそうな人の名を、まず一番に、誰かにそっと訊いた記憶がよみがえる。

※『空の名前』(写真・文 高橋健司、角川書店)
posted by vino at 11:25| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月03日

ニゲラ・ダマスケナ

 今年は草丈も伸びて生え揃い、わくわくしながら花を期待していたチドリソウが、先日の台風2号の強風でなぎ倒され、ばらけたまんま、ぽつぽつ咲き始めた。濃い青紫色のもの、薄い水色に近いものとある中で、今年は白に近いものが一株生まれた。もともと白花ものがあるものなのだろうか、その時の気分で色変わりするものなのだろうか、いずれにしろ去年までは見られなかったものだから、我が家の小庭では変異種か新品種、といったところ。
ニゲラ.JPG 去年、知り合いにもらった種を播いて置いたニゲラ・ダマスケナが、今、庭一番の青い花。
 こんなか細い葉で十分な光合成が出来るのかしら、と心配になるほど細い糸状の葉が涼しげに風にそよいでいる。
 この花、花と見えるのは実は萼片で、本来の花弁は退化してよく見ないと分からないと聞いたけれど、よく見てもわからない。アジサイなどもそうだけれど、きれいな色、形をしている部分を総じて「花」と見て、何の不都合があるのかしらん、といつも思う。
 ときには、ショクブツガクが邪魔になることもある。
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2011年06月02日

小さな花

ヤブムラサキ.JPG 友人に頼んで山採りして3年目、小庭の土質に馴染んできたのか、ヤブムラサキが沢山の花芽を付け、今日、そのうちの一輪が咲きはじめた。径1cmにも満たない小さな花だけれど、濃い紫の花弁に白い雌蕊、黄色の雄蕊と、色のセンスがよく、愛らしさの中に見えるその配剤の妙に感じ入ってしまう。
 秋に色付く紫の実のあの色は、どこから来るのだろうか。
 ここ2、3日、低温の日が続いているせいか、大半の蕾は、まだ柔毛に被われた花萼に包まれたまま。
ナツハゼ.JPG こちらも小さな花を咲かせている、ナツハゼ。秋の紅葉も美しいけれど、今の時期、若芽の朱色も負けず劣らず。
 去年の秋の実生りがおもわしくなかったので、この春先に地植えにしたら、やはり枝振りからしてその勢いが違う。
 秋には、鉢巻を巻いた紫紺の実が鈴生りになるはずだ。
 
 こうして、幾許かの感傷と喜びの想いを寄せて、小庭の小さな花を見ている。
posted by vino at 10:06| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする