2017年06月24日

今年もネジリバナ

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  捩花(ねじばな)のまことねぢれてゐたるかな  草間 時彦

朝夕の散歩道、源氏川の堤防の百草(当方、雑草という言葉を好みません)の緑の中に、淡い桃色のネジリバナが数株、あちらにもこちらにも。何を好んで身を捩るのか?と、問いたくなるけれど、この螺旋形に巻き上がる姿がこの花の決めポーズ。小さな花にも蜜があるのだろうか、花に寄る虫を目当てにか蜘蛛が糸を流し始めた。
 この季節、かがんで覗き込みたくなるほど大好きな小さな小さな花の宇宙。
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2017年04月15日

拍 手

 簡素ながら、花いっぱいの心のこもった設えの祭壇の中央で、オオタさんの遺影が微笑んでいる。濃い藍染の和服姿だった。葬儀の終わりに、遺族を代表して長男君が挨拶をした。涙で少し詰まったところもあったけれど、気丈に亡き父親の人となりを語り、会葬者への感謝を述べた。短いけれど温かいいい挨拶だった。オオタさん、長男君立派に勤めましたねと、思わず拍手をしそうになった。思いとどまったのは、葬式に拍手はふさわしくあるまいと常識が働いたのではない。どうせ他の会葬者は黙っているだろうし、一人の拍手だけではかえって淋しく響くだけだろうと瞬時に思ったからだ。
 オオタさんは、僕にとっての、仕事の師、山登りの先導者、酒飲みの先輩、女・・・いやいや、いろいろと大変お世話になった人生の先達だったので、悲しさも悲し、寂しくてならない。
 オオタさんは、いっとき「火宅のひと」になり、数年、付き合いが途切れてしまったことがあったけれど、最後まで、良い漢(おとこ)でした。
   
  すると、彼女(引用者:大原麗子)の女優生活を十数分にまとめた映像が流されたのである。華やかに、い いところを選んで編集したビデオだった。私は見ているうちに、これは映写が終ったら拍手をしようと思っ  た。孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなしての集まりではないか。よく生きぬきましたね、と拍手  してなにが悪いだろうと思った。終わった。拍手をした。私ひとりだった。なんという非常識というように見 る人もいた。平気だった。ルナールの言葉が頭にあった。

   なぜ弔辞の時には拍手をしないのだろう。(『ルナールの日記』岸田國士訳 第六巻)
 
 フランスでも葬儀には拍手はしないのだから、ただ私が軽はずみだっただけのことなのだけれどーーー。
(『月日の残像』山田太一著 新潮文庫 「ルナールの日記」より引用) 
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2017年04月06日

青い海

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 美術工芸大学に進むことになった孫君と一緒に、JR日立駅を見に行った。大学は金沢にあるので、受験の合間に「21世紀美術館」を見て感じるところがあったらしい。妹島和代さんの作品だ。
 ガラスとフレームの使い方が独特で、周囲の景色との融和も、設計のコンセプトの一つらしい。
 凪いだ海の青さが目に染みるようで遥かな沖合には白い漁船の姿も三々五々、いいお日和でした。
 シルエットは若人の姿だけれど、ふっと胸に浮かんだ歌がある。

 老人よ楽しからずや海は青しやよ老人よ海は青し青し  牧水

 この歌一首だけでも牧水が好きになってしまう。青は青年だけのものではない、「楽しからずや海は青し」と老年に呼び掛けてくれる。
 孫君の前途が青く輝いてくれることを念じながら、しばらく海を見ていた。
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2017年03月31日

菜の花

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 菜の花に春行く水の光かな  召波

「菜の花」、「春」と季重なりながら、誠にもっともな春の景を詠む。「春行く水」が眼目で、一筋の流れに乗って辺りの景も春の気もゆったりと移ろう様に、菜の花はむしろ脇役、点景のよう。
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2017年03月10日

詩を読むとは

 そのひとは、乱暴な物言いになるけれど、と断って「ふざけるな!!と言いたい」と言った。

 聞くともなしに一晩中流しっぱなしだったNHKのラジオ深夜便も終りに近い時間帯だったように思う。何時から出演されていたのか判然としないのだけれど、落合恵子さんの只ならぬ声に目が覚めた。
 福島県の罹災者、他県避難者、仮設移住者に対する、行政の、そして何より我々日本人のあまりにも情けないなさりように、強い物言いになったらしい・・・。
 落合さんがさりげなく口ずさんだ長田弘さんの詩が胸に響く。
---どこにもいない?
  違うと、なくなった人は言う。
  どこにもいないのではない。

  どこにもゆかないのだ。
  いつも、ここにいる。
(詩集『詩 ふたつ』から「花をもって、会いにゆく」)

 長田さんは、この詩集の「あとがき」に記している。
---一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。

 これを記した前の年に、長田さんの奥さんが亡くなっている。
 その長田さんも今はいない。
 長田さんの詩を読むと、大いなる、魂へのレクイエムを聴く想いがする。
 
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2017年03月09日

揺らぎ

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 北風は冷たいけれど、陽ざしは春のもの。陽だまりの温かさは格別。
 わずかに残ったコーヒーを漱ぐために湯を注いで陽にかざすと、サーバーの中に琥珀色の春が揺らめく。
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2017年02月19日

大作曲家の死を悼む

 昭和の歌を懐かしんだ途端、船村徹の訃報に接して驚いている。もとより、その人となりを語る任ではないけれど、数多くのヒット曲を生み出した昭和の大作曲家の一人として、船村節は耳に焼き付いていて、その何曲かは愛唱歌でもあってみれば、文字通り、大きな看板が音を立てて崩れ落ちたようなショックを受けている。
 昨夜のNHKラジオ深夜便では、急きょ追悼番組を組んで名曲の数々を放送していた。
 何と多くの名曲を残してくれたことか、何と多くの歌い手の才能を引き出したことか。
 謹んでご冥福を祈ります。合掌
 
 追而 願わくば、ちあきなおみがこの際、恩師の葬儀に姿を見せてくれないものかと、不遜な思いが湧いてきて・・・
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2017年02月15日

光と影

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 北風は冷たいけれど、陽射しはもう春のもの。陽だまりの温かさがありがたい。
 粉茶のガラスの容器が空いたので、資源ごみに出そうとして、ふと手が止まった。春の陽光に緑の影が美しい。また、小物のストックが増えそう。こんな可愛らしいものをどうして捨てられましょうや!?
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2017年02月06日

風の隙間

 強い風に向かって、一羽のアオサギがゆっくり翼を動かして飛んで行く。風の強弱と折り合いをつけて、上下に揺れながらまるで風の隙間を縫うように飛んでいる。
 風に逆らって飛ぶ、何かの必然が彼を駆り立てているのだろうか。何かの必然がなければ、鳥が飛翔を続けるものだろうか。
 身軽に見えて、さほどの懸命さは見えないのだけれど、彼にとっての”何かの必然”の重さは見えたように思う。
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2016年11月17日

拡大鏡

 日常使いの小さなスタンド付きの鏡を床に落とした拍子にひびが入ってしまった。割れた鏡を使い続けるのは嫌なもので、文字通り、自分が傷物に見えて気になって仕方がない。
 ホームセンターで探したけれど、今までのものと同じくらいの手頃な大きさのものが見当たらず、一回り大きなものを買うことになった。しかも、両面使いで、裏面が「拡大鏡」になっている。
 家に帰って自分の顔を映して見て驚いた。拡大とはいえ、たかだか1.3倍ほどなのだけれど、軽い凹面鏡になっているので眉間の鼻筋が凹んで見えるため、吾ながらまるで別人のよう。これでは何のための拡大なのか、自分の貧相振りが強調されたようで鼻白む思いだ。
 最近は、スマホやガラケイもそうだけれど、その他の道具類にしてもむやみに多機能をうたう商品が多すぎはしないだろうか。中には、余計なお世話だと言いたくなるものもあって、使いながら文句が出る。そう言えばWindows10もその類で、いまだに折り合いがつかずにイライラしながら「お世話」にならなければならない。
 これも、世に言う、カレイ現象なのだろうか。
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2016年11月10日

初 氷

 一昨日の初霜に続いて、今朝、初氷をみた。朝陽にさえ溶けてしまう薄い氷だった。
 ものの本には、そのような薄い氷を蝉の翅に喩えて、蝉氷(せみごおり)という、とある。なるほど、水面一面に張るというよりは、枯れた水草の茎を翅脈のようにとって、やっと出来た氷という感じだ。メダカの水鉢の冬支度を急がねばならない季節になった。
 昨年は、29日に初氷?と日記にあるから今年はずいぶん早いことだと思うけれど、?マークがついているので、初氷に気付いた日、と読み替える必要があるかもしれない。
 薪ストーブにも、今季初めて薪をくべた。

 遅れきし友の訃報や蝉氷

 淋しいことだけれど、友人知人の訃に接することが多くなった。

 年寒くして松柏の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る  『論語』
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2016年10月21日

むらさき

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 わたしね、色では紫が一番好きなの。赤、青、緑や黄が周りにあって、その中に端然と、沈むでなし浮くでもなし、それでいて際立っている。
 紫といっても、これまた沢山の色合いがあるけれど、全部、何紫でも好き。
 紫って、それから、ふ・ふ・ふ・ふ・・・
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2016年10月14日

しろき木の実

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   しろき木の実
 ひとり、糾ふものはなし。
 しろき木の実の人めくあさに
 薄く笑みする影をし偲ぶ、
 呼べど答ふる声もなし。
 しろき木の実の人めくあさに、
 細き吐息の白々と。

 ムラサキシキブの隣にシロシキブがある。何故に好んで白い実なのかいつも不思議に思う。メジロが来て、ムラサキシキブの実はついばんでゆくけれど、シロシキブの実には見向きもしない。実の色に似て味が淡白に過ぎるのだろうか。
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2016年10月13日

むらさきの木の実

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   むらさきの木の実
 枝たおやかに畳なはる
 むらさきの木の実、むらさきの
 いま、わがまなかいにあり。
 彼のひとは居ませず
 その影もなく、
 わが想いのうちに
 薄れゆく。

 ムラサキシキブの実の色が、一段と濃くなってきた。この実の紫を見るたびに、思い出す人ひとがいる。遠く過ぎ去った事どもが思い出されて、シキブの傍らに、しばし、佇む。
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2016年10月12日

サンザシ3

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    あかき木の実 
  暗きこころのあさあけに、
  あかき木の実ぞほの見ゆる。
  しかはあれども、昼はまた
  君といふ日にわすれしか
  暗きこころのゆふぐれに、
  あかき木の実ぞほの見ゆる。
 ( 北原白秋「邪宗門」)

 その人は言った。
「声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ」(「落葉松」)
 彼のひとは言った。
「赤い木の実は貴方様の慰めになりましょうか。〈 君といふ日にわすれしか 〉と歌い上げる御心に」
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2016年09月26日

ヒガンバナ

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 例年、秋の風景として写真に収めているOさんの田んぼで、脱穀作業の真っ最中だった。バックの赤い花は、源氏川の堤防に咲くヒガンバナ。地元のHさんが一人で球根を植え続けて10年、両岸の土手の両側、延べ1KMにわたって咲き競っている。

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 あたり一面真っ赤に染まる堤防から一歩下がった田の畔に咲くヒガンバナ。集合花が咲きそろう前の、片笑窪のような花を見つけた。
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2016年09月25日

廃 屋 2

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 一家が屋敷替えをしたあと、長く放置されて荒れ放題だった家屋群が解体された。東日本大震災で一部が傾き、いよいよ倒壊の恐れがあると近所の人が申し入れ、このほど解体業者の手で工事が行われた。重機を使いあっという間に更地が出現した。
 廃屋は悲しい。以前住んでいた人たちの様を思い出させると思わせて、寄るものを拒絶する何ものかの気配を感じさせる。家屋そのものの解体にはさほどの感慨もないけれど、生活雑貨の類が出てくると、それを手にするたびにある種の感傷に襲われる、と業者が話していた。
 そして、更地のまま放置される空き地もまた悲しく寂しい。いずれは雑草に覆いつくされてこもごもの思い共々すべてが覆いつくされてしまうのだけれど。
※写真は、今年2月に撮影したもの。
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廃 屋

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2016年09月23日

雨が歌えば2

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 毎朝のように、コーヒーを飲みながら一粒ひとつぶつまんでは味わっていたヤマブドウの実も残りわずかになった。栄養が行き渡らなくなったのか、小粒のまま色づくこともせずに萎びて落ちてゆくものもある。
 じっと見続けていると、ブドウの実の球体も雨粒の丸まりも、宇宙の摂理のうちにあるのが分かってくる。そこに言葉が一句降ってくれば詩になるはずだと思う間もなく、一瞬のうちに雨滴が落ちていった。
 
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2016年09月22日

雨が歌えば

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 このところ雨が多い。
 台風は論外として、雨降りは嫌いではない。
 太田裕美の歌う’九月の雨’を聞きながら、窓ガラスを伝う雨滴を見ている。
 じっと見ている。
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