2011年11月14日

空なる・・・( 断想 )

 遠いもの、それは空間なり距離なりの大いさであり、時間の、多くは過ぎていった透明な計り知れないものの全てを包括してなお余りあるもの。
 うらうらと浮かぶ面影が、湿った泥土の匂いを漂わせながら、いくつもいくつも、一重に二重に、いや幾重にも重なって、うららうららと遠ざかってゆく。
 掌に残るものは、今この瞬間の、だから何者かの揺らめく灯影。
 たとえば、水の流れに喩えれば却って心安らぐ。
 遠いもの、それは今、目前にあるものの遺影の多重映しか、それらの崩壊するときに轟(ほめ)く音、消えてゆく音の重なり。
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2011年10月21日

5374

 四桁の数字のあとに、「〜運動」とある。年号にしては大き過ぎる数字だし、と考えて、はたと思いついた。「ごみなし運動」だ。だけど、田んぼの中にぽつんと、さびしそうな看板だった。
 当方は、こんな言葉遊びや語呂合せが大好きで、車を運転していても、前の車のナンバープレートが気になって仕方がない。・・・これは両面待ちか、片面か、穴待ちに・・・などと、いつの間にかマージャン牌の数字合せをしていたり、「・7-53」、「・7-58」や、とっておきの「16-82」や「12-34」などのナンバープレートの車に会ったりすると、「いいねえ、いいねえ」などと独り言を言ったりする。もっとも最近は、別料金を払ってお気に入りの数字を手に入れることが出来るらしいから、以前のような偶然のラッキー感はないのだけれど・・・。

 「7−11」という名のコンビニエンスストアーでは、朝一番に、社員やパート従業員が近隣のごみ拾いをする。隣接する道路の数だけ、ひとつ先の信号まで、ビニール袋と大きな火バサミを持って拾い歩く。お蔭で、その近辺の道路はきれいなままで、清々しささえ感じる。
 ある日、信号で止まっていると前の車の助手席の窓が開いて、若い男が件の制服の女性に何か話しかけている、と思ってみていると、ビニール袋を差し出した。車内のごみを袋に入れて渡したらしい。その女性は、ニコニコ笑って袋を受け取ると、そのまま自分のごみ袋にそっと入れた。唇の動きから、「ありがとうございました」と言ったらしい。そして丁寧に一礼までしている。車の男は、信号が変わったからか会釈もせずに走り出した。
 その車のナンバーは、「・・-39」だった。これを何と読み替えます?「サンキュウ」では癪に障るから、「惨苦」と読んで置いた。
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2011年10月01日

何虫?

P7260372 (450x293).jpg 羽音に振り向いたら、仙丈庵の窓の桟に見慣れない昆虫が忙しげに歩き回っていた。羽根で隠れて見えないのが残念だけれど、胴体は緑青色に輝いている。手持ちの昆虫図鑑には見当たらない羽虫。こんなきれいな色をして、そも何者?
アップで見ると窓の桟があまりにも汚いので、羽虫が飛び去ったあと慌てて拭き掃除をした。夏には気づかなかった汚れが、秋の陽射しには浮き立って見える。
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2011年08月30日

病高し

「お久しぶり、少し太った?」
「タバコも酒も止めたからね。」
「!?」
「いや、ドクターストップでね。胃の手術の時には、医者が首をかしげて、三ヶ月かな、と言われた。そんなに入院が必要ですかって訊いたら、言い難そうに、『いや、余命が・・・』だってさ。」
 久しぶりで小手間を頼んだ馴染みの大工さんが、他人事のように言う。術後二年半たって身体がむずむずしてきて、無性に仕事がしたくなってたところだったから、良かったよ、アハハハハ。
 退院祝いと古稀の祝いを併せてしてもらったと言った。今年で七十三、四になるのだろうけれど元気なものだ。
    
    ☆

「分水嶺ですね、良くも悪くも、症状が急変するかもしれません。」と、暗に心組を促された。
「重症急性膵炎です。難病認定になりますから、高額医療の手続きをされたらいかがですか。」
 脂汗をかいて顔色が悪く、ぐったりしている。熱中症かと、慌てて最寄の病院へ連れて行った。
 今年九十四歳になる母は、ここ何十年と内科の病気で病院にかかったことがない。風邪も引かずにいたって元気にしていたので、泡を食った。
 幸い分水嶺からの流れが良いほうに傾いたようで、入院一ヶ月足らずで退院の目途がついた。

    ☆

「この間○○病院へ行ったら、△△君に会ったよ。胃を切ったらしいよ。」
「□□君、脳梗塞で倒れたってさ。奥さんも何年か前に、何かで倒れたはずだから大変だろうな。」

    ☆

 このところ、知り合いに会うと近況報告は、当人や友人の病気の話ばかり。
 分水嶺とは、流れ出したら戻れない・・・などと想いが巡る。
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2011年07月31日

郵便ポスト

P7270381.JPG 買い物ついでに投函しようと持ち歩いていて、うっかり車の中にそのままにしていた封書を思い出した。
 信号で止まった街角で、「こちらへどうぞ」と、昔懐かしい郵便ポストに話しかけられたからだ。停止したすぐ左手の民家の軒先を借りるように、その郵便ポストは立っていた。
 
 近くによって、見惚れてしまった。なんとも愛嬌のある、それでいて凛とした趣のある姿をしている。
 ポストが、一本足の四角い箱型に変わってどのくらいになるのだろうか。味もそっけもない。
 最近、手紙を書く人が少なくなった原因はとやかく言われるけれど、郵便ポストの形にもその一因がありはしないだろうかなどと埒もないことを考えてしまう。正面から、脇から、背伸びしてその頭頂部まで、しげしげと眺める。
 その昔、コカコーラのガラス瓶の容器は世紀のデザインと評判をとった、と聞いたことがあるけれど、この丸型の郵便ポストも、その細部に至るまで実によく設計、デザインされている。登場した時には、これからの郵便事業を背負って立つ雄姿と見えたに違いない。
 レトロな街並みに合わせて、などと何基かが残されているようだけれど、なんと姑息なことか、ガラス張りの超高層ビルにだって負けない存在感がありますよ。
 あ〜、またあのポストまで行って投函するために、あの人に手紙を書こう。
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2011年06月28日

< あしあと >の復活

「LOVELOG」から < あしあと > がなくなるって本当?」
「なんか、つまらないね」
「そうだよね。訪れる時間、訪れる季節、訪れる時の心持を、ちょっとエスプリを利かせて・・・」
「そうそう、さり気なく、挨拶の代りに出来たよね」
「短い中に、その人の思い入れがあったりしてね。案外、その人となりが仄見えたりして面白かったよ」
「どうして、いい企画をなくすんだろうね」
「さあ。そんなに大容量を要するとも思えないし、手間がかかるとも思えないしね。何か、トラブルでもあったのかな」
「観光地などのガイドさんの決めジョークがあるよね。『皆さん、ゴミはここに置いて行かずにお持ち帰りください。それと、こちらの土地の草木を折ったり採ったりしないでください。置いていっていいのは、足跡、持ち帰っていいのは、思い出です』って。案外好きなんだ、このフレーズ」
「< あしあと > も残せないとなると、なんか殺風景というか、手持無沙汰というか・・・」
「手ぶらでお散歩も愛想がないね」
「もっとも、最近、さり気ない挨拶、会釈をする人が少なくなったね」
「年配の方が、すれ違ったり、ふと目があったりしたときに、笑顔で軽く会釈してくれるのって、あの年代の人たちには、きっと何時も感謝の気持ちが心の底にあるんじゃないかな。言わず語らず、『お陰さまで』とか『お互いさま』とか、あるんだよ心の中に」
「< あしあと >、復活してもらおうよ」
「そして、小さく会釈して、小さく笑おうよ」
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2011年06月27日

