2014年05月31日

飛燕草(チドリソウ)

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 例によって、乱読、併読のこと。

『わが心の故郷 アルプス南麓の村』(ヘルマン・ヘッセ、岡田朝雄訳、草思社)
〈 森や湖や緑の丘で、薄い麻の上着とオープンカラーのシャツという簡単な、気楽な服装で、絵を描いたり、散歩をしたり、山野を跋渉したりして過ごした 〉年月に物したエッセイであり詩であり水彩画の数々。
〈 ごく最近になって贈られたものの中では、私はとりわけ私の女友だちから贈られた古風なワイングラス型の美しいガラスの花瓶を大切にしている。この透き通った花瓶はたいてい、百日草とか、石竹とか、あるいは小さな野の花が時に応じて数本ずつ挿してある。私がこの花瓶をもらって初めて見たときには、淡青色の飛燕草の束が挿してあった。それを私はまだよく覚えている。空気のように軽い感じで、この世のものと思えぬほどにやさしい青い花が、キラキラ光るガラスの上に浮かんでいた。あのときは太陽が照り輝く夏であった。そして夕方には森に沿って、ほとんど花が咲き終わったばかりの葡萄畑のかたわらをそぞろ歩いたものであった。そして私たちの頭上には飛燕草のように青い夏空がひろがっていた。〉(「室内の散歩」から)
 
 いいですねえ。鬱屈した気分から解放されるためには、ときに、こんな美しい文章に浸ってみるのも一法かと。
※ 2006/6/15「チドリソウ」も合わせご高覧ください。
posted by vino at 19:27| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

ヤブムラサキ

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 小庭のヤブムラサキの花が咲き始めた。柔毛に被われた蕾が10個ほど固まって枝々につき、順番に開花する。花弁の数は、5枚のものもまま見られるけれど主に4枚で、その一枚ずつに黄色い花粉を付けた雄蕊がつく。雄蕊に囲まれた中央から、1センチほどの透きとおるように白い雌蕊が1本抜きん出て立つ。時期が来ると、雄蕊は花びら共々一体のまま萼を離れて、落花する。あとは子房が膨らんで緑の実となり、秋にはその名の通り紫に色付く。最後まで、毛がびっしりと生えた萼に包まれているのが特徴で、実のつき方も園芸種のムラサキシキブとは異なる。可憐な実のつき方と言い、淡い紫の色合いと言い、野趣味に富んだこの種が好きで、小庭を一回りしながら朝晩観察している。
posted by vino at 10:05| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

交差する時間 - 若葉 

若葉の中の
若葉の陰の
白い影

木漏れ陽のように
見え隠れして
何処からかシナモンの香り

若葉から落ちる
雫の中に
白い影

一瞬の陽を浴びて
リスが地を駆ける
木をよじ登る

ふと思った---
コーヒーを淹れる湯を沸かすガスボンベが消費した酸素を
5月の陽に光る若葉が生成してくれる
小さな消費と大きな生成---

若葉の中の
若葉の陰の
白い影
それは想い出から零れた
恥じらいのように眩しい
posted by vino at 17:51| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

オニタビラコ

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 近所の公園の園路に、すっくと一本、頭に黄花を付けて立っている。辺りの草は刈り込まれているのに、どうしてこの花だけが残ったのか不思議だ。それとも、周囲の草が刈り込まれるのを待って立ち上がったのか。
野草図鑑で調べたけれど、オニタビラコのようなそうでないような、ハッキリと調べがつかなかった。
posted by vino at 19:22| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月12日

アケビ風に泳ぐ

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 鉢植えのアケビが、ネットを張った支柱からどんどん蔓を伸ばして、空中遊泳の様。風に揺られながら楽しそうに泳いでいる。
 今年は、20個を超える実がついた。日に日に膨らんで行く様を観察しては、秋の色付きを楽しみにしている。
posted by vino at 10:31| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月11日

泥の中に差込む

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 きのう10日のNHK水戸放送局の県域ニュースを見ていたら、笠間稲荷神社の神田でのお田植え祭りの模様を放映していた。
 菅笠に絣の着物、赤い襷の早乙女と、白装束の地域の男衆が手植えの儀式を行ったことが紹介されていたが、中で、「泥の中に苗を差込んでいました」との女子アナウンサーの言葉には思わず仰け反ってしまった。
 もちろん、水田には泥があり、苗は手を添えて泥の中に差込むには違いないけれど、これって、せっかくの神事のみならず田植えを表現する日本語でしょうか?
 水田は田んぼとも言い、人々が精魂込めて耕し均したもの、丹精した苗は差込むのではなく心を込めて植えるものであるはず。
 これはきっと、都会育ちの、田植えとは何か、農事とはなにかさえ知らない、それらに込められた人々の願いや思いに到らない、報道部の誰かが書いた原稿をそのまま読んだに違いない。
 なんとも貧しい日本語表現ではあります。
posted by vino at 17:57| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする