2018年06月11日

たからものの入る小袋

 海の恋しい季節になると読みたくなる絵本がある。好きなビーチコーミングの話もシーグラスの話も、そして波の音もきこえてくる。 角野栄子さんと言えば、「魔女の宅急便」が有名だけれどその他にもたくさんの楽しいお話を書いてくれている。
『海のジェリービーンズ』(角野栄子・作 高林麻里・絵 理論社)もそのひとつ。

 海辺で小さな雑貨店を開いているルルナさんの店に、ある朝女の子が訪ねてくる・・・。粗筋を紹介するなどもってのほか、優しい物語と高林さんの絵は、手に取って見て、読んでいただくのが一番。

 今日はその話ではなく、その本についていた小袋の話。
 先日、定例の読み聞かせ会のために図書館から借りて読み始めたところ、裏表紙の内側に小さな袋がついているのに気づいた。事務用の封筒を加工して貼りつけたもので、中をのぞくと色とりどりのジェリービーンズが写った二枚の写真が入っている。キャプションラベルが貼られているところをみると、図書館の司書さんたちの手製のものらしい。へぇ〜、こんなことが出来るんだ〜。
 絵本を読んで、文章の余りの美しい表現に感動して、子どもたちの理解の助けにと、ウェブサイトから探してプリントアウトしたものに違いない。そういえば、借りるときに閉架の書庫から持ってきてくれた司書さんが何やら嬉しそうにしていたのと関係があるのかしら。いい本だからもっともっと読んでくださいと言うだけでなく、この小袋はあの司書さんの隠し技だったのかもしれないぞ。

 先日ビーチコーミングの記事をアップしたときに添付した、シーグラスの写真をプリントアウトして小袋に忍び込ませた。今度手にしてくれる誰かさんへの小さなプレゼントのつもり。
「シーグラス:浜辺で拾えるガラスの欠片(かけら)たち」と。メモを添えて・・・

  あ、そうだ、「閉架」では勿体ないから、絵本コーナーに戻してもらえるように頼まなくちゃあ・・・
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2018年06月04日

十日夜の月

 月を見上げて、男は独りごちる。
「この月を、あと何回見ることが出来るのだろうか」
 見慣れた月ではあるけれど、今宵の月は何と優しい形をしていることか。男は、満月よりも、三日月よりも、半月の片側が朧ににじんで見える十日夜の月が好きだ。満月から一週間ほど過ぎた更待月も好もしいものに思う。
「『月の顔見るは忌むこと』と制しけれど」。竹取物語の一節を思い出す。その昔、月の光をまともにあびるのは不吉であると考えられていた世もあったと聞くけれど、かぐや姫ならずとも、月を見ては物思いに沈む女性は、妖しくも美しく、そして脆い。

ーーこの月を、あと何回見ることが出来るのだろうかーー
 先頃届いた、若いころ心にとめた女性の訃報が胸に痛い。
  
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2018年05月29日

ビーチコーミング2018

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 久しぶりで、日立の水木浜へビーチコーミングに。
 東日本大震災後、護岸工事、防潮堤の工事が進められて、景観が一変してしまった。もともとあった防潮堤は、大人の胸の高さもなかったのだけれど震災を機に嵩上げされて背伸びどころかジャンプしても海が見えないほど高くなってしまった。工事中のところには大きな土のうが置いてあって砂浜への出口が分からない。折よく通りかかった地元の漁師さんに教えてもらい、管理小屋の後ろを迂回してやっと砂浜に出ることが出来た。砂浜もずいぶん狭くなっていて、地殻変動があったことが見て取れる。
 それでも、30分ほどの散策でたくさんの宝物(?)を拾うことが出来た。無色で半透明のものや薄い水色のものに混じって、幾つか濃い緑や青のガラス片もあって、それらを見つけると思わず「あったぁ!!」と声が出る。
 穏やかな海で、波打ち際に寄せるさざ波と鬼ごっこをして遊ぶうちに、ずいぶん遠くまで来てしまった。家人の呼ぶ声が遠い。
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2018年05月16日

野いばら

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愁いつつ岡に上れば花いばら  蕪村

「野いばら」、「花いばら」は、初夏の季語。手元の歳時記を繰っても秀逸は蕪村の句で、小庭のはずれに咲く野いばらに思いを寄せる。幽かに匂う甘い香りは、ほんのひと呼吸で消えてしまいそうに儚い。
 
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2018年05月14日

心に頼る

 私の場合、片付けると言っても整理、整頓ではないのです。物が、事が、「待機」の状態にあるようにすることなのです。
 例えば、湯沸かしポットのコンセントは抜きますが、巻き取るのではなく抜いたらそこへストンと置く。つまり「待て」の態勢。読み止しの本に栞を挟んで閉じますが、書棚に戻さずに机の上に・・・積んで置く。これも「待て」の態勢。その他もろもろ。
 これって懶と紙一重と言われそうですが、さにあらず。
「待つ」には、〈頼りにする。期待する〉(広辞苑)ともありますから、心に頼りとする・・・アレ!?
 忄に頼は、懶だ・・・
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2017年09月23日

彼岸花

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 曼殊沙華とは、梵語で「赤い花」という意とか。
「死人花」、「捨子花」、「幽霊花」、「狐花」などおどろおどろしい別名で呼ばれることもあるけれど、秋を彩る花であることに変わりはない。
 夕明りにはまだ早い時間、傾き始めた西日を花越しに透かし見るのも一興。
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2017年09月18日

「動詞が消える」

 先日の朝日川柳(朝日新聞朝刊)に、
 だんだんと動詞が消える日記帳(東京都 鈴木了一氏)
とあった。
 吾日記帳を顧みるに、思い当たる節があって膝を打った。
 動詞の向こうには行動があり行為があり、輾転と開けて行く筋道が見えるけれど、動詞の少ない日記帳には、おのずから身辺雑記への感傷が増える。それも体言止めの記述となり、われながら味も素っ気もないと嘆息が洩れる。
 出不精とは何とも禍々しい物言いで逼塞を自己正当化するようで気が引けるからあまり言わないでいる。
 井坂洋子さんの『詩はあなたの隣にいる』(筑摩書房)を読んでいて面白い記述を見つけたので、孫引きになるけれど引用させていただく。

---先日読んだばかりの『こども論の遠近法』(影書房)という鼎談の本で、芹沢俊介が話していたことが思いだされた。
「人間はどのように日常を過ごしているのか、人間関係のなかでどのようにふるまうのかといった人間の日常性をシンプルに見ていくと、“何かしている自分”と何もしないで“ただそこにいることで成り立っている自分”があるという単純な事実が見えてきます。これを“する自分”と“ある自分”と表していますが、これはウィニコットという小児科医で児童精神科医の考え方から得ています。」
 芹沢は、社会は「ある(being)」より、「する・できる(doing)」を優先させるけれど、「ある」という存在感覚の養いこそが最優先で、「する」は「ある」がしっかり作られれば、おのずから個性に応じたdoingを展開できる、というウィニコットの考えを、共感をこめて語っていた。---

『子ども論〜』に当っていないので確かなことは言えないのだけれど、成長期の子供に対する考察(だと想像される)が、「する・できる(doing)」がめっきり少なくなった、川柳氏の言を借りれば「動詞が消える」日記帳を記す日々にも及んでくるようで、慌てて「終日読書する」と、動詞を書き加えたことでした。

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2017年06月24日

今年もネジリバナ

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  捩花(ねじばな)のまことねぢれてゐたるかな  草間 時彦

朝夕の散歩道、源氏川の堤防の百草(当方、雑草という言葉を好みません)の緑の中に、淡い桃色のネジリバナが数株、あちらにもこちらにも。何を好んで身を捩るのか?と、問いたくなるけれど、この螺旋形に巻き上がる姿がこの花の決めポーズ。小さな花にも蜜があるのだろうか、花に寄る虫を目当てにか蜘蛛が糸を流し始めた。
 この季節、かがんで覗き込みたくなるほど大好きな小さな小さな花の宇宙。
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2017年04月15日

拍 手

 簡素ながら、花いっぱいの心のこもった設えの祭壇の中央で、オオタさんの遺影が微笑んでいる。濃い藍染の和服姿だった。葬儀の終わりに、遺族を代表して長男君が挨拶をした。涙で少し詰まったところもあったけれど、気丈に亡き父親の人となりを語り、会葬者への感謝を述べた。短いけれど温かいいい挨拶だった。オオタさん、長男君立派に勤めましたねと、思わず拍手をしそうになった。思いとどまったのは、葬式に拍手はふさわしくあるまいと常識が働いたのではない。どうせ他の会葬者は黙っているだろうし、一人の拍手だけではかえって淋しく響くだけだろうと瞬時に思ったからだ。
 オオタさんは、僕にとっての、仕事の師、山登りの先導者、酒飲みの先輩、女・・・いやいや、いろいろと大変お世話になった人生の先達だったので、悲しさも悲し、寂しくてならない。
 オオタさんは、いっとき「火宅のひと」になり、数年、付き合いが途切れてしまったことがあったけれど、最後まで、良い漢(おとこ)でした。
   
  すると、彼女(引用者:大原麗子)の女優生活を十数分にまとめた映像が流されたのである。華やかに、い いところを選んで編集したビデオだった。私は見ているうちに、これは映写が終ったら拍手をしようと思っ  た。孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなしての集まりではないか。よく生きぬきましたね、と拍手  してなにが悪いだろうと思った。終わった。拍手をした。私ひとりだった。なんという非常識というように見 る人もいた。平気だった。ルナールの言葉が頭にあった。

   なぜ弔辞の時には拍手をしないのだろう。(『ルナールの日記』岸田國士訳 第六巻)
 
 フランスでも葬儀には拍手はしないのだから、ただ私が軽はずみだっただけのことなのだけれどーーー。
(『月日の残像』山田太一著 新潮文庫 「ルナールの日記」より引用) 
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2017年04月06日

青い海

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 美術工芸大学に進むことになった孫君と一緒に、JR日立駅を見に行った。大学は金沢にあるので、受験の合間に「21世紀美術館」を見て感じるところがあったらしい。妹島和代さんの作品だ。
 ガラスとフレームの使い方が独特で、周囲の景色との融和も、設計のコンセプトの一つらしい。
 凪いだ海の青さが目に染みるようで遥かな沖合には白い漁船の姿も三々五々、いいお日和でした。
 シルエットは若人の姿だけれど、ふっと胸に浮かんだ歌がある。

 老人よ楽しからずや海は青しやよ老人よ海は青し青し  牧水

 この歌一首だけでも牧水が好きになってしまう。青は青年だけのものではない、「楽しからずや海は青し」と老年に呼び掛けてくれる。
 孫君の前途が青く輝いてくれることを念じながら、しばらく海を見ていた。
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2017年03月31日

菜の花

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 菜の花に春行く水の光かな  召波

「菜の花」、「春」と季重なりながら、誠にもっともな春の景を詠む。「春行く水」が眼目で、一筋の流れに乗って辺りの景も春の気もゆったりと移ろう様に、菜の花はむしろ脇役、点景のよう。
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2017年03月10日

詩を読むとは

 そのひとは、乱暴な物言いになるけれど、と断って「ふざけるな!!と言いたい」と言った。

 聞くともなしに一晩中流しっぱなしだったNHKのラジオ深夜便も終りに近い時間帯だったように思う。何時から出演されていたのか判然としないのだけれど、落合恵子さんの只ならぬ声に目が覚めた。
 福島県の罹災者、他県避難者、仮設移住者に対する、行政の、そして何より我々日本人のあまりにも情けないなさりように、強い物言いになったらしい・・・。
 落合さんがさりげなく口ずさんだ長田弘さんの詩が胸に響く。
---どこにもいない?
  違うと、なくなった人は言う。
  どこにもいないのではない。

  どこにもゆかないのだ。
  いつも、ここにいる。
(詩集『詩 ふたつ』から「花をもって、会いにゆく」)

 長田さんは、この詩集の「あとがき」に記している。
---一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます。
 亡くなった人が後に遺してゆくのは、その人の生きられなかった時間であり、その死者の生きられなかった時間を、ここに在るじぶんがこうしていま生きているのだという、不思議にありありとした感覚。

 これを記した前の年に、長田さんの奥さんが亡くなっている。
 その長田さんも今はいない。
 長田さんの詩を読むと、大いなる、魂へのレクイエムを聴く想いがする。
 
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2017年03月09日

揺らぎ

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 北風は冷たいけれど、陽ざしは春のもの。陽だまりの温かさは格別。
 わずかに残ったコーヒーを漱ぐために湯を注いで陽にかざすと、サーバーの中に琥珀色の春が揺らめく。
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2017年02月19日

大作曲家の死を悼む

 昭和の歌を懐かしんだ途端、船村徹の訃報に接して驚いている。もとより、その人となりを語る任ではないけれど、数多くのヒット曲を生み出した昭和の大作曲家の一人として、船村節は耳に焼き付いていて、その何曲かは愛唱歌でもあってみれば、文字通り、大きな看板が音を立てて崩れ落ちたようなショックを受けている。
 昨夜のNHKラジオ深夜便では、急きょ追悼番組を組んで名曲の数々を放送していた。
 何と多くの名曲を残してくれたことか、何と多くの歌い手の才能を引き出したことか。
 謹んでご冥福を祈ります。合掌
 
 追而 願わくば、ちあきなおみがこの際、恩師の葬儀に姿を見せてくれないものかと、不遜な思いが湧いてきて・・・
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2017年02月15日

光と影

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 北風は冷たいけれど、陽射しはもう春のもの。陽だまりの温かさがありがたい。
 粉茶のガラスの容器が空いたので、資源ごみに出そうとして、ふと手が止まった。春の陽光に緑の影が美しい。また、小物のストックが増えそう。こんな可愛らしいものをどうして捨てられましょうや!?
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2017年02月06日

風の隙間

 強い風に向かって、一羽のアオサギがゆっくり翼を動かして飛んで行く。風の強弱と折り合いをつけて、上下に揺れながらまるで風の隙間を縫うように飛んでいる。
 風に逆らって飛ぶ、何かの必然が彼を駆り立てているのだろうか。何かの必然がなければ、鳥が飛翔を続けるものだろうか。
 身軽に見えて、さほどの懸命さは見えないのだけれど、彼にとっての”何かの必然”の重さは見えたように思う。
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2016年11月17日

拡大鏡

 日常使いの小さなスタンド付きの鏡を床に落とした拍子にひびが入ってしまった。割れた鏡を使い続けるのは嫌なもので、文字通り、自分が傷物に見えて気になって仕方がない。
 ホームセンターで探したけれど、今までのものと同じくらいの手頃な大きさのものが見当たらず、一回り大きなものを買うことになった。しかも、両面使いで、裏面が「拡大鏡」になっている。
 家に帰って自分の顔を映して見て驚いた。拡大とはいえ、たかだか1.3倍ほどなのだけれど、軽い凹面鏡になっているので眉間の鼻筋が凹んで見えるため、吾ながらまるで別人のよう。これでは何のための拡大なのか、自分の貧相振りが強調されたようで鼻白む思いだ。
 最近は、スマホやガラケイもそうだけれど、その他の道具類にしてもむやみに多機能をうたう商品が多すぎはしないだろうか。中には、余計なお世話だと言いたくなるものもあって、使いながら文句が出る。そう言えばWindows10もその類で、いまだに折り合いがつかずにイライラしながら「お世話」にならなければならない。
 これも、世に言う、カレイ現象なのだろうか。
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2016年11月10日

初 氷

 一昨日の初霜に続いて、今朝、初氷をみた。朝陽にさえ溶けてしまう薄い氷だった。
 ものの本には、そのような薄い氷を蝉の翅に喩えて、蝉氷(せみごおり)という、とある。なるほど、水面一面に張るというよりは、枯れた水草の茎を翅脈のようにとって、やっと出来た氷という感じだ。メダカの水鉢の冬支度を急がねばならない季節になった。
 昨年は、29日に初氷?と日記にあるから今年はずいぶん早いことだと思うけれど、?マークがついているので、初氷に気付いた日、と読み替える必要があるかもしれない。
 薪ストーブにも、今季初めて薪をくべた。

 遅れきし友の訃報や蝉氷

 淋しいことだけれど、友人知人の訃に接することが多くなった。

 年寒くして松柏の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る  『論語』
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2016年10月21日

むらさき

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 わたしね、色では紫が一番好きなの。赤、青、緑や黄が周りにあって、その中に端然と、沈むでなし浮くでもなし、それでいて際立っている。
 紫といっても、これまた沢山の色合いがあるけれど、全部、何紫でも好き。
 紫って、それから、ふ・ふ・ふ・ふ・・・
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2016年10月14日

しろき木の実

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   しろき木の実
 ひとり、糾ふものはなし。
 しろき木の実の人めくあさに
 薄く笑みする影をし偲ぶ、
 呼べど答ふる声もなし。
 しろき木の実の人めくあさに、
 細き吐息の白々と。

 ムラサキシキブの隣にシロシキブがある。何故に好んで白い実なのかいつも不思議に思う。メジロが来て、ムラサキシキブの実はついばんでゆくけれど、シロシキブの実には見向きもしない。実の色に似て味が淡白に過ぎるのだろうか。
posted by vino at 09:28| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする