2014年04月23日

二輪草

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  膝折ればわれも優しや二輪草  草間 時彦
 
 二輪咲くことが多いけれど、ときには三輪以上のこともあり一輪の場合もあって、歌の文句の様には行かぬものらしい。白い花びらと見えるのは実は萼片と言う。では花は、と膝を屈して目を凝らしたけれど、小さな花にそれとも見えず、さりとて道を外れて群生の中に踏み入るわけにも行かず・・・。

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2014年04月18日

交差する時間 - 柿の木 賛歌

冬 雪がへばりついて 立つ
春 小鳥たちの止まり木
若葉 初夏 小さな花(とも見えない固まり)
密やかな造形の中に
蜜を湛えている
花蜂の群れ
青く小さかった実がぐんぐん膨らんで
これ以上は宇宙に叱られると言って
秋 色付く 何色 柿色でしょう
役目を終えた葉は斑な模様
緑の水面に極彩色の
点描を・・・
posted by vino at 10:16| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

「 創作 とうもろこし人形展 」にて

とうもろこし人形流鏑馬.jpg

 先月、とうもろこし人形作家・木村拓子さんの創作人形展を観てきた。以下、そのときの感想ノートから・・

 一見、愛らしく静かに佇むかに見える人形群に、いきなり贈答歌の世界に誘われる思いがする。
 人形群は、「作品」であって完成品ではない。細部に至るまで心の行き届いた作者の手業は、「観られる」ことを前提とした「ことば」の形象化である。「観られる」ことを待つ人形群に位相を移入した「観る」人は、だから自問自答を強いられる。小さな人形の身体の中に谺する「ことば」を聴き、それに感応する己の共振音の中に新たな「ことば」を見つけて応えなければならない。見つけ出せなければ、人形群の搦め手から解放されない、それほど、彼らの磁場・磁力は強い。
 観終えたときに、必ずしもカタルシスが訪れるとは限らず、拒まれて徒労感のままに放り出されることさえある。
 つまり、「観る」人もまた、人形制作に参画させられるということだ。30センチに満たない人形群を等身大に観て、彼らが紡ぎ出している贈歌に礼を以って返歌を呈しなければ解放されない、完成することのない不思議な世界である。

※映像は、「流鏑馬」と題された2作品のうちの1体。作品集『創作 とうもろこし人形』(写真・編集 木村敏雄)から、例によって事後承諾掲載です。他の作品など、木村拓子さんの作品は、「とうもろこし人形」で検索してご覧ください。
posted by vino at 11:38| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする