2015年08月17日

 朝一番に部屋の東の窓を明ける。それを待っていたかのように、蜜蜂が一匹窓から飛び出していった。まるで、これはルーティンとばかりに・・・。
 昨夜一夜、彼はどんな夜を過ごしたのだろうか、仲間も食物もない暗い夜を。
 閉ざされた部屋は、同時に闇で閉じられていたから、かえって左程の恐怖を覚えずに済んだかもしれない。
 彼には、夜が明けて光溢れる朝が訪れてもなお閉じられていることの方がむしろ大いなる恐怖であっただろうか。
 それにしても、彼の矜持が羨ましい。ただ飛翔するその一点で、彼は光に乗って自らを解放できるのだから。
 彼が後に残したものは、乾いたかすかな羽音だけだ。
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2015年07月21日

お品書き

 うな丼を食べた。
 お品書きを見て、丼の筆順をあれこれ言い合っているうちに丼が届いた。
 お品書きの品は、口が三つだけれど、二つ並べた字があるのかどうか、言い合っているうちに食べ終えてしまった。
 家に帰って大字典に当たったら、あるんですね、これが。
 口を横に二つ並べると、漢音で「ケン」、呉音で「クワン」。口を二つ合せた会意文字で、「驚き叫ぶ義」とある。
 驚いたことに、口を四つ並べた字もあって、漢音、呉音とも「シフ」、「キフ」、「ヒフ」、また訓読みで「カマビスシ」とあり、「会意。口を四つ合せて衆口即ちかまびすしき義とす」と解説がある。
 この字を、上下二つに分けて、あいだに「臣」という字を挟むと「ギン」、「ゴン」、「ガン」、「ゲン」と読むらしく、意味は、「頑固にガヤガヤと八釜しく語る義」とある。(知らなかったなぁ)
 なにやら、昨今の国会の有り様、新国立競技場を巡るドタバタを思い出してしまう。
 口直しに土用の丑の日には、うな重を奢りたいものだ。
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2015年07月17日

インク差し上げます

 そう言う次第で、買い置きのインクが不要になりました。ご入用の方、ご一報下さい。無償でお分けします。
canon製インクジェットプリンタ用 canon純正インク
7eBK =5ヶ
7e C =2ヶ
7e Y =2ヶ
PGBK9 =1ヶ

※ 「Comment」に、メールアドレスを連絡下さい。(@は、別の記号で)折り返し連絡します。
  (先着順)
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2015年07月16日

次から次と

 洗濯を終えた家人の悲鳴。
「あれーっ!洗濯物の一番上に、カメラがある。どうしてぇー!」
(えーっ、しまった、ジーパンの後ろポケットに入れたのを出し忘れたーっ!)
 アルミのボディーが無残に傷だらけになったカメラを手にして呆然。
 使い勝手のいいカメラだった、canon IXY220F。35ミリ換算で24ミリのワイドだったから、仕事柄、建物の細部や狭い室内での撮影に重宝した。
 ドライヤーを軽く当てたり、日に干したり、バッテリーの充電を繰り返したり、蘇生を試みたけれど電源が入らず動かない。
 幸い、SDメモリカードは無事だったので、撮りだめしていた仕事の写真は助かった。
 程なくして、
「スイッチが入らないのよ、どうしてぇー?」と家人の声。
(えーっ、今度は何だョ)
 炊飯器の電源が入らない。液晶画面は真っ黒なまま。コンセントを抜いたり差込んだり、場所を替えて試したけれど、駄目。
 而して、電器店へ行って、カメラと炊飯器とを買い換えた。
(悪い事って続くんだなぁー)

「あれーっ!電源が入らないぞ〜っ!」と、当方はいささか気味が悪くなった。昨日、朝からパソコンで作っていた文書をプリントアウトしようとプリンタの電源を入れたのに何の反応もない。急いでメーカーに問合せたところ、
「お客さまお使いの機種はすでに生産が中止となっておりまして、故障対応サービス期間も終了しております。恐れ入りますがお買い替えのご検討を・・・」
 頭にきて最後まで聞かずに電話を切ってしまった。
(こんなときの慇懃無礼な物言いは許せない・・・と地団駄を踏んでも喧嘩のしようもない。)
 止むを得ず、またぞろ電器店へ行ってプリンタを買う羽目に。それからつい先程まで、プリンタのインストールやらプリントアウトの方法を調べたりやらで悪戦苦闘。
 いずれも、二万円前後の買い物だけれど、痛い出費が重なってしまった。
 まだ、ある。去年の9月に乗り換えた車のボディに、2本の擦り傷があるのを見つけた。どうやらスーパーの駐車場で買い物の駐車中に当て逃げされたらしい。
「メタリック塗装だから、部分補修は出来ない。リアフェンダーをぐるっと塗装しなおすことになる。」
 かくして、先月の初めに10万円弱の出費を嘆いたばかりだったのだ。

 次の異変は、自分の身体だったりして・・・。か・み・さ・ま・・・。
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2015年05月30日

郭公(ホトトギス)

 郭公いかなるゆゑの契りにてかかる声ある鳥となるらん 西行(異本山家集)

 早口言葉の練習にある、「(東京都)特許許可局」と、なるほど聞こえなくもないホトトギスの鳴き声。
 広辞苑には、〈 往々誤って「郭公」を「ほととぎす」と訓む 〉とある。
 夏告げ鳥という別名もある通り、この季節、その独特の鳴き声でお馴染みだから、むしろ「時鳥」と書く方が判りやすい。
 西行さんは、郭公とも、時鳥とも詠んでたくさんの秀歌を残している。
「時鳥を」と詞書きして、
 
 ほととぎす聞く折にこそ夏山の青葉は花に劣らざりけれ (山家和歌集)

 異名の多い分、様々に詩歌句に詠みなされ、子規、不如帰などとも表記される。
 また、方丈記は云う。
---夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る---
 
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2015年04月15日

ひとはよし・・・

「あ、しばらくでした・・・。あ、あ、人違いでした、失礼・・・」
「鏡に向かって、何独り言いってるの?」

 面相が変わったのだろうか、認知が覚束なくなったのだろうか、はたまた鏡の中に本当に他人を見たのだろうか・・・。
 いや、人は必ず心の何処かに為り替わり願望を隠しているものだ。そして、また、影を偲ぶ想いも・・・。

 ひとはよし思ひ止むとも玉鬘影に見えつつ忘れえぬかも 倭大后・万葉集
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2015年01月02日

一病息災の事

 去年の暮れ近くから、しつこい頭痛に悩まされた。歩くたびに頭の芯に響くので犬の散歩も大変だった。痛みは次に首に凝り固まって背中を素通りして臀部と大腿部の裏側に行き、咳をするたびに電気が走る。痛みが雷光を放ちながら放射状に広がって行く。くしゃみなどとんでもない。グッとかみ殺してこらえるのだけれど、何回かに一回は爆発してしまい、その都度、激痛が走る。
 かかりつけの脳神経外科病院で、MRI,CTスキャンと、立て続けに、脳、脳内血管、頚椎、頚動脈を検査してもらった。
「特に病変、異状はないね、しばらく様子をみましょう、とDr.K。
 しばらく様子をみている間も頭痛と雷光の痛みは続く。
 くも膜下出血で手術をしたかみさんの定期検診に付き添いがてら、セカンド・オピニオンのつもりで女医のDr.Sに診てもらう。
「・・・というわけで、痛みが続いているのですが・・・」
「それって、筋肉が緊張して起こる、一種の神経痛なのよ。ストレス溜めてない?」
「左程・・・」
「自分で考える以上に、ストレスって溜まるのよ」暗に、わたしもそうなのよ、と言いたげ。
「先生、神経痛に葛根湯はどうでしょうか?ついでに身体を温める効果もあるやに・・・」恐る恐る訊ねると、
「え〜〜っ!? カッコントウは風邪の薬よ」と赤い表紙の薬事辞典の頁を繰り始めた。
「ホラ、風邪の初期症状に・・・神経痛、上半身筋肉痛、へ〜ぇ・・・」
「私の症状にピッタリですね」
「試してみる?」
「お願いします」
(その日の夕食後に、さっそく一服。や、や、や、!!しばらくすると、肩の辺りがスーッと軽くなって頭の芯に響くような頭痛が薄くなって・・・)
「それと、案外マッサージも良いのよ」
「う〜ん、気持ちが良いのは有り難いのですが、他人の身体を一生懸命、力を込めてマッサージしてくれる人の苦労を思うと、申し訳ないっていう気分が勝って、どうも・・・『かごかきの背に滝なす汗見ればかごの上なるわが心恥ず』・・・」
 途端に女医さん、のけぞって笑い出した。いつも疲れて不機嫌そうな中島みゆき似の女医さんが思い切り笑うのを始めて見た。看護師さんも笑っている。
「それそれ、そうやって自分で病気を作るのね。相手はプロよ、気にし過ぎ」
「鍼はどうでしょうか?」
「鍼も良いんじゃない、いろいろ試してみて自分に合った治療法を見つけられたらめっけものじゃない?」
 鍼灸治療には、良い治療院があるのです。以前から、腰痛で動けないときに駆け込むのですが、帰りにはピンピン、身も心も軽くなって身内から生命力が湧き出るのが実感出来るのだ。
 かくて、暮れに、水戸のさくら鍼灸院にお世話になった。鍼の効能もさることながら、院長の菅原さんとの音楽談義も楽しい。そのときは、ブラームスの弦楽五重奏をB.G.M.で聞きながら、うっとり、うつら、うつら、すっかりリフレッシュして帰って来ました。
 鍼と葛根湯のお陰で、今のところ小康状態を保っている。
 無病息災が叶わぬなら、先人の知恵に倣ってせめて一病息災でこの一年、乗り切りたいものだ。

