2017年03月31日

菜の花

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 菜の花に春行く水の光かな  召波

「菜の花」、「春」と季重なりながら、誠にもっともな春の景を詠む。「春行く水」が眼目で、一筋の流れに乗って辺りの景も春の気もゆったりと移ろう様に、菜の花はむしろ脇役、点景のよう。
posted by vino at 11:17| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

温度も味のうち

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 毎度、芸のない話だけれど、コーヒーサーバーの光と影で楽しんでいる。
 温かい朝は、庭のテーブルでコーヒーを飲む。
 少しぬるくなれば、五徳に乗せてアルコールランプでゆっくり温める。
 温度もまた味のうちと知れる。
 炎に温められたコーヒーが対流をおこして動き始めると、赤味の勝った琥珀色が揺らめく。
posted by vino at 10:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

詩を読むとは

 そのひとは、乱暴な物言いになるけれど、と断って「ふざけるな!!と言いたい」と言った。

 聞くともなしに一晩中流しっぱなしだったNHKのラジオ深夜便も終りに近い時間帯だったように思う。何時から出演されていたのか判然としないのだけれど、落合恵子さんの只ならぬ声に目が覚めた。
 福島県の罹災者、他県避難者、仮設移住者に対する、行政の、そして何より我々日本人のあまりにも情けないなさりように、強い物言いになったらしい・・・。
 落合さんがさりげなく口ずさんだ長田弘さんの詩が胸に響く。
---どこにもいない?
  違うと、なくなった人は言う。
  どこにもいないのではない。

  どこにもゆかないのだ。
  いつも、ここにいる。
(詩集『詩 ふたつ』から「花をもって、会いにゆく」)

 長田さんは、この詩集の「あとがき」に記している。
---一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。

 これを記した前の年に、長田さんの奥さんが亡くなっている。
 その長田さんも今はいない。
 長田さんの詩を読むと、大いなる、魂へのレクイエムを聴く想いがする。
 
posted by vino at 17:14| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月09日

揺らぎ

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 北風は冷たいけれど、陽ざしは春のもの。陽だまりの温かさは格別。
 わずかに残ったコーヒーを漱ぐために湯を注いで陽にかざすと、サーバーの中に琥珀色の春が揺らめく。
posted by vino at 11:15| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

ミモザ枯れる

 花の季節になった。去年植えた小庭のミモザアカシアも、当方の背丈を超えるまでに成長し枝いっぱいに蕾を付けている。程なく黄色の可愛らしい花が咲くだろう・・・
 と楽しみにしていたミモザが、突然枯れてしまった。たくさんの蕾が開かないまま、立ち枯れた。
 これで二年続けて、枯れたことになる。がっかりしつつも、あの愛らしい花が見たさに、また園芸店に走って背丈ほどの幼木を一本買ってきて植えた・・・待て待て、これには何か原因があるに違いないと穴掘り作業を中断して説明書をよくよく見ると、「日当たりと排水のよい、強風の当らない場所が適します。」とある。これで思い当たった。ミモザを植えていた場所は、母屋と、離れてはいるけれど隣家の間を北風が通り抜けるところ!!今年の冬は格別寒かったし、北風が強く吹く日が何日もあったではないか!!そうだったのか、同じところに植えたらまた同じ結果になるわけだ。
 かくて、もう少し温かくなってから別の場所を選んで定植をすることにして、掘り始めた穴は埋め戻すことにした。
 細い幼木ながら花いっぱいのミモザを、鉢植えのまま、毎日部屋と軒下と風当たりをみながら出し入れしている。
posted by vino at 10:29| Comment(0) | 庭には・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする