2016年03月24日

美術展はしご

 過日、高2の双子の孫君と、美術展に行った。彼ら二人は名古屋から、当方は常磐線で東京駅まで。地方から上京する身には、東京駅までの乗り入れはありがたい。
 まず、東京ステーションギャラリーで、
「ジョルジョ・モランディ ー 終わりなき変奏」
 
 日常の中に非日常を見、非日常の中に日常を据えてみる。そこに異層が現れ異相が立ち上がる。
 それらは何のための営為か。
 画家にとって表現するとは、見たものを写し「実在」させることなどではなく、実在の中に観たものを「映す」ことであろうか。
 いつもの壺や瓶やは、少し配置を変えるだけで全く異なる世界をみせてくれる。が、しかし、そのひとは、それだけでは足りなかったのだ。それらを在らしめる光とともに、それらに降り積もる、時間の表象ともいえる「埃」が必要だったのだ。室内の極く限られた器物を描くことから、静謐のひととみられがちだけれど、そのタッチは力強く、筆に迷いなどは微塵もみられない。埃の色そのままに、灰白色や乳白色で描かれた器物たちの色相はむしろ多様だ。
 一回りして、孫君たちを待つ間一息入れていると、茂吉の歌が思い浮かんだ。

 かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな
 ほこり風立ちてしづまるさみしさを市路ゆきつつかへりみるかも

 次は、六本木にある森アーツセンターギャラリーで、
「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金期の巨匠たち展」
 
 フェルメールの、「(窓辺で)水差しを持つ女」をみる。
 フェルメールの青、ウルトラ・マリンブルーで有名な作品群の中の一点だ。女の着衣のみならず、窓ガラスや物の陰、室内の空気にさえ、ブルーが忍ばされている。当方がいたく気になったのは、壁に掛けられたタペストリーの錘り棒。透明感のある淡いブルーで描かれている。会場でもらったパンフレットにも、何冊か目にした解説書にもそれへの記述が見当たらない。(錘り棒の正式な名称とその材質、絵の具の材質などを、戻ってから主催者のTBS文化事業部の担当者に問い合わせたけれど、今のところ回答をいただいていない。)
 
 三番目は、江戸東京博物館で、「レオナルド・ダ・ヴィンチ ー 天才の挑戦」
 前記のレンブラントや同時代の肖像画家たちの画業、ダ・ヴィンチについては語る資格はない。ただただ、「衝撃的」とだけ。

 高2の孫君たちは、二人とも学校の美術部に属しており、塾に通ったりして絵の勉強をしている。春休みに来たら、ゆっくり絵談義をしようかと、頭の整理をしているところ。
posted by vino at 17:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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