 新しい年が、皆さまにとって幸せな一年でありますよう祈ります。
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2014年11月24日

交差する時間 - 過ぎ行くものは

時計に時を教えるのは止そう
時は過ぎもしないし立ち止まりもしない
未来に後姿を見せることもない
時は今在る形で充足している
否 充足して「在る」のが時だ
通り過ぎて行くのは
俺たちだけではないのか
立会人然としていても
いつの間にか足元の砂時計の砂が
落ち尽くしたことに気付いて
当事者であることを思い知らされる
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2014年09月23日

交差する時間 - 伏流水

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濾過されたか置き去りにされたか
突如、顔を出す過去
「生まれる前に命を絶たれた
死の記憶を保持する権利がある」

水は水の原理に従ったまで
とは言え
甦りの剛直な罪障の如く・・・
地底に響く水音は悲鳴のようだ

遠い過去にぽつりと立つ道標は
模造ダイヤモンドをその頭頂に仕込んでいる

今、僕は灯りが欲しい
思い出の中の約束を照らすために
黄泉路と並行して連なる水脈を辿るために
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2014年09月06日

玉 虫

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 仙丈庵のウッドデッキの床に、玉虫が仰向けになってもがいていた。蝉や黄金虫もそうだけれど昆虫が背中を地に付けてもがくのは命尽きる時で、木の葉の上に止まらせても程なく動かなくなり、風に吹かれて地に落ちたりしてしまう。
 玉虫を拾い上げて掌に乗せると、脚を畳んだまま動かずにじっとしている。元気なものでも玉虫の飼育は難しく、ほとんど4、5日で死んでしまうらしい。弱っているならこのまま適当な容器に入れて様子を見ようかどうしようか考えあぐねていると、愛犬が珍しそうに鼻を近づけた時、危険を察知したのか、急に動き始めて羽根を広げようとする。まだまだ生きる力はありそうだ。
 デッキの先の柿の木の葉に乗せると、しばらくもぞもぞ足元を確かめていたが、隣のアマガエルに気付いたか一気に飛び立つと、裏山のほうへ飛んで行った。
 仙丈庵の飾棚には、4匹の玉虫の亡骸が眠っているが何年たっても色が褪せることはない。
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2014年07月22日

雑木林の中の座談会

 lovelogから、こちらのサイトに移ってお世話になって以来、四苦八苦してあれこれ体裁を整えようとしましたが、思うに任せません。
 最近になってやっと、以前から時々訪問させていただいている方々のページのリンクを張ることが出来たようです?(まだ、発展途上ではありますが)
 名付けて、「 雑木林の中の座談会 」としました。辞書には、雑木林というと、良材にならない雑木の林などと説明がされていますがとんでもない。当方は、光溢れる木々の生い茂る雑木林が殊のほか好きなのであります。よって・・・

 緑萌え陽は燦々と降り注ぎ
 今日も林は賑やかです
 遠く近く聞く鳥の歌声
 下草に咲く花々には蝶が舞い蜂が飛び交う
 そのさんざめき
 甘し香り溢れ風に乗り移り行く
 足元の湖岸には青き水の呟き、囁き
 昔歌った歌の数々
 遠く見る山の端に白い雲
 鎮もれる籬のごとく
 柔らなその稜線に囲まれて
 そもこの林こそ
 麗しの我が楽園

 というわけであります。今後とも、よろしくお願いいたします。
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2014年07月11日

ことのついで

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 朝夕、愛犬と一緒に散歩する源氏川の堤防にワルナスビが群生して、年々その勢いを増している。6月の中旬過ぎに、市役所の手によって遊歩道の両側1.5メートルほどの幅で夏草が刈り払われて安心していたら、他の草が伸びる前のこの時とばかりに、ワルナスビが前にも増して勢力を伸ばして、今、花盛りだ。
 ワルナスビとは、その名の通りナスの花にそっくりな黄色の蕊を持った薄紫の花を咲かせる。一見、可憐な花のようでいて、その葉にも茎にも禍々しいほど長く鋭い棘を密生させていて観賞を許さない。
 秋になると一面棘に被われたたくさんの実をつけるのだが、これがまた曲者で、実が落ちる季節になると散歩の度に愛犬の脚に、5、6個ずつくっついてくる。トイプードルの柔らかい毛に食い込むようにくっつく。時には、肉球の間に挟まって、愛犬が痛がってびっこをひくことになる。
 だから、憎さも憎し、その実をならせるわけにはゆかないと発起して、ここ2、3日、草刈り鎌を持って散歩に出掛ける。犬のリードをかみさんと交代しては、ワルナスビを刈り払いながら歩く。
 距離にしては、500メートル足らずのコースだけれど、道の両側だから結構きつい。草刈払機なら一気に片付くのだろうけれど、散歩の度に肩に担いで行くのも大げさになるし、だいいち、堤防とは言えそこには自ずから縄張りのようなものがあって、隣接するところに水田を持つ農家がその周囲の草刈りをする暗黙の了解事項があるのだ。だから、せいぜい、ことのついでにという素振りでワルナスビだけをねらって、腕を伸ばした鎌の届く範囲のものを刈る、退治する。
 2,3日前に刈ったものは、もうよろしいでしょうかと言いたげに、早くも若芽を出している。生命力の強い草だから、当分、いたちごっこが続きそうだ。
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2014年07月07日

泡のごとく

  愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら  蕪村

 何とはなしに、ふと、かつて知り合った人の名前や顔、通りがかった街路の道筋などが頭に思い浮かぶことがある。殊更の曰くも因縁もないのに、だ。そう、泡沫が水から湧くようにとり止めもなく卒然と・・・。
 それらは、「私」のどの辺りに隠れているのだろうか。自覚する以上に、澱のように記憶の底に溜められているらしい。
 汚水から泡が立つのは、何やらが発酵してガス抜きをしているのだから、人間の脳も、ときに息をつくのは自然のことなのかもしれない。

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2014年06月24日

ギシ、ギシ

 ゆうべ夢を見た。
「義」と言う字が思い出せないで焦っている。色々書きなぐっては消し、思い出そうとするが駄目だ。どうしたことだろう。何故「義」なのかも分からないが、自分で自分に審訊している。
 うしろから男の声がした。
「そんなことをしたら義理を欠くことになるぞ」
 あっ、原因はこいつか。顔は朧で判然としない。声も聞き覚えがあるようなないような。
 そうだ、いっそこいつに聞いてみよう。
「ギだよ、ギ。ギってどう書くんだっけ?」
「ギ!?ギはギだよ。えーっと・・・」
 その男も思い出せないようだ。では、男の言う義理を欠くとは何を意味するのか、と考えているうちに突然思い当たる節が浮かんできて、目が醒めた。
 先日、糸切り歯を抜いて義歯にする打合せなど歯科医院でのあれこれがあったのだ。抜歯をするなら、マスク美人の女医さんではなく、口腔外科のある総合病院へ行こうかなどと、チラッと思ったことが頭に残ったらしい。そのときに義歯という言葉に違和感を覚えたこともあって、夢に出てきたに違いない。
 夢の中で、ギシギシ音がするほど頭を絞って「義」を思い出そうとしていたのだった。
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2014年05月27日

オニタビラコ

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 近所の公園の園路に、すっくと一本、頭に黄花を付けて立っている。辺りの草は刈り込まれているのに、どうしてこの花だけが残ったのか不思議だ。それとも、周囲の草が刈り込まれるのを待って立ち上がったのか。
野草図鑑で調べたけれど、オニタビラコのようなそうでないような、ハッキリと調べがつかなかった。
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2014年05月11日

泥の中に差込む

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 きのう10日のNHK水戸放送局の県域ニュースを見ていたら、笠間稲荷神社の神田でのお田植え祭りの模様を放映していた。
 菅笠に絣の着物、赤い襷の早乙女と、白装束の地域の男衆が手植えの儀式を行ったことが紹介されていたが、中で、「泥の中に苗を差込んでいました」との女子アナウンサーの言葉には思わず仰け反ってしまった。
 もちろん、水田には泥があり、苗は手を添えて泥の中に差込むには違いないけれど、これって、せっかくの神事のみならず田植えを表現する日本語でしょうか?
 水田は田んぼとも言い、人々が精魂込めて耕し均したもの、丹精した苗は差込むのではなく心を込めて植えるものであるはず。
 これはきっと、都会育ちの、田植えとは何か、農事とはなにかさえ知らない、それらに込められた人々の願いや思いに到らない、報道部の誰かが書いた原稿をそのまま読んだに違いない。
 なんとも貧しい日本語表現ではあります。
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2014年03月15日

青い玉

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「定量抽出された後は、奇貨といえども廃棄される」
時間もそれに似て、余った分も足りない分も手元には残らない。
感傷を既視感に擬えて、人は己の迂闊さを繕う。
物のうえに想いを託すのは、手探りの覚束なさに戦いて
仮初の一呼吸を確かめたいため。
「・・・奇貨といえども廃棄される」
人が真に畏れるのは、ことばの力だ、という。
定量が不確かなまま抽出だけが当然のごとくに行われる。
時には、抽出が省かれて廃棄のみが性急に執行される。
過ぎて行ったものが戻ることはない。
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2014年01月29日

啄木鳥か?

 最近、話し言葉で気になるのは、文章でいう句読点で切れるときに、その語尾が高く強く発語されることだ。老若男女を問わずに共通していて、中には、他人(ひと)にものを訊ねるのでもないのに、一々疑問符を付けたくなるほど高調子に話すひとがいる。自問自答どころか自問自問で話しが続くから納まりが悪く、聞いているこちらが思わずたたらを踏むようで落ちつかない。
 ふと思ったのだけれど、この現象は、パソコンで文章を打ち込むときに、「変換」で正誤を確かめその都度「ENTER」キーを叩く行為につながっているのではないのだろうか。大した内容のある話しでもないのに、一々念押しをされるように押し付けがましく、耳障りこのうえない。当方はこれをひそかに、「啄木鳥症候群」と呼んでいる。
 テレビのインタビューなどで、子どもとのやり取りを聞いていると、
「面白かった?」
「面白かった」で終わってしまう。インタビューする側、答える側とも、言葉も思いも貧しすぎて取り付く島がないようでなんともさびしい。
 幼稚園や小学校で見られる、「おはようございます」も「いただきます」も「せんせいさようなら、みなさんさようなら」も、横一列にならんだ一斉指導に終始していて、これで良いのだろうかといつも思う。
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2014年01月26日

民謡みたいなもの

 今朝の「天声人語」を読んで、詩人 吉野弘さんが亡くなったことを知った。
 当ブログの「検索ワード」で、最近になって、「祝婚歌」の数が急に増えたのを不思議に思っていた。こんな形でその理由を知ることになるとは残念でならない。淋しい限りだ。
 それにしても、なんと根強い人気なのだろうか。他の文言が見えないときでも、毎日のように、「祝婚歌」を検索される方がいる。しかし、当ブログは谷川俊太郎編のアンソロジーから引用させていただいたせいか、「祝婚歌 谷川俊太郎」と、対で検索されることが多い。この詩が、まるで谷川俊太郎の作であるかのように。
「天声人語」氏がいうとおり、「その名前よりも、その詩の方が知られていた人といえば失礼になろうか。」
 あちらこちらで引用され愛誦されるについては、著作権等が関わることもあるけれど、「これは、ぼくの民謡みたいなものだから、この詩に限ってどうぞなんのご心配もなく」という言葉が披露されてもいる。(「祝婚歌」 茨木のり子 童話社)
 当方の好きな詩を引用さていただいて、哀悼の真心としたい。ご冥福を祈ります。

 過

日々を過ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで-----




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2013年12月26日

泰山木

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 泰山木鏡なす葉に咲かむとす 水原秋櫻子

 泰山木の花期は、5、6月頃。従って「泰山木」は夏の季語になるけれど、掲句に言う「鏡なす葉」に出会い、余りの美しさにしばらく見上げていた。
 冬空を背景に、鏡のように冬陽を反射して映す葉があり、冬陽に透けて見える葉群もある。
 この季節、香気の高い白く輝く花はないけれど、なにがなし余情を感じさせてくれる存在感のある樹木だ。
posted by vino at 11:38| Comment(0) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする