2016年01月28日

汁椀

  お供えの汁椀温し冬座敷
 
 松飾が取れるのを待つように、母が旅立った。数え九十九歳だった。
 母は、大正、昭和、平成と一世紀に近い生涯だったから、山あり谷あり、波乱に満ちた人生に違いなかった。何といっても忘れられないのは、先の戦争で、戦火に追われるように東京から取るものもとりあえず疎開を余儀なくされ、ゼロからの出発どころか、何もかも失ったという喪失感もあって、マイマスからの再出発を強いられたことだったろう。幸い母は兄弟姉妹に恵まれ、8人兄弟姉妹の下から2番目だったから、何くれとなく声を掛けて助けてもらったと、終生感謝の気持ちを忘れたことはなかった。
 母は、自分の口を細くしても、我々子供たちの心配をする人だったし、いつもにこやかに明るい家庭を守ってくれた。
 母は、94歳ころまで鍬をもって畑を耕し、家庭菜園で四季折々の野菜を育てるのを何より楽しんでいた。
五人の子どもとそれぞれの連れ合い、11人の孫と8人のひ孫に囲まれて、穏やかな晩年だったと思う。
 
 寒い日が続く。せめて温かいものをと、霊供養膳には熱々の汁椀を供える。
posted by vino at 19:56| Comment(4) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
母上様のご冥福を心よりお祈りいたします。
どうかくれぐれもご自愛くださいませ。
Posted by asakidiamok at 2016年01月29日 09:39
asakidiamokさんへ
ありがとうございます。
私事を記事にしては、と気が引けたのですが、母を語る時に、先の戦争のことは外せないな、と常々思っておりました。折もおり、比島での天皇陛下のお言葉を耳にして、これは母に対する手向けのお言葉と受け取りました。
「忘れてはならない」この一語に尽きると思いました。
Posted by vino at 2016年01月29日 11:14
私の周辺でも、あの戦争をわずかにでも実際に知るのは両親と義両親のみとなりました。実家のやや行った裏の、すでに足を踏み入れることのできなくなくなった藪の奥には防空壕があります。かつてはすぐ間近まで近づけましたが、入ることを禁じられていたため覗くにとどめつつ、幼心に戦争を肌で感じていたことを思い出します。
母上さま、ご苦労されたことと思います。戦争の悲惨さ、その辛酸を舐めた人びとの苦労、忘れてはいけない、と本当に思います。
Posted by asakidiamok at 2016年01月29日 14:14
asakidiamokさんへ
「忘れてはいけない」そして「語り継がなければいけない」と思います。私どもの世代が、丁度その橋渡しの役目を負っているような気がします。
月例の読み聞かせ会でも、少しずつ取り上げていきます。
では、また。
Posted by vino at 2016年01月30日 09:30
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