2016年01月18日

おはなし会

 朗読の勉強会、常陸太田図書館友の会の発表会があります。
 
 第10回「大人のためのおはなし会」
 とき:1月24日(日) 午後1時30分
 ところ:常陸太田市立図書館 2階集会室

 朗読グループ 図書館友の会のメンバーによる、おはなし会です。
 物語から、昔話、民話、詩、メンバー自作のエッセイまで、さまざまなお話しを用意してお待ちしております。
 ぜひ、お気軽にお越しください。
 
 ゲスト朗読:ないとう きみこ さん(元茨城放送アナウンサー)

 当方は、以前当ブログにアップした、「風の盆異聞ー駅はずーっと坂の下」をアレンジして朗読します。
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2012年10月01日

虚 点(断想)

 ひとつの事が了って、つぎの事がまだ始まらぬ。そのあわいの淵に佇んでひとは思惟的になる。
 ひとりの詩人のひとつの詩を見つけて、その詩は彼の詩人の「死の何年前に詠まれた」と言う。その詩人の死の機縁と詩の内容を計って後の世のひとが言い勝ちな感傷だ。
 死をそのように忖度しては憚りもあろう、彼の詩人の預かり知らぬことだ。
 その詩は、彼にとっては「常に現前していた」はずだからだ。
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2012年04月22日

青い汀(詩想)

 空に線を引いたのは誰だったろう。海に線を引いたのは誰だったろう。
 見えないものを見えるように、見えるものを見えないように。
 ひとは、昔、海から生まれたものの子孫だと言う。波に揺蕩ながら仰ぎ見た頭上に、空とは知らず、もうひとつの海を見たのだろうか。
 同じ青さの中に、求め行く道筋を見定めたのかもしれない。
 青の中にいて、赤い血潮を囲い持つ己の素性を知ったとき、ひとの祖先はどれ程驚いただろうか。
 海を出たその途端、青くない己の姿を知ったとき、ひとの祖先はどれ程狼狽しただろうか。
 
 海から出たひとの祖先の足跡は、汀の波に洗われ、風に吹かれ、砂浜から消えた。
 道中が不確かなまま、ひとは戻れずにいる。

 空に線を引いたのは誰だろう
 海に線を引いたのは誰だろう
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2011年12月12日

会話T

「そんなことを言われると、僕は毀れます。」
「毀れるって、形のある人の言うことよ、きちんと、ある形の。」
「形のある人、ある形の人・・・。でも、僕毀れます。」
「毀れちゃえば・・・。」
「いっそのこと、透明体になります。」
「そうね、その手があったわね。それから毀れる?」
「いえ、永遠です。水か空気か、ある形のガラス体かガラス体のある形か・・・。」
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2011年07月08日

少年と蝶( 断想 )

 蝶を網で捕えたのは、成り行きでそうなってしまった、と少年は思った。そのことが澱のように心に残った。もしも、蝶が少年を揶揄するように飛翔せずに少年の目を少しの間楽しませ、その美しい姿形を見せてくれたなら、少年は網を使わずに飛び続ける蝶を観賞するだけで満足できたかもしれないのだ。それは、瞬きの間の短い時間でも事足りたに違いない。
 しかし、蝶の動きは少年にとっては気忙し過ぎた。少年は心休まらないと思った。
 
 少年にとって、補虫網は心棒だった。
 野原を駆け回る時、少年はいつも不安に襲われた。草原も空も、少年には広すぎた。殊に、風のそよとも吹かない午後、叢にじっと見据えられ、蔓草に絡め捕られる恐怖を覚えた。雲のない青空は、天空奥深くまでくろずんで、少年を吸い込むかと怯えさせた。
 それでも、少年は、草原と青空を好んだ。そこには、解放されていながら、なお、捕えられているような濃密な時間と空間があった。少年は、訳もなく捕虫網を振り回して空気を捕え、青空を掻いて過ごした。
 そんな少年の心に起った小さな齟齬が、少年に網を使わせ蝶は捕えられた。戸惑った少年は、蝶の絶命など想定していなかったため、翌朝、虫籠の底面に横たわる蝶を見て、軽い眩暈に襲われた。
 散らされた鱗粉が汚らしいものに思え、蝶の断末魔の足掻きが見えるようだった。
 蝶の亡骸は静かに横たわっているのに、虫籠には、蝶の耳障りな羽音が鳴っていた。
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2011年05月30日

帰る場所〜風の電話ボックス

B.G.M. C.I.〜B.G.レベルで

あなたには、帰るお家はありますか?
あなたには、「ただいま」と言える人がいますか?
あなたには、「お帰り」と言ってくれる人がいますか?

「ただいま」
「お帰り」
「ただいま」
「お帰りなさい」

そうだとしたら、あなたはそれだけで幸せです。
いえ、幸せだと気付かなければなりません。

S.E. ウィンド・チャイム

「風の電話ボックス」って知っていますか?
白い電話ボックスです。
海を見下ろす、丘の上に建っています。
ドアを開けると、小さなドア・ベルが、チリリンと鳴ります。
中には、黒いダイアル式の電話機と白い椅子。
受話器を取って耳に当てると、風の音がします。
遠く、波の音が聞こえます。
ときどき、小鳥のさえずりも混じります。

B.G.M.~UP~B.G.

でも、不思議です。
その電話機は、どこにもつながってはいません。
ただ、黒い電話機が置いてあるだけなのです。
亡くなった人や、もう会えなくなった人と
もういっぺん、どうしても話をしたくなった時に坐る電話ボックスです。

ときどき、海に虹がかかります。
海の深いところまで行った光が
波の間から、また空へ帰って行く。
虹は、光が光の国へ帰るときに渡る橋・・・。

あなたの涙の一粒が海になる。
あなたの小さなため息が、空駆ける風になる。
そんな時、「風の電話ボックス」で話をするのです。

S.E. ウィンド・チャイム

心の帰る場所
風の帰る場所
わたしの帰る場所
あなたの帰る場所
みんなの帰る場所
夢の帰る場所

「ただいま」
「お帰り」
「ただいま」
「お帰りなさい」

「風の電話ボックス」には、今日も誰かが坐って
静かに話をしています。
誰かが誰かと、話をしています。

S.E. ウィンド・チャイム

B.G.M. UP〜F.O


モノローグ:3月11日の、東日本大震災では、多くの、お父さん、お母さん、お祖父さん、お祖母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹が亡くなりました。大好きだったお友達や
仕事の仲間を亡くした人も、たくさんいます。
もう、その人たちは、「ただいま」も「お帰り」も言えません。 
でも、いつまでもいつまでも、いろんなお話をしたいと思っているのではないでしょうか。
「風の電話ボックス」が、その場所です。
それは、あの丘の上にも、みなさんの心の中にもある、「帰る場所」です。



※「風の電話ボックス」は、朝日新聞朝刊(2011/5/9)で紹介された、岩手県大槌町にお住まいの、佐々木挌(いたる)さんの記事を参考にさせていただきました。
佐々木さんは、電話機の横に次のように書いているそうです。
「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或は小鳥のさえずりが聞こえたら あなたの想いを伝えて下さい」
※‘Turning Point’宮下富実夫作曲・演奏(BIWA RECORDS)
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2011年01月05日

ホテル

「久しぶりね」。窓の向こうに広がる夕景を見ながら女が言った。
「ホテルって不思議だね、いつもと違う時間が流れる」。女の肩に手をやりながら男が言った。
「でも、今夜でおしまいね」。
「おしまいにしよう」。

 抱き合った男と女に挟まれた時間が、波打って流れて行く。急降下する感覚とともに・・・。

 開かれた窓から吹き込む風に、レースのカーテンが揺れている。
 救急車のサイレンが近づいてくる。
 窓の下では、人の声が騒がしい。

「何かあったのかしら」。ベッドの中で気だるそうに女が言った。
 男の返事はない。

「何か言った?」。バスタオルで濡れた頭を拭きながら、シャワールームから出てきた男が言った。

 
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2010年11月30日

燃える


燃える2.jpg「薪は、一本では決して燃え続けられない」と男が言った。
「どうすれば?」と女が訊ねた。
 二人は、暖炉の火をながめながらワインを飲んでいる。
「二本、寄り添うように並べる。そして、重ねる」
 瞬間、女の頬が赤くなった。男が女の瞳をのぞきこんだ。
「わたし、酔ったみたい」と、女はソファーに身を横たえた。
 
 暖炉の炎が揺らめいている。
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2010年11月09日

人生の謎


IMG.jpg 29回目の結婚記念日に、男と女は、ベッドの中でシャンパングラスを合わせて祝った。
「嘘が上手ね」と、女が言った。
「騙され上手だね」と、男が言った。

 30回目の記念日の前の日に、シャンパングラスを叩き割って、二人は別れた。
「嘘が下手だね」と、男が言った。
「騙され下手ね」と、女が言った。

※ シャンパングラスの切り絵は、クリック拡大でご覧ください。
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2010年10月14日

蟻 ( 断想 )

 その他大勢というに等しい群れの中にオレはいた。行列をつくる性は、己の運命に対する憤怒の表現だ。それが皆に敷衍するところから、オレはひとり離れていたと自覚していた。実のところ、自覚に溺れてオレは死んだらしい。しかし残念なことに、露出オーバーの記憶があるばかりで覚束ない。それでも不思議なことに、死んだ瞬間のことは覚えている。覚えているとは不気味な感覚ではあるけれど、それが流れているのか固定されたものであるのか、触覚で触れるほどには判然としない。
 その時も、オレたちは長い行列をつくっていたから、自動車のタイヤが通ったその点と線は全くの偶然で特定のものではない、列のあそこでもそこでもどこでもよかったという摂理はオレのものでもあった。ただ、隣の奴の呟きを聞いたには慄然とさせられた。そいつは、タイヤのパターンの溝の中に入って命長らえた奴だ。<・・凹凸とは、乙なもんだぜ・・>。
 凹みに逃げ込むとは卑怯な奴だ、列の在り方の道義を知らぬ。何故なら、列とは粛々と進むべきもので何処に寸断する悪意の鉄槌が振り落とされようと、そんなことには関知すべきではないのだ。オレたちは、大いなる意志に従って動けばそれでよいのだ。生と死を分かつことなどは、列にとってはどうでもよいことなのだ。列の全体が死ぬのでなければ、オレたち蟻にとって個の死など何の意味があろう。
 蟻とはそういうものだ。
 時々、オレたちを健気に動くものと詩人が感傷を寄せるが笑止なこと。彼らはいつでも、より弱きものを探索しているばかりだ。己の泣き言を他への挽歌と称して詠う。これなど永遠のお笑い草だ。何故なら、彼らの耳にはオレたちの笑いなど届くはずもないからだ。耳を澄まし森羅万象、存在の不思議を聴く者と自称する彼らにしてからが、そのようにして己の鈍摩に気付かずにいる。オレたちは、笑劇の世界に生きている。理路整然と線を形作って生きている。涙など端から持たずに枯れた生を生きている。

 さて、オレの死のことだが、オレは死んでから気付いたことがある。それは、「オレは遍くある」ということだ。オレは無数に遍在している。確かにオレの肉体は(蟻にも当然肉体はある)オレの死を以って消滅するが、同時にオレのオレは意識されて、そこにもあそこにもある。係累とはそも不思議な概念だが、偶然の出会いが必然となってオレが生まれたが、また偶然の存在となってオレとなるに過ぎない。
 列を構成する蟻一匹一匹に存在の意味はない。列の在り様があるだけだ。生の本能というとき、それは個の自己主張ととられがちだけれども考えても見たまえ、オレの叫びなど、列から出たためしがない。あったように見えても、瞬時、単なる列の揺らぎとなって現れるだけで、そこには一寸のためらいもない。列は列であり続ける。
 では、オレの憤怒とは、なんだったのだろうか。他愛のないことに、それは一言で足りる。
「オレはまた、蟻の全体でもあった」。
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2010年08月03日

バイバイ(断想)

 バイバイ。
 会って早々、バイバイって言うのも変だけれど、そうやって準備しておくんだ。
 別れの時が来た、だから別れるって言うのは当たり前としても、僕は嫌なんだ。それでは寂し過ぎる。
 会うは別れの始め、どこかで聞いた台詞だね。それで良いんだと思う。つまり、最初から、と言うか、常に、そういう覚悟が要るってことだね。
 だから、バイバイ。そして、こんにちは。そして、元気だった?そして、・・・。
 で、別れの時はどうするって?
 そりゃあ、バイバイさ。
 嬉しかったことも楽しかったことも、最初から別れとの二重刷りだもの、覚悟は出来てるさ。
 あー、こんな話、したことあったかな?
---僕を中心にして、地面に水平にかかる虹を見たことがある。虹色と言うには余りにも淡い、影のような、でも、しっかりとそれと分かる七色の帯が円を描いて流れていた。
 僕はその時思ったんだ。
 今、僕が中心にいるこの虹から抜け出たら、虹はどうなるのだろうか?
 虹があって僕がいる、同時に。その一方の僕が抜け出たら虹も消えるのだろうか、それとも虹は、僕のいた地点を中心に相変わらず漂い続けるのだろうか?
 確かなことは、虹はいつまでもあるわけじゃない、僕にしたって、そこから抜け出るって言うけれど、その地点から抜け出たあと、いつまでもいる訳じゃないってことだ。
 僕たちは、「過去形の罰」からは抜けられない。(言わずもがなだけれど、過去に犯した罪とかそのために受けた罰という意味じゃないよ。)
 僕は、僕の思うこと、考えること、行なったこと、僕の存在でさえ、過去形でしか語れないってことさ。無自覚の素直さでね。
 だから、バイバイ。そして、お元気で。そして、・・・。
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2009年10月15日

薄の穂


DSC05342.JPG「あのォ、すみません」とうしろから声をかけられた。
「あ、検査終わりました?」
「いえ、もうひとつ」
「時間かかりますね。くたびれちゃった」
 同じ検査のコースなのか、彼女とは前後して検査の度に待合コーナーで顔を合わせていた。
「さっき、面白いことをおっしゃってましたよね」
「え!?」
「血液が赤いのは不思議だって」
「あぁ、あれ聞こえました?」
「えぇ、カーテンの陰で。私の採血は特殊な血液検査のためなので、ベッドに横になりながら。少し時間がかかるんです」
「そうですか。看護師さんが採血管を5本も並べるのを見て一寸怖くなって、どのくらいの量採血するのか訊いたんです。そしたら、僅かに100cc位ですって言われて、少し恥ずかしくなったもんだから、照れ隠しに思ったままを看護師さんに言ったんです」
「わたし、血液の病気なんです。検査のたびに落ち込んでしまって。で、あなたの、『血液が赤いのは不思議ですね』って言われた言葉に、採血の管を流れている自分の血液を見ていたら、いつもは嫌で見ないんです、でもお話を聞いて思わず見たら、真っ赤でした。わたしも、不思議だなぁ、って思ったんです。そしたら、急に身体があったかくなってきて、身体の中から力が湧いてくるようなすっきりした気分になって。で、嬉しくなって、気持ちをお伝えしたくて、すみません、不躾に声をかけたりして」
「いえ、こちらこそ。貴女と会えて元気をもらいましたよ」
 その二十歳前後と見える女性は、白い顔を少し紅く染めて微笑んだ。黒いタンクトップのインナーがのぞく、ルーズなショッキングピンクのセーターがよく似合う。
「これから?」
「○○検査です。それでおしまいです」
「じゃあ、僕と同じだ」
 ふたりで、エレベーターを使わずに、鉄扉の開いている階段室を下りて、一階の○○検査室に向かった。
 途中、一階通路の角にある花屋の前で、彼女が立ち止まった。水桶に投げ入れてある薄の穂に指先で触れながら、呟いた。
「大好きなんです、薄の穂。風に吹かれて青空に輝いて見えるのが。入院中、ずっと見てました。でも、その時は病室の白い壁がバックでしたけれど」
 一年前の、薄の穂が風に揺れる季節、彼女はベッドの上にいたらしい。

 疾うに昼時は過ぎていて、○○検査室の待合コーナーは閑散としていた。
 いくつも空いているベンチに、少し間を明けてふたり並んで座った。言わず語らずに、お互い少しずつ元気を分け合っているような気分だった。
 大きな声で励ましあうより、何かを感じあう雰囲気の方が時には力と勇気を与えてくれるのかもしれない。
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2009年08月13日

「七色のバケツ」その3

             3
 
 ホームセンターの家庭ざっかうり場には、色とりどりのたくさんの商品がたないっぱいにならべられていました。バケツのコーナーにも、愛ちゃんがいままで見たことのない色や形のバケツがならんでいます。
「けさになって、本社から急に、いままで見たこともないバケツがたくさんはこばれてきたんです。お客さま、運が良かったですね。ごゆっくりごらんください」。案内してくれた店員さんがうれしそうに言いました。
「うわあ、すごい!お母さん、ここからここまで、ぜんぶほしい」。愛ちゃんはりょうてをひろげると、たなにならんだバケツの一列をだきかかえて、お母さんに言いました。かぞえてみると、赤いバケツ、オレンジ色、黄色、みどり、青、あい色、そしてむらさき、七色もあります。お母さんはびっくりしました。でも、愛ちゃんの病気が良くなったのは、きっと愛ちゃんの大すきなお花のおかげかもしれないと思うと、お母さんも楽しくなってきました。

 次の日の月曜日、愛ちゃんは元気に保育園に行きました。きのう、お母さんと買った、七色のバケツもいっしょです。
(テーブルに並んだ、七色のバケツ登場)
 
 保育園のお友だちは、いちれつにならべられた七色のバケツを見るとびっくりして、愛ちゃんのまわりにあつまってきました。
「うわあ、きれい、愛ちゃん、虹のバケツみたい。」とみんながくちぐちに言いました。
「あのね、愛ちゃんね、病院でお花のようせいに会ったの。そして、すごーくきれいなお花ばたけを見たの。みんなのアサガオもあったわ。それとね、虹のようないろーんな色のお花も、たくさん見たの。だから、この虹の色のバケツで、お花に水をあげるの、みんなもいっしょにしよう」。
「ワーイ、ワーイ、虹色だ、虹色だ!」みんなもおおよろこびです。

(会場へ)

 みんな、虹って、見たことあるでしょう?(きれいだよね。)小母さんもね、虹を見るのが大すきなの。虹を見ると、とてもしあわせな気持ちになるの。そして、知らない人にでも、「ホラ、虹が出てますよ。」って教えてあげちゃうの。「あー、きれいな虹ですね。」って言って、いっしょに顔を見あわせて笑ったりするの。
 ここで、お友だちといっしょに、虹を作ってみたいと思います。虹を作ってみたい人、手をあげてください。

(前に出てきた子供たちに、虹色の団扇を持たせて並ぶ。虹を作る。)
 
 ハーイ、虹の出来上がり!(拍手)

 愛ちゃんとお友だちは、それから七色のバケツを使って、保育園のお花ばたけに水をあげました。おかげで、たくさんの色の花がげんきにさいています。愛ちゃんのヘブンリー・ブルーもげんきに青い花をさかせています。
 保育園のお友だちもお花にまけないくらい、まいにち、げんきにあそんでいます。

(会場へ)

 ではここで、この七色のバケツを使って、、みんなのえがおがさいている会場のお花ばたけにお水をあげたいと思います。どんな花がさくでしょうか。

(出演者、七色のバケツを持って勢ぞろい。バケツに水が入っている動作で。下手から、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の順)
 
 いいですか、(一斉に)せーのっ!!

(バケツから、七色のテープや花が子供たちの上に飛び出す?)

 はい、これで、愛ちゃんの「七色のバケツ」のお話は、おしまいです。

(全員で)ありがとうございました。(礼)
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2009年08月12日

「七色のバケツ」その2

             2
 
 その晩、愛ちゃんは、熱にうなされながら夢を見ました。
 あんなに小さかったヘブンリー・ブルーが大きな大きな木のようになって、たくさんの青い花を咲かせています。そして、その花のひとつから、青いドレスに着飾った、かわいらしい女の子が出てきました。キラキラ光りに包まれて、体全体がすきとおるような女の子です。花のようせいでした。周りには、大きな虹がかかっています。そして、その虹の七色の色がこぼれるように、七色の花が次々と咲きはじめました。
「愛ちゃん、いつもわたしたちをお世話してくれてありがとう。おかげでこんなにたくさん、花をつけることができたわ。さ、もっともっとたくさんお花の咲いているお花の国へ、いっしょにいきましょう。わたしと手をつないで、この雲に乗っていっしょにいきましょう」。花のようせいが愛ちゃんをどこかへ連れていこうとしました。ところが、愛ちゃんは、お花もお花のようせいも大すきなのに、なぜかいっしょにいってはいけないように思いました。お母さんが待っているから、お父さんが心配しているから、お友だちと会えなくなるから、だからいっしょにいけない、と思ったのです。その時、どこか遠くから、お母さんの呼ぶ声が聞こえました。
「愛ちゃん、しっかりして、愛ちゃん、がんばるのよ」。愛ちゃんのベッドの側には、かけつけたお父さんもいます。院長先生も、看護師さんといっしょにみまもっています。愛ちゃんの熱がさがらずに、心配した肺炎になってしまったらしいのです。
「新しい注射をしましたから、これで様子をみましょう」。院長先生と看護師さんは病室を出ていきました。 
 お父さんとお母さんは、その晩は少しも眠らずに、愛ちゃんの様子をみまもっていました。

 あくる朝、窓にはやさしい朝の光があふれています。お母さんが、そっと愛ちゃんのひたいに手をやると、「あ、熱がさがったわ。」とお父さんをぶり返りました。お父さんも手をふれて、「これで安心だね。愛ちゃん、がんばったんだね。」とお母さんにほほえみました。熱さえさがれば安心です、と院長先生に言われていたのです。
 しばらくして目をさました愛ちゃんが、ゆうべ見た夢の話をお母さんにしました。それを聞いたお母さんは、お父さんと顔を見あわせて、そっと言いました。
「もし愛ちゃんが花のようせいといっしょに雲に乗ってお花の国へいっていたら、大変なことになっていたのでしょう?」お父さんもうなずきました。

 それから一週間、愛ちゃんはクリニックに入院しました。
 保育園の紀子先生も、心配して何回もお見まいにきてくれました。
「先生、愛ちゃんのアサガオ、どうなった?」愛ちゃんは、自分のヘブンリー・ブルーのことが心配でたまりません。
「大丈夫よ、お友だちがね、かわりばんこに愛ちゃんのアサガオにもお水をあげてくれてるの。元気、元気、ぐんぐん大きくなっているわ。愛ちゃん、はやく良くなってね、アサガオがまっているわよ」。
 そして、愛ちゃんが入院して8日目の朝。「もう安心だ。愛ちゃん、元気になってよかったね」。院長先生がやさしく言いました。いよいよ退院です。

 それから愛ちゃんは、二日ほどお家で休んで、次の週の月曜日から保育園にかよえるようになりました。
 その前の日曜日、愛ちゃんがお母さんにおねがいしています。
「お母さん、おねがいがあるの、ホームセンターでね、バケツを買いたいの。」
「バケツなら、お家にも、保育園にもあるわよ。」
「ううん、もっと別のバケツ。」と愛ちゃんは言いました。そのとき、愛ちゃんは、入院中に熱にうなされながら見た夢の中に出てきたようせいのすがたを思い出していたのです。あのとき、ようせいといっしょに雲に乗るのをことわったことが気になっていたのです。「大事な約束をやぶってしまったのかなあ。」
 そこで、花のようせいのまわりにさいていたように、保育園のお花ばたけにも七色の花が咲いてくれたらいいな、と思いました。そのためには、保育園にある、ふつうのポリバケツではなく、もっときれいな色のバケツでお水をやったらいいかもしれない、と考えたのです。
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2009年08月11日

「七色のバケツ」その1

 8月22日(土)に、図書館読書まつりが開かれる。
 ハンディキャップ班は、今年も参加型の出し物で参加することになり台本を書き始めた。ところが、主人公が独り歩きを始めてどんどん長くなってしまい、15分以内という制限時間におさまりそうもない。急きょ、3分の1の長さに縮めたので、エピソードのない盛り上がりの少ないものになってしまった。3回に分けて掲載させていただきます。なにはともあれ、ご高覧下さい。

             1
 
 愛ちゃんのかよう保育園では、今、おひるねの時間です。ところが、バラ組の紀子先生がおどろいて声をあげました。
「愛ちゃんがいない。どうしたのかしら?」
 愛ちゃんがおひるねの時に使う青い色のタオルケットが丸められていて、寝ているはずの愛ちゃんの姿がありません。先生は、寝ているお友だちをおこさないように、そっと教室を出ると、「愛ちゃん、愛ちゃん」と園内をさがしまわりました。園長先生も、さくら組の京子先生も、それに、もも組の先生も、うめ組の先生も一緒になって愛ちゃんをさがしました。
「いた、愛ちゃん、あんなところに!」。園長先生が叫びました。見ると、玄関の横のいぬばしりに並べられたはち植えのところで、頭の上にバケツを乗せた愛ちゃんが雨にぬれて立っていました。
「愛ちゃん、どうしたの?雨にぬれたら、かぜひくわよ。早くお部屋にはいりましょう」。愛ちゃんのところまで飛び出していった紀子先生が、やさしく言いました。
「だって、お花がぬれちゃうもん、かわいそうでしょう」と愛ちゃんが言いました。
 愛ちゃんのかよう保育園では、まいとし、年長さんがアサガオのはち植えを作ることになっています。
 年中さんのときも、年少さんのときも、愛ちゃんはお兄さんやお姉さんたちが作るアサガオのはち植えがうらやましくてたまりませんでした。
「早く年長さんになって、アサガオの花をうえたいなあ」と思っていました。
 ことし、年長さんになった愛ちゃんは、だからうれしくてたまりません。
 アサガオの種をまく時期になると、近所に住む、花づくり名人の芳じいちゃんが、みんなにはち植えづくりをおしえてくれます。
「みんな、自分ですきな色のアサガオをえらんでごらん」。芳じいちゃんは、花の写真のついた種のふくろをたくさん用意してくれました。
 愛ちゃんは、青い空色の花を咲かせる、ヘブンリー・ブルをえらびました。
 芽が出たばかりのアサガオは、まだ小さな二枚葉です。愛ちゃんは、赤ちゃんのように小さなアサガオが、雨に打たれてはかわいそうと、お空からふってくる雨を、バケツで受けとめようとしたのです。

 その夜、紀子先生が心配したとおり、愛ちゃんは熱を出してしまいました。お母さんが体温計ではかってみると、40度もあります。
 愛ちゃんは、はぁ、はぁとくるしそうです。お父さんの車で、かかりつけのクリニックへ行くことになりました。

「大分、ねつが高いですね。それと、胸の音が少し気になります。肺炎になるといけませんから、きょうはこのまま入院して様子を見ましょう」。聴診器を耳から外しながら、院長先生が言いました。お母さんがつきそいでとまることになりました。
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2009年05月23日

春の陽だまり(テキスト)7

 あとがき
(以下、『日系ブラジル移民史』参照)
 物語の中では詳しくは説明できませんでした、「平野植民地」について、少し触れてみたいと思います。
 夢を抱いて辿り着いたブラジルの現実は、とても厳しいものでした。
 金のなる木コーヒーでさえ、世界の政治情勢、経済の浮き沈み、天候に大きく左右されました。コーヒー園の収穫作業は、それまでアフリカの黒人奴隷達が、牛馬のように追い使われていた過酷な労働でした。
 日本人移民が増えるに従って、このまま、コロノ(農園労働者)でいたのでは一攫千金は愚か、その日の衣食住の目途さえ立たないという焦りが、広まってゆきました。そんな中、静岡出身の、平野運平という人が、植民地、農地の開拓を始めます。
 広大な国土を誇るブラジルは、資金さえあれば土地を手に入れることは、割と容易だったといいます。
 植民地開発には、三つの枝があったといわれています。一つは、移民を斡旋する業者が土地を取得して、そこに移民を入植させるもの。二つ目は、大農場主たちが、不況で立ち行かなくなって土地を切り売りして手放すもの。そして三つ目は、移民集団のリーダーが先導して、自力で開拓するもの。「平野植民地」は、その一つでした。
 平野たちは、1915年(大正4年)、有志を募って、およそ4千ヘクタールの土地を取得して開拓を始めます。その時、平野は、30歳でした。
 想像を絶する苦労の連続でした。マラリアに感染して、多くの仲間とその家族が死んでゆきました。働き手を失った家族は、何処へともなく開拓地を去ってゆきました。旱魃にも苦しめられました。そして、蝗の大群です。やっと実った、収穫間近い農作物が一昼夜にして食い尽くされて全滅。気候の変化を読めずに、霜の害で壊滅的な打撃を受けたりしました。
 4年後、みんなのリーダーだった平野も、当時流行していたスペイン風邪のため、志半ばにして亡くなります。入植して4年、平野運平34歳の若さでした。
 しかし、残された者たちは、平野の遺志を継いで必死に頑張りました。
 郡司ひろさんたちの家族が入植したのは、それから11年後の、1930年(昭和5年)でした。その時の平野植民地には、105万7750本のコーヒーの木が育っていました。
 そんな独立独歩の植民地でしたが、郡司さん家族は、やがてそこを離れて、ブラジル国内を転々と移り歩きます。もちろん、少しでも条件のよいところを、と考えてのことだったのでしょうが、その辺の顛末は、郡司ひろさんの口からも、詳しくは聞けませんでした。
 物事には、陰と陽、光と陰があります。ですから、全てが悲惨な絶望に打ちひしがれた地獄ではなかったはずです。現に、その後、農地を拡大して手広く農園経営をされておられる方もいますし、政界や財界で活躍している日系人も数多くいます。
 現在、ブラジルの日系人は150万人、ブラジル総人口の8%にあたるそうです。そして、そのうちの32万人の三世、四世、五世の人たちが、日本へ来ています。いわゆる出稼ぎです。
 遠くて近い国、といわれるブラジルです。これを機会に、ブラジルという国、ブラジル移民の問題について、少しでも関心をお持ちいただければ幸いです。
(平成20年10月26日記
常陸太田市立図書館主催、企画展「ブラジル移民100周年を記念して」朗読)

 追記
 作中、度々特記しましたように、年代や統計数字を含めて、高橋幸春氏の著作から引用、参照させていただきました。引用を超える引用になってしまったかもしれません。改めて記してお礼申し上げます。

 参考図書・引用図書他
『ブラジル移民史』高橋幸春著・三一書房
『詩をポケットに』吉増剛造・日本放送出版協会
『中原中也詩集』河上徹太郎編・角川文庫
「茨城新聞(平成11年3月24日版)」
「郡司ひろ墓参記」川上千尋
B.G.M.:ENYA ‘FAIRY TALE’
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春の陽だまり(テキスト)6

 一面、日向苔に被われた、小ぶりで古びた墓石ではあったが、「中久喜家先祖代々之墓」という墓碑銘は、はっきりと読み取ることが出来た。籬に囲まれた墓地は、春の陽だまりの中で、静かな佇まいを見せていた。雑草もなくきれいに手入れが行き届いているのは、信四郎たちが日頃から世話をしてくれていたお陰であった。

「ひろさん、これがあなたの家の、先祖代々のお墓ですよ」
 それを聞くが早く、傍らで支える夫の手を振り払って、ひろは墓前へと駆け出した。墓の前で一瞬たじろいだひろだったが、いきなり身を投げ出すように墓石に抱きつくと、声を限りに叫んでいた。
「おかあさん、ただいま、ひろは今帰りました。ごめんなさい、ごめんなさい、もっと早く来たかった・・・おかあさん、ただいま・・・」
 ひろの嗚咽につられて、周りの者も、皆、目頭を押さえた。夫の成人が近づくと、ひろの肩を抱くようにして、よかった、よかった、と声を掛けたが、あとは、唯、涙、涙であった。
 離れて見守っていた川上は、感動のあまりこみ上げる涙を堪えるように空を仰いだ。芽吹き間近なケヤキの大木の梢の向うに、春の白い雲が浮かんでいた。あたり一面に、春の光が溢れていた。
 詩人、吉増剛造はいっている・・・「逝く人が、この世から去って行く人が、この世やわたくしたちに残す“特別のときの”ひかり」があると。そんな光を、川上も見たように思った。そして、何ものかの啓示のように、中原中也の詩が思い出された。

 陽は温暖に降り洒ぎ、風は花々揺ってゐた

 4月4日。無事、母親の墓参りを済ませた郡司ひろたち、ブラジル在住茨城県人会一行は、成田発の飛行機で帰国の途に着いた。トランジットを含めて、25時間の長旅である。

「かわかみさま おてがみありがとうございました。
おひさしぶりです。みなさまおげんきで なにより うれしくおもいます。あれから7年もすぎました。はやいものですね。とおいブラジルへ また あそびにきてください。わたしも いばらきで たいへんおせわになりまして すごしたあのひを なつかしくおもいだします。ことしも げんきで たのしくすごしましょう。
 では おからだ たいせつに さようなら
 平成18年1がつ30にち  ぐんじ ひろ」

 手紙を書くために習ったという、たどたどしい平仮名だけの手紙。一生懸命綴った飾りのない文章だけに、かえって読むものの心を打つ。

 翌平成19年8月、ひろの友人という女性から、川上の元へ1通の手紙が届いた。郡司ひろの死亡を報せるものだった。享年84歳。
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春の陽だまり(テキスト)5

 3月28日、いよいよ千代川村へ向かう日が来た。宿舎を出た一行は、先ず土浦の亀城公園を散策した。次いで近くにある真鍋小学校を訪れた。校庭の一画には、県の天然記念物に指定されている、一本の巨樹桜がある。風雪に耐え、堂々と根を張る姿に夫々の思いがよぎるのか、太い幹に手をやって、じっと物思いに沈む会員の姿も見られた。
 日本の花、桜の花は、故国を離れたものにとっては心の花でもあるのだ。

 一行を乗せたバスは、国道294号線を西へと進む。
 バスの中は、ここ数日の間に訪問した町や風物や、出会った人たちとの思い出話で賑やかだった。日本語の中に、時々混じるポルトガル語が、一行のブラジル生活の長さを物語るようであった。
 郡司ひろは、運転席のすぐ後ろ、右手に見えてくるはずの筑波山を求めて、窓ガラスに顔を押し付けるように座っている。言葉を掛けるのが憚られるほど、ひろの背中が緊張している。その時だった。
「あっ!あれは!!」
 ひろが叫んだ。
「筑波山だ、筑波山だ、筑波山だ・・・」
 あとは言葉にならなかった。一同も、ひろの指差す窓の外に目をやった。春霞の中に、ゆったりと紫に煙る筑波山が姿を現している。今なお昔に変わらぬ、関東平野の名峰、筑波峰。ひろの心に宿り続け、悲しい時も苦しい時も、いつも励ましてくれた筑波山。それは、故郷を思う心の拠りどころでもあった山なのだ。
「おじいさんは、よくわたしに言い聞かせてくれました。冬寒くなると、山の頂が白くなって、とてもキレイなんだよ。ふるさとを忘れないように、しっかりと見て置くんだ。心の中に仕舞って置くんだ、とね」

「ひろさん、僕のこと、知っていますか?」
「はい、なつかしく思います」
 訪ね着いた千代川村大薗木の中久喜信四郎の家には、区長の中久喜登を始め、近所の中久喜好男も、ひろを待っていた。皆、懐かしい名前を持つ、同郷の人たちだった。しかし、同じ中久喜姓でも縁戚関係はなく、ひろの実家は、彼らがブラジルに渡って、絶えたのである。
 挨拶もそこそこに、案内を請い、ひろは墓地へ急いだ。墓地は、信四郎の家からはさほど遠くないところにあるのだが、ひろには途轍もなく遠くへ歩いてゆくように感じられた。気持ちに足がついてゆかない。過ぎ去った歳月のように、重く長い道のりに思えた。

「ひろさん、ここがそうです」
 ひろの足下を労るように先にたって案内していた信四郎が、ある墓の前で立ち止まると、手で指し示しながらひろに言った。
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春の陽だまり(テキスト)4

 川上が手にした手掛かりは、筑波山が東に見える土地であること、住んでいた地名はハッキリしないが、オ・ゾ・ノ・キという言葉を覚えていること、郡司ひろの旧姓が「中久喜(ナカクキ)」であること、などであった。
 川上はすぐに行動を開始した。まず、筑波山を東に見る市町村を手掛かりに、下妻市役所を訪れた。そして、隣りの結城郡千代川村にオオゾノキという地名のあること、一帯を管轄するのが下妻警察署であることを知った。
 ついで下妻警察署を訪れた川上は、応対に出た係官に、今までの経緯を説明して協力と調査を依頼した。

 若松を団長とする県人会一行が日本への帰国を果たして4日目の3月24日、新しく完成した茨城県庁舎の写真が大きく紙面を飾った茨城新聞の県民版に、郡司ひろの顔写真が掲載された。「先祖の墓所教えて、ブラジル県人会の郡司さん」と見出しが訴えている。滞在日と宿泊先、連絡の電話番号まで記されている。
 これといった情報もないままに、時が過ぎてしまう。4月4日にはブラジルへ戻らなければならない、残された時間はあと10日あまり。

 川上は、旧知の茨城新聞常陸太田支局の勝村記者を訪ねた。そして、郡司ひろの思いを熱く語った。手に持ったひろの写真は、川上の握った拳で皺くちゃになってしまった。
「分りました。記事にしましょう。いや、記事にさせてください。でも、川上さん、その皺くちゃの写真では新聞に掲載できませんよ」
 勝村と川上は顔を見合わせて笑った。

 3月25日夕刻、一行はその日の宿泊先、八郷町にある国民宿舎「つくばね」に入った。前方には、夕焼けを背にした筑波山の女体山が黒い影を見せていた。しかし、その姿を目にしても、ひろには何の感慨も浮かんでは来なかった。子どもの頃にひろの見た筑波山は、いつも朝日を背にして男体山、女体山が仲良く寄り添う山であった。赤い夕陽を浴びて、茜色に輝く美しい山であった。反対側から見る黒い影は、ひろに何も語ってはくれなかったのである。
 部屋に入って間もなく、宿舎の係員が、一枚のメモを持って現れた。下妻警察署からの伝言であった。
「お尋ねの件、千代川村大薗木260の中久喜信四郎さんに連絡下さい」というものであった。
 待ちに待った知らせであった。中久喜という苗字も懐かしい。ふるさとが急に近づいてきたような気がした。ひろは、嬉しさのあまり、床に膝をつくとメモを握った掌を合わせて、神に祈った。
「やっと来た、やっと帰れた。やっとお母さんに会える」
 頭の中が真っ白になった。69年の歳月が、ブラジルでの生活の一コマ一コマが、グルグルと回っている。傍らに立つ夫の成人も、黙って祈っている。
 喜びに震えながら、同時に、不思議な静けさがあった。例えようのない安らぎ、心の底からの安心に包まれていた。
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2009年05月22日

春の陽だまり(テキスト)3

 話を戻そう。
 平成11年3月。常陸太田市出身の若松孝司を団長とする、ブラジル茨城県人会の一行13名が、茨城県を訪れた。新しく建てられた茨城県庁舎の落成式に招かれたのである。
 その中に、夫と共に故国日本の土を踏む、郡司ひろがいた。
 成田空港に着いた時、人混みの中に、にこやかに微笑むひとりの男がいた。団長の若松が紹介してくれた。川上千尋であった。
 川上は、それ以前から、太田第一高等学校の同窓生という縁もあって、若松とは交流を深めていた。
 若松の帰国の折には、自宅に招き、ブラジルや日系移民のその後、茨城県人会会長を務めた苦労話などについて、話し合っていた。そして、今回の県人会帰国にあたって、若松からある一つのことを託されていたのである。

 5歳で国を離れて以来69年、一度も帰国することのなかったひろにとって、春三月の故国は暖かかった。何処を見ても、桜の花がほころび始めていた。菜の花が咲き、鳥は歌い、胸いっぱいに吸い込む故国の空気は、はるか昔のふるさとの匂いがした。そして、そんな風景にも増して、心から迎えてくれた郷土の人たちの心遣いが身に沁みた。
「早く会いたい。お母さんのお墓にお参りしたい。あの筑波山を見たい」
 ひろは、気持ちの高ぶりを抑えることができないまま、成田に降り立ったのである。

 それにしても、69年という歳月は余りにも長過ぎた。当時5歳だったひろの記憶には、ふるさとの風景はほとんど浮かんで来ない。ただ一つ、心の中に今もそびえている筑波山の姿だけは、祖父の言葉と共にはっきりと覚えている。
 帰国が叶う機会を得て、ひろは長年の願いを遂げたいと思った。何としても、母親の墓前にお参りして、今の自分を見てもらいたい。積もった話をしてみたい。何よりも、5歳の昔に返って人知れず母に甘えたい、と思った。
 しかし、過ぎ去った69年という歳月を思うと、ひろは途方に暮れた。故国には、これといった親族もいない、近況を確かめ合う知人もいない、どうしようか。
 ひろは思い切って、団長の若松を訪ねた。そして県庁落成式参列という公式訪問に、私事を持ち込んで申し訳ないと詫びながら、母親の墓前にお参りしたい気持ちを訴えたのである。
 
 昭和58年から60年まで、ブラジル在住茨城県人会、第七代の会長を務めた常陸太田出身の若松孝司は、「楽しい県人会」を目標に掲げて、ピクニック、芸能祭、俳句会、囲碁・将棋大会などを企画し、県人同士の親睦を深めるなど、郷土出身者の生活向上に尽力をしていた。また、県人会の将来を考え、二世会を発足させたり、日本への留学生や技術研修生の受け入れを県に働きかけるなど、公私共に、県人会に力を尽くしている人である。
 涙ながらに訴えるひろの願いを黙って聞いていた若松は、これこそが本当の故国訪問の意味ではないか、郷土を愛する心、親を思う心情に勝るものはない、と心から感動を覚えた。
 若松は、早速、川上に手紙を書いた。今回の帰国日程表とともに、「数少ない手掛かりだが、何としても郡司ひろさんの墓参りを実現させたい」と協力を頼んだ。
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