こひしたよわ

 手元の古語辞典をぱらぱらめくりしていたら、面白いことに気付いた。
 五十音の頭の文字の、「あ」から「か」、「さ」、「た」、「な」まで、一語の代名詞として揃っていて、夫々、一人称、二人称、三人称が見事に表現されている。
 和歌にしろ俳句にしろ、字余り字足らずを補うために、呼び方を変えたり、接頭語や接尾語、装飾音などをつけた独特の言い回しが生み出されてきたお陰で、形がすっきりと整って、余韻、余情が増幅され名歌、名句がたくさん詠まれた。
 一語たりとも疎かにすべからず、を地でいっているわけで、日本語の懐の深さを改めて認識させられる。
『例解古語辞典』( 三省堂/第二版 )から引用させていただく。
 
「あ」:[吾・我]自称。わたし。わたくし。
「あ」:[彼] 遠称。あれ。
「か」:[彼] 遠称。あれ。あちら。
「こ」:[此・是] 近称。これ。ここ。
「さ」:他称。そいつ。それ。
「し」:中称。多く、前に述べた事物をさす。それ。
○「し」:[此] 近称。これ。こちら。
「そ」:それ(其れ)に同じ。
「た」:[誰] 不定称。だれ。たれ。
「な」:対称。目下に対して用いる語。おまえ。
○「ひ」:[彼]遠称。あれ。あちら。
「よ」:[予・余]自称。わたし。我。
「わ」:[我・吾] 自称。わたし。

 並べ替えたら、「ああかなし さそこひしたよわ( ああ哀し、さぞ恋した夜は )」と、意味深な響きになった。

※ ○印は、「此岸、彼岸」から連想して、当方が勝手に加えたもの。文法上は誤りかもしれません。
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2011年05月26日

たまゆらの( 断想 )

「私」とは、自己防衛から始まる。守ろうとする「私」、囲い込もうとする「私」。「私」は、その発露するところの現象である。
 言葉で考えるという、そうだろうか。「考える」ということは、我々の脳は常に「その状態」にあって継続しており、調律されたピアノの鍵盤を弾くように、言葉が「その状態」をなぞったり、行ったり来たり、出たり入ったり、上下左右、右往左往する、その玉響のメロディー、儚い閃きに過ぎないのではないだろうか。
 魂揺らの・・・。
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2011年05月09日

花 蜂

 P5040099.JPG
 開け放した小屋の窓から、一匹の花蜂が入ってきた。丸々太った身体に小さな羽根。だから飛行を続けるためには、彼は懸命に羽根を振動させなければならず、それが大きな羽音となる。自分でうるさいと感じないのだろうか。 
 生物は進化するという。さすれば、もし自らの羽音が騒音とならば、如何にしてもそれを小さくさせるべく彼の先祖たちは奮励努力したに違いない。あるいは逆に、それを威嚇音としてでも生かせると思ったか。
 彼らの無頓着さは何を物語るのだろうか。
 彼は、ひたすら本棚や天井のあちこちを探索している。見ているこちらは、その羽音のせわしなさから彼がパニック状態に居るに違いないと、慌てて反対側の窓を開ける。小首を傾げた彼は、当然の定まってある飛行経路を往くとばかりに、迷うことなく、慌てることなく、空気の流れを伴って出て行った。
 一瞬空いた空寂の中に、鶯、時鳥、蛙の声が、一斉に湧き出してきた。
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2011年04月14日

ショウジョウバカマ

 ショウジョウバカマ.JPG 猩々袴咲くやそぞろの神がゐて  森田公司
 
 散歩道を歩いていた。
 整備された小さな公園の、小高い丘への階段道をゆっくり歩く。頂上で小休止して遠くに霞む筑波山を眺めわずかな展望を楽しんでも二十分足らずの行程だ。
 突然方向が定まらなくなって眩暈か、と思わず手すりに手をやってやり過ごす。あー、今日もまた余震だ。
 揺れが収まってから瞑った目を開けてみると、手摺小の足下に、ショウジョウバカマの小さな群生があった。
 そぞろの神よ、なにとぞ、この大地の怒りを鎮めたまえ。
 


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2011年04月03日

道の因る無し

[漢]古詩  ( 無名氏 )

去者日以疎  去る者日を以って疎く
来者日以親  来たる者日を以って親し
出郭門直視  郭門を出でて直視すれば
但見丘與墳  但だ丘と墳とを見るのみ
古墓犂為田  古墓は犂かれて田と為り
松柏摧為薪  松柏は摧れて薪と為る
白楊多悲風  白楊悲風多く
蕭蕭愁殺人  粛粛として人を愁殺す
思還故里閭  故里の閭に還らんと思ひ
欲帰道無因  帰らんと欲するも道の因る無し

蛇足:未不得言以自語 いまだ自らの言葉を以って語るを得ず
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2011年02月23日

春の日の夕暮 ( 断想 )

 今日、一冊の詩集を捨てた。
 手垢にまみれ、折り返しやら書き込みやらで、すっかり傷付けてしまった。おまけに、綴じ込みがほつれて頁が飛んだりしている。
 詩集は手ごろな文庫本だったけれど、それらの所為でだろうか、何とも言えぬくらい「重たく」なっていた。
 奥付には、今では珍しくなってしまった、著者の朱肉の印が捺してある。随分、版を重ねた詩人だったから何回も使われた印鑑の縁は欠けてしまって、中の姓名がすまなさそうに宙に浮いている。
 印鑑の縁どりは、丸か小判形か四角かは問わず、無いと納まりが悪く、大切な意匠と知れる。
 書き込んでしまった頁を破り、折り返した頁はその皺を伸ばし、擦り切れそうな糸栞は丁寧にたたんだ。
 今日、一冊の詩集を焼いた。一度、屑かごに捨てたものを拾い出して、薪ストーブにくべた。
 ささやかな、焚書の煙が宙を行く。

 トタンがセンベイ食べて
 春の日の夕暮れは穏かです
 アンダースローされた灰が蒼ざめて
 春の日の夕暮れは静かです
(『中原中也詩集』「春の日の夕暮」河上徹太郎編・角川文庫より)
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2011年02月06日

もう一つの時間軸( 断想 )

 母親の胎内にいた時を思い出す、と言ったら奇異に聞こえるだろうか。
 3歳未満の記憶を、人は持たないと言われる。それは、得も言えぬ温もりと、十全に張りつめた充実感、存在を言祝ぐ霊妙な状態を覚醒、追慕、意識させないために仕組まれた大いなるものの意思に違いない。産まれた時に赤児が発する泣き声は、この世に産まれた喜びを表わす産声と美化されて呼ばれるけれど、その記憶を、誕生の瞬間に失わざるを得ない絶望から出る‘ことば’なのではないだろうか。そこに戻るのは止しなさい、いつまでもそれらに拘っていてはならないとする、天の配慮なのかも知れない。
 人は無明に戻ってはならない。産まれたこと、それ自体が無明なのだから、と。
 寵愛の時は終わった。
 人は、記憶を断ち切られた瞬間に産まれ、遠い昔に断ち切られたはずの記憶の世界に入った瞬間、繋がったその時に死ぬ、そういうことなのではないかと思う。
 原罪を負うとは、禁断の果実を口にしたことのみならず、羊水の揺籃における至福の時を知っている、その記憶にこそあるのではないだろうか。
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2011年01月08日

旅立った者へ ( 断想 )

 -『詩集 裸足』 金子彰子(私家版)を読んで -

 袋に折られ、ステイプラーで閉じられただけの、裸の、無垢の詩集が届いた。
 詩人は、無言のまま13篇の詩の中に潜む。

 詩集のタイトルに、おさめられた詩の1篇が立ち現われるとき、ひとはそれに捕捉されざるを得ない。成否はともかくとして、思い入れなくして詩集がそのように編まれることはないからだ。
 しかし、同時に、その経緯を憶測しても意味のないことにも気付かされる。詩集は、編まれた時点で、すでに「事後のこと」となり、言わずもがな、言葉は自立して起っている。それらに、どれほど熱い慈愛が満ちていようと、どれほど深い祈りが込められていようと、あるいは、責念、後悔、哀惜の情等々が託されていようと、言葉は、前後左右、天上地下、隠れ処もなく素のままに佇立せざるを得ない。
 集中、「2004.3.19」、「君に問う」の2編を読んで、「君」に寄せる詩人の愛を思った。
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2010年10月25日

クロスワードパズルから

 通販のカタログなどにある簡単なものから、新聞や雑誌のちょっと捻ったものまで、クロスワードパズルなら何でも解かずにいられなくなり、何処やらの待合所の週刊誌にでも目に入れば答えを書きこみたくなって困ってしまう。月遅れの手あかのついたものならともかく、書店から届いたばかりでインクの匂いのする最新号だと、むずむずする気持ちを抑えるのに苦労する。 
 そんなある日、ある通販のカタログにあったパズルに聞きなれぬ文言を見つけた。「ヨコのカギ」のひとつに、

○かぞいろ・両親⇒(回答)ふうふ

 あれ!?古文の授業では、「かそいろ」、「かそいろは」などと習った覚えが・・・。
 で、古語辞典に当たってみると、<(古くは清音)父母。両親。>とあり、その例文として、今昔物語集巻三十、夫死女人後不嫁他夫語第十三(をうとしぬるにょにんのちにほかのをうとにとつがざること だいじゅうさん)にある和歌が引かれている。

 カゾイロハアハレトミルラムツバメソラ
          フタリハ人ニチギラヌモノヲ

 夫を亡くして、老いた父母から再婚を勧められた娘が詠んだ歌という。
 歌意は、燕のような鳥でさえ二羽の雄とは夫婦の契りは交わさないものを、まして人のわたしが二夫を持つまいと思う心を、父や母は哀れと思って下さるでしょう、というもの。
 これを、貞淑の鑑とみるか哀れな女心とみるかはともかく、歌に続く本文には次のように記す。

 此レヲ思フニ、昔ノ女ノ心ハ此(かく)ナム有ケル。近来(ちかごろ)ノ女ニハ不似(に)ザリケルコソ。云々

 今も昔も、「昔の・・・」、「近頃の・・・」という言い回しは、普遍であり不変のものらしい。
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2010年10月22日

そっちかぁ!?

 小2の孫君は、友だちの親たちから、「自由人」と呼ばれている。
 友だちの中にいても、のほほんと、自分ひとりの世界を持っているからかな。

「そんなにズボン下げてどうしたの? お尻やおチンチン見えちゃうよ」
「だって、コウコウセイのお兄ちゃんたち、こうしてるよ」
「それ、格好いいと思うんだ」
「んー、でも、そのお兄ちゃんたちは必ず女の友だちと手をつないで歩いているもん。肩組んだり・・・」
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2010年10月15日

黒澤止幾子さんのこと - 再び

 十一日に其内の艱難は言うもさら也。
 評定所へ御呼び出し、所司方七人の中程にはさみて呼び出さる。
其御方々には長谷川惣衛門、同隼見、吉見長左衛門、藤森香介、吉田寅次郎、勝野杢之輔、同孫三郎、外に旅人宿預相成りし、大野村甚エ門、都合此の十人、此の日御聞き直しにて、早朝より出でけり、牢に控へしか、夕まぐれ迄呼び込みなかりければ、寒さは身にしみじみと物も言われぬ程に成りける。

 過日紹介させて頂いた、黒澤止幾子さんの生涯が映画になるらしい。今月10日、読売新聞朝刊の県版に取り上げられた。
---江戸末期から明治時代にかけて活躍した女性教育者・黒澤止幾子(1806-90)の生涯を描く映画「もっと学びなさい(仮題)」の製作へ向けた準備が進められている。10月からは県内在住者を対象にオーディションもスタートする。---とあり、城里町にある生家の写真も紹介されている。

 
黒澤止幾子さんタ録.jpg 冒頭の文は、『実録 紀行、京都捕之文 上・下』から引用させて頂いた。この本は、「黒澤止幾子の生家を守る会」会長の大澤敏男さんが発行したもので、読み下し文は、会員で長らく黒澤止幾子さんの文籍を研究、解析されていられる後藤則男さんの力作。後藤さんは、黒澤止幾子さん関係だけでも10冊に余る読み下し、解説本をすでに出され、いずれも私家版なのが惜しいくらい貴重な成果を挙げていられる。
 引用文中、吉田寅次郎とあるのは、皆さまご存知の吉田松陰のこと。

---二十七日落着其の日 右之十人也御呼び出し、仮牢に控え居る 吉田寅次郎殿壱人御呼び込みと相成る、声高に口書読まれ「不届きに依って、死罪申し付ける」と高らかに聞こへける。---

(この項続く)
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2010年08月24日

ラッキョウ

 薄物を剥いで、単衣を奪うように脱がせると、白く輝く瑞々しい柔肌が現れた。

 いえいえ、ラッキョウの話です。
 土付きの地もののラッキョウを手に入れたので、根を切って首を整え、さっと水洗いをして、あとは家人に任せる。
 市販のラッキョウ漬けはどうしてあんなに甘いのだろうか。ラッキョウ本来の香味も歯触りも損なわれてしまう。そこで、当方は、専ら塩漬けのみ。
 店頭にも姿が見えなくなったから、今年のラッキョウ漬けは、今回で終わりだ。

 熱々のご飯に、黄身の濃い地卵を掛けて、フウフウいって食べる、卵ぶっかけご飯。これに、塩漬けのラッキョウとシジミのみそ汁があれば、何も要らない。
 他に当方の大好きなご飯は、この夏、孫軍団からひんしゅくを買ってしまったけれど、ミルクライス。何のことはない、熱々炊き立てのご飯に牛乳を掛けるだけ。常温の牛乳が、ご飯の温度を程良くなだめてくれる。
「げえぇー」孫たちは見ただけで避けて通って行く。

「いいも〜んだ」、美味しいご飯は、ひとり味噌っかすで味わっても美味しいのです。
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2010年07月31日

何となく


シラサギ.JPG 「あ〜、7月ももう終わりよ」
「大丈夫だよ、8月が来るさ」
「!?」(大丈夫って、何?)

「花って、何なのかしら?殖えるだけなら、根を這わせて行けばいいはずよね」
「性に目覚めたってことかな」
「分からないことがあるの。花の蜜って、あの味、誰が決めたのかしら。花自身?寄ってくる虫?」
「このへんで如何ですか、なんてブレンドして?」
「きっと、味利き、テイスターがいたのよ」
「進化って、偶然と当然と必然と、えーっと、蓋然から起こった?」
「奇跡って、それらが一度に、ある時突然起こったこと・・・か」

※シラサギが飛び立つところ。残念、慌てて望遠セットが間に合わずに半ピン。
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2010年07月20日

夕明け

 夜明けがあって朝明けがある。一方、夕暮れはそのまま夜へと移ろうばかり。
 果たしてそうだろうか。

 
夕明け.JPG 日長の夏の一日も、日暮れの時間は刻々と早くなって行く。
 この頃の季節、日の出は日に日に1分ずつ遅くなり、日の入りは1分ずつ早くなる。日によって前日と同じ時刻ということもあるけれど、目に見えて昼間の時間が短くなって行くのが分かる。
 夕暮れ時、日没の少し前の頃合いに、空がそれまでより明るくなることがある。
 夕焼けのように茜に染まることはないけれど、西の空に拠った雲が黄色味を帯び瞬時黄金に輝いて薄れて行くとき、「夕明け」とでも言うべく、暫しの華やぎを見せてくれる。
 西の空が明るいと、明日への希望が約束されたような安らぎも覚える。
 浄土は何も西方に限ったことではなく、東にも南にも北にも遍く想定されていたと聞くけれど、今日一日の来し方を想い明日の行く末を念ずるには、「夕明け」の一瞬がその時なのではないだろうか。

※ 徒然草第二十段:某(それがし)とかや言ひし世捨て人の、「この世の絆(はだし)、持たらぬ身に、ただ、空の名残(なごり)のみぞ惜(を)しき」と言ひしこそ、真(まこと)に、然(さ)も覚えぬべけれ。
とあるのを見つけて嬉しくなり、慌てて追記す。2014.5.17 『徒然草』(島内裕子 校訂・訳 ちくま学芸文庫)より引用。
posted by vino at 12:10| Comment(2) | 独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする