2014年01月29日

啄木鳥か?

 最近、話し言葉で気になるのは、文章でいう句読点で切れるときに、その語尾が高く強く発語されることだ。老若男女を問わずに共通していて、中には、他人(ひと)にものを訊ねるのでもないのに、一々疑問符を付けたくなるほど高調子に話すひとがいる。自問自答どころか自問自問で話しが続くから納まりが悪く、聞いているこちらが思わずたたらを踏むようで落ちつかない。
 ふと思ったのだけれど、この現象は、パソコンで文章を打ち込むときに、「変換」で正誤を確かめその都度「ENTER」キーを叩く行為につながっているのではないのだろうか。大した内容のある話しでもないのに、一々念押しをされるように押し付けがましく、耳障りこのうえない。当方はこれをひそかに、「啄木鳥症候群」と呼んでいる。
 テレビのインタビューなどで、子どもとのやり取りを聞いていると、
「面白かった?」
「面白かった」で終わってしまう。インタビューする側、答える側とも、言葉も思いも貧しすぎて取り付く島がないようでなんともさびしい。
 幼稚園や小学校で見られる、「おはようございます」も「いただきます」も「せんせいさようなら、みなさんさようなら」も、横一列にならんだ一斉指導に終始していて、これで良いのだろうかといつも思う。
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2014年01月26日

民謡みたいなもの

 今朝の「天声人語」を読んで、詩人 吉野弘さんが亡くなったことを知った。
 当ブログの「検索ワード」で、最近になって、「祝婚歌」の数が急に増えたのを不思議に思っていた。こんな形でその理由を知ることになるとは残念でならない。淋しい限りだ。
 それにしても、なんと根強い人気なのだろうか。他の文言が見えないときでも、毎日のように、「祝婚歌」を検索される方がいる。しかし、当ブログは谷川俊太郎編のアンソロジーから引用させていただいたせいか、「祝婚歌 谷川俊太郎」と、対で検索されることが多い。この詩が、まるで谷川俊太郎の作であるかのように。
「天声人語」氏がいうとおり、「その名前よりも、その詩の方が知られていた人といえば失礼になろうか。」
 あちらこちらで引用され愛誦されるについては、著作権等が関わることもあるけれど、「これは、ぼくの民謡みたいなものだから、この詩に限ってどうぞなんのご心配もなく」という言葉が披露されてもいる。(「祝婚歌」 茨木のり子 童話社)
 当方の好きな詩を引用さていただいて、哀悼の真心としたい。ご冥福を祈ります。

 過

日々を過ごす
日々を過(あやま)つ
二つは
一つことか
生きることは
そのまま過ちであるかもしれない日々
「いかが、お過ごしですか」と
はがきの初めに書いて
落ちつかない気分になる
「あなたはどんな過ちをしていますか」と
問い合わせでもするようで-----




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2013年12月26日

泰山木

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 泰山木鏡なす葉に咲かむとす 水原秋櫻子

 泰山木の花期は、5、6月頃。従って「泰山木」は夏の季語になるけれど、掲句に言う「鏡なす葉」に出会い、余りの美しさにしばらく見上げていた。
 冬空を背景に、鏡のように冬陽を反射して映す葉があり、冬陽に透けて見える葉群もある。
 この季節、香気の高い白く輝く花はないけれど、なにがなし余情を感じさせてくれる存在感のある樹木だ。
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2013年08月26日

食べます

 今朝食べたレタスは、買ったときからいやな予感がしていた。青々とした葉がばらけていて、みずみずしさがなかった。案の定、千切ってサラダの皿に盛るときに一切れ口にしたら、青臭い香りと苦味が口中に広がって、レタス独特の甘味がぜんぜんない。
 アッ、湯が沸いていると気付いて、レタスをざるに入れてサッと湯通しをしてみた。青汁が出てレタスがシュンと縮こまる。ま、こんなもんか。
 チーン、もうパンが焼けたのか。次は、えーっと、フライパンでハムを焼いてスクランブルエッグをつくらねば・・・。
 ミニトマトの頭部をカットして皿に盛る。ひとつつまみ食いをする。旬を過ぎたのか皮が少し固くなっているけれど、うまいうまい。
 アレーッ、パンはどうした?トースターから出したときにはもう冷めていてバターを塗り付けても溶けない。どうする?さきほど卵焼きをつくったフライパンがまだ熱いはずだ。バターを落としてパンをこすり付ける。どうだい、バターが見事に溶けてトーストが出来上がった。ジャムを食べきったのを忘れていた。後でスーパーへ行かねば。
 ハム、卵、牛乳、パンはどれも賞味期限内でセーフ。買い置きしすぎて組み合わせを間違えると食べきれずにアッという間に賞味期限切れになる。明日の朝はご飯にしよう。だって、パックで買った納豆の賞味期限は明日だもの。米は?まだ玄米の袋を車に積んだままだったっけ?先日精米に行ったら、二基あるうちの一基が故障で戸閉めになっていた。もう一基のほうは、なぜか「富山」ナンバーの奥さんが、紙袋を二、三袋下ろし始めたばかり、長くかかりそうだったのでそのまま帰ってきたのだった。
 向うで鳴ったブザーは洗濯機が洗い終えたという合図だ。
 チ〜ン、牛乳を温めていた電子レンジの音。シューシュー音を立ててコーヒー用の湯が沸いている。
 アレッ、換気扇回したっけ?
 サァ、食べよう。ワン、ワン、ワン。アッ、そうか、愛犬のマロンの餌を忘れていた。散歩から帰って足を洗って、除菌スプレー、紙タオルシャンプーで全身を拭く。涙目の周りを専用のペーパーで清拭。ケージに入ったまま、食事を待っていたのだった。トイプードル用の餌も残り少ない。
 冷蔵庫から、野菜ジュースとヨーグルトを出して、ヨシッ、全部揃った。いただきます。
 なぜか、「食育」という言葉を急に思い出した。
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2013年07月26日

酒は緑にして

 かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ  若山牧水

 斗酒敢えて辞せず、という季節は過ぎたのだろうか。
 冷やで五合温めて五合、日に一升は飲んだときもあったという牧水にして、一合、二合の酒に逡巡する、徳利を掻き抱くように端座して己を省みる夏の夕間暮れ。
 牧水のこの歌を味わうときに思い浮かぶのが、韋荘の「題酒家」

 酒緑花紅客愛詩  酒は緑にして花紅く客は詩を愛す
 落花春岸酒家旗  落花の春岸 酒家の旗
 尋思避世為逋客  尋思して世を避け逋客と為る
 不酔長醒也是癡  酔わずして長く醒めたるはまた是れ痴ならん

 ものの本によれば、酒家の旗は青い色だそうな。緑酒とは酒の美称というけれど、かのランボーに「居酒屋みどり で」という詩があるのは偶然なのだろうか。
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2013年07月05日

冷めたコーヒー

「お茶、冷めてしまいましたね、淹れ替えましょう」

 緑茶を飲んでいて飲み残しの茶が冷めたとき、ひとは茶碗の茶を薬缶に戻して温めなおしたりはしない。 飲み残しの茶をあけてあらたに急須から注いでくれる。

 コーヒーの場合はどうだろうか。
 客用ならそのまま飲み残そうが、冷めて少し苦味が勝ったものを客が飲み干そうが冷めたままのカップは置かれたままになり、滅多にお替りとはならないように思う。もっとも、ファーストフード店のように電動のコーヒーメーカーを使用している分には話は別だけれど。
 当方は、当たり前のように自分専用のコーヒーサーバーに戻してアルコールランプで温めなおして飲む。
 うっすらと湯気が立ち始め、対流が起こる。ガラス製のサーバーに手を触れて、ア、チ、チ、となるかならないかでランプの火を止める。湯気が蒸発したままでは、いわゆる煮詰まった状態になるので、湯気が落ち着いてガラス面に滴となり、コーヒーに戻るのを待ったら飲み頃の温度の80〜85℃。コーヒーの温度も味のうち、と思いこそすれ、温めなおしのコーヒーを不味いと思ったことはない。
 行きつけのカフェに絶妙の温度でコーヒーを出す店がある。店員に訊ねたら、当然カップも温めるしコーヒーを淹れるお湯の温度も調整しているとのことだった。名のある喫茶店でさえ、最初のひと口が熱すぎることはしょっちゅうだから、そのカフェの心遣いはありがたい。適温で出されたコーヒーは、最初のひと口からコーヒー本来の旨みを味わえるし、香りも立っている。美味しいから冷めるまで飲み残すこともない。従って、「コーヒー冷めてしまいましたね」ではなく「お替り如何ですか?」となる。
 一人前を15gほどの豆で淹れるそうだから、1杯分のカップに少し余る。それを、客の飲み具合でお替りとして供するのだそうだ。 
 もちろん、温度管理は最後までしっかりとして。
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2013年05月16日

『いっしょだよ』を観る、読む

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 例によって、乱読、併読のこと。

『いっしょだよ』(小寺卓矢 写真・文、アリス館) 

 絵本の類を、胸躍らせ、ワクワク、ドキドキしながら読んだのは、いつのこと以来になるか。
 良書には、たとえそれが易しい言葉遣い、ひらがな表記でなされていても、幼児向け、小学校低学年向けなどの格付けは無用のことかもしれない。
 頁を繰れば、作者の優しい眼差しが捕らえた森の草や花のささやき、水や風の音、虫たちの歩く音や呟きが聞こえてくる。散り敷いた色とりどりの落ち葉の匂いまでが漂う。
 一読後、世代を超えて、いや国境を越えて、「いっしょだよ」の合唱が聞こえてくる、そんな予感さえ覚える。

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2013年02月18日

130217源氏川の氷.jpg

行く川波の岸に寄るなし
水面は淋し何記すらむ
淀みにあればひと時の
渦に遊びぬ

留まらず行くや行かずや
人の世の術なることや
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2013年01月17日

音 符

IMG.jpg 遅ればせながら、今年の当方の年賀状です。
 EXCELの罫線とグリップアートの音符を組み合わせた稚拙なもの。音楽をやっている従姉から、正月早々小言をもらった。
「音符の符尾は、シから上の場合は下向きになるのよ」
 でも、限られた絵柄から八分音符の符尾の向きが正規のものを探したけれど見当たらない。運気と同じで下がるよりは上がっている方が目出度いや、と描いたけれど、見る人が見るとやはり気になるらしい。
 え、四分音符ではなく何故八分音符なのかですって?だって、ほら、アレには尻尾がつきものでしょう?

「でも、『ミ・ド・シ』は、こじつけにしては面白いわね」
 年女の熟女は何かと手強い存在です。
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2012年12月12日

北 風

 いつもの散歩道である源氏川の堤防に取り付いている空き地に車両運搬車が乗り込んできて、大きな乗用型の耕運機を下ろしていた。運転しているのは、鮮やかな黄色のつなぎを着た、小柄な若い女性だった。身のこなしがなんとも小気味よいほどキビキビしている。
 堤防から田への傾斜道を勢いよく降りると、そのまま冬田を耕し始めた。乾燥している田から土埃が舞い上がる。運転席は全天候型、ひょっとするとエアコンも付いているのかもしれない。
 早い早い、優に自転車の速度を負かしそう。10aほどの田を10分そこそこで耕してしまった。もうとなりの田を耕し始めている。
 その作業ぶりを、年老いた夫婦が見守っている。近寄って話を聞くと、長年丹精込めた田作りも、今年で終わりにして、市内の農業法人に任せることにしたのだという。問わず語りに、どちらからともなく昔話になって、手でひと鍬ひと鍬耕したことや、牛を使って耕したこと、目にしている大きな耕運機の働きぶりはまるで夢を見ているようで腰が抜けそうだと、おばあさんの話。
 日が陰り始めたのも厭わずに、耕運機は田を駆け回っている。 
 老夫婦二人の頬かむりの手ぬぐいが、北風に震えていた。
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2012年11月25日

「い」の居場所

 子どもの頃、山林に咲く春蘭を「じじばば」と呼んでいた。なぜそう呼ぶのか、その姿かたちから呼んだのかどうかは知らない。
 今、孫たちは当方を「じいじ」と言い妻を「ばあば」と呼ぶ。
 一括りに「じじばば」と言われると、濁音が連なるせいか意地の悪い年寄り呼ばわりされているように聞こえる。また、「い」音を後ろにつけるようにそのまま伸ばされて「じじい」、「ばばあ」と呼ばれると、暗に強突張りな、という響きがあって、どうも耳に痛い。
 その点、「「い」音を間に挟むように「じいじ」、「ばあば」というのは、柔らかな響きがあり、孫たちの甘えも感じられて胸に納まりがいい。
 ところが、手元の広辞苑には、「じじ」、「ばば」や「じじい」、「ばばあ」そして「じい」、「ばあ」はあるけれど、この「じいじ」、「ばあば」は見当たらない。これは多分、「じじ」、「ばば」を呼ぶときに慣用句として自然発生した音便というものなのかも知れない。ことさらに辞典に載せることでもないとしたものなのだろう。
 似た言葉に、「じいじい」、「ばあばあ」があるけれど、今にもなにか燃え尽きそうなものの擬声語に聞こえて「じいじ」としては有り難くない。
 なにやら一言居士めいた話ながら、「い」の居場所ひとつ取っても、言葉とは面白いものだと思う。
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2012年11月17日

すいきんくつ

 午後から、雨が地降りとなった。
 小止みになったのを見計らって、愛犬と散歩に出た。道脇の側溝には、小さな流れをつくった雨水がザアザアと音を立てながら流れ込んでいる。見た目より降ったらしい。
 帰りに、愛犬がその側溝で立ち止まり、不思議そうに小首をかしげてこちらを振り返る。「キョト〜ン、キョト〜ン・・・」。自然が奏でる水琴窟の音。時間の経過に従って、水量が適度に塩梅されたらしい。
 犬と一緒に、かがみこんでしばらく聴き入った。
 雨が降って、水が流れ、時が流れる移ろいの、ほんのつかの間のその時だけ、何かが微笑んでいる。
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2012年10月22日

蜘蛛と蜘蛛


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 雲と蜘蛛と洒落たかったけれど、今日は雲一つない青空の一日。
 縄張り根性の強い蜘蛛が、公園の桜の木から街灯の電柱へ共同で網を張っている。同じ種類の蜘蛛なのかどうか、高いところだったので、14-42mmのレンズでは引っ張りきれない。
 左の蜘蛛の方が体が大きく動きも俊敏だ。赤とんぼだろうか、羽根だけが夕陽に光っている。
 上弦の月が蜘蛛間(くもま?)に見えていた。
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2012年09月23日

草叢

 野べに鳴く虫もや物は悲しきと答へましかば問ひて聞かまし 西行

 草刈払機の先の草叢に、蟋蟀の姿が見えた。エンジンを止めて様子を伺うと、しきりに羽根を震わせている。虫にとっては恋の季節、ここは我が棲家と言いたかったのだろう。そのまま傍らに座り込んで、蟋蟀の恋の歌に耳を傾けた。

 あはれしる涙の露ぞこぼれける草の庵をむすぶちぎりは 西行
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2012年06月22日

梅雨の晴れ間

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 梅雨の晴れ間が心地よいのは、そのシットリ感とカラッと感が同時に味わえることだ。
 先ほどまで降っていた雨があがって太陽が顔をのぞかせると、あたりの緑が一層瑞々しい彩りを見せて輝きだす。
 陽光に誘われように、地表の水溜りや木々に宿っていた露が水蒸気になってあたりに充満し拡散してゆく。
 気温があがるにつれて少しずつ空気が乾いてくると、木々の緑がひときわ冴えた色合いを見せるようになる。地温の上昇と水蒸気の気化熱によるバランスが程よく肌に合って、梅雨の晴れ間の清々しさを感じるのだろうか。
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2012年05月15日

覗く

 内視鏡を操る医師に促されて、モニターを覗き見る。
 生ハムを円筒形にしたような肉のトンネルを内視鏡の先端のカメラが奥へと進む。生白い肉の壁に血管が網の目のように走っている。
「これが盲腸の入り口ですね」
 滑らかな双曲線がすぼまって小さな穴が開いている。盲腸は若い頃に虫垂炎の手術で取ってしまったのに、大腸から分かれるところはそのまま残っているのだ。
「これから、また戻りながら慎重に見て行きましょう」
 結局、S字結腸のところに、12mmほどのポリープが一個あって、ポリペクトミで切除してもらう。
 最後に、スポンという感じで内視鏡が取り出されて、30分の検査は終わった。
 前日から当日の午前中にかけての処置で、モニターで見る腸の中は空っぽ、何にもない、きれいなもんだ。これが、いったん食物が体内に入ると、工場のようになにやらかにやらが動き出して身体の機能が働き、人体が、もっと言えば、生命が維持されるのかと感じ入り、人生観やら世界観やらのうねりが止まらない。
 先月は胃の内視鏡検査を受けたので、二月続けて自分の体内を覗き見ることになった。
 以前、当欄で「人体ドーナツ説」をアップしたけれど、改めて、人体の複雑で神妙な成り立ちと、それを突き抜けたところの単純で精緻な仕組みを思わないではいられない。
 そして、その綾の中に、生命が宿り、息づき、「わたし」がいるわけだ。
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2012年05月14日

閑 寂

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 なんにも訪ふことのない、
 私の心は閑寂だ。
(「閑寂」中原中也全詩集・角川ソフィア文庫)

 西山公園の丘の天辺にある藤棚。紫の藤の花も盛りを過ぎて、一面に散り敷いた花びら。誰もいない、訪れるもののない、公園の午後。

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 東側の斜面を降りて谷を越えたところに、一株のツツジ。シキシマやオオムラサキを見慣れた目には、あっと驚く黄金色。
 先日、ボタンザクラを見に行って、中にウコンザクラを見つけたときも、思わず立ち止まって見惚れたことがあったけれど、ツツジにこんな色があるとは驚き。

 
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2012年03月03日

戯れ唄-片割月

あれに見ゆるは片割れの
やれ 恨めしや片割れの
ほに 戯れなしゃんすな
主の顔も それ月影に
この想いのままに
ひとつになって それ雲の陰
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2011年12月18日

確率論のこと

IMG.jpg ひょんなことから、「筑波大学理工学群数学類」の入学案内パンフレットをいただいた。
 
 高校時代に習った数学は、今でも時々夢に出てくる。赤点すれすれで進級できないぞ、と数学の担当教師が仁王立ちになる。
 数学の時間に、国語や英語の参考書を開いていた罰だから仕方がないはずだけれど、理数系を目指す友人に頼んで最低限のレクチャーを受けて、ボーダーラインを浮き沈みしながら「数学」を乗り切ったことを思い出した。とはいえ、いまだに微分積分の何たるかを知らないでいる。
 
 曰く、関数解析学、偏微分方程式論、微分幾何学、代数幾何学、数理統計学・・・。
「数学」と一括りにして忌避していたけれど、パンフレットに紹介されている授業科目は、まさに数学類群で、1年から4年までで50を超えるから驚く。
 
 話が逸れてしまった。
 この「筑波大学理工学群数学類、入試案内パンフレット」のレイアウトに、「図書館で」が掲載されていると知って、二度びっくり。
「図書館で」は、当ブログにもたびたび登場願っている、とうもろこし人形作家、木村拓子さんの作品で、今は当方の自宅玄関に、ケースに納めて飾ってある。先年の作品展のあと、木村さんからそっくり贈っていただいた八体の人形群。
 3.11.のときも、その後の余震のときも、人形たちは横に転がされたりあお向けにされたりケースの中は散々だったけれど、髪も乱れず怪我もなく、今日も静かに朗読に聴き入っている。お気に入りの、最前列で膝に肘をついて目を輝かせている女の子も元気だ。
 パンフレットのレイアウトと、当方のケースの中の座り位置は少し違っているけれど、読み手の女性を見るそれぞれの視線は変らない。改めて、人形の完成度の高さにも驚く。
 パンフレットに、どうして「図書館で」がレイアウトされたのか不明だけれど、感性が響き合うとこうなることもありか、と不思議な気持ちでいる。
 同封していただいた木村さんのお便りには、次のように記されている。
「・・・今年の漢字が絆、昨年は繋でしたか? みんなどこかで一本の糸で結ばれているのですね・・・」

 そういえば、高校時代の数学Tの教科書が、なぜか一冊、書架に収めてある。この不思議な出会いと繋がりは、数学でいう数理論理学、群論、確率論の範疇に適うものなのだろうか。
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2011年12月04日

・っかり

 昨日、「うっかり」して「がっかり」した記事を書いたら、妙に、この「・っかり」が気になって国語辞典やらを調べてみたけれど、はっきりしない。
 当方が思いついた「・っかり」を列挙すると上記の他に、「きっかり」、「しっかり」、「すっかり」、「ちゃっかり」、「どっかり」、「ほっかり」そして「ぽっかり」の九つ。辞典で見つけたのが、「ずっかり」と「ぼっかり」の二つ。
「うっかり」は「うかり」の促音化、とあるだけで、他は各語の使用例や意味らしきものの説明だけで文法上の説明が見当たらず、ますます謎が深まってしまった。
「く・あり」が転じたとも取れるものもありそうだけれど、どうだろうか。
 面白いのは、この「・っかり」の前の「う」や「し」や「す」などで、一音の語にもかかわらず、文法上は大変な活用形があったりして、なかなかの曲者なのだ。
 曰く、助詞、助動詞、格助詞、間接助詞、終助詞や接続助詞・・・。
 特に「し」の項を引いて納得したことがある。以下、「辞海」(金田一京助編纂・三省堂)から引かせていただく。

---[動詞「する」の中止形「し」の転じたものか]活用語の終止形を受けて、@並べあげて、下に言いつづける場合に用いる。A否定の推量を表す語の下について、相そむく結果を伴う条件を表す。---
 
 この説明を読んですぐに往年のサッカーの名選手、中田英寿を思い出した。彼は、試合後のインタヴューなどで、さかんに、この「し」を連発していた「し」、以来、最近のサッカー選手に至るまで、まるである種サッカー用語のごとく、「し」によって話をつなげてゆく。長谷部しかり、長友しかり、本田しかり。そのほかの選手もそうだと思うし・・・。それはまさに、サッカー試合でのパス回しに似ている。トラップによって球を止め、味方の足元に繋げる。あちらと思えばこちらへとフェイントで相手をかわし、意表をつく結果に導く。一つところに止まることがないし・・・。
posted by vino at 15:46| